梅が枝

umegae-16

梅が枝になきてうつろふ鶯の はねしろたへにあは雪ぞふる (新古今和歌集:読人しらず)
Umegae ni naki te utsurofu uguhisu no hane shirotahe ni ahayuki zo furu
(Shinkokin Wakashū:unknown )
梅枝尓 鳴而移徙 鶯之 翼白妙尓 沫雪曾落(万葉集:巻十)

春を告げる鶯と梅。万葉の時代より、鶯の声は春を告げるものとして歌に詠まれてきました。
画像は、『万葉集』の原文と仮名で表記したものを書き並べたものです。表記によって、歌の印象も違ってみえます。平安時代に、漢字から日本独自の仮名文字が誕生したことにより、文字の表記の様式美が和歌や物語などの文芸と関わり合いながら、余情と余白を生み、心の世界を広げていくことに繋がりました。

古代、万葉時代の人が純白を表現するのに「白妙」という言葉に神聖、荘厳、純粋なものを込めました。淡雪を「白妙」と表現したところに新古今的なものを感じる一首です。新古今時代の歌人たちが「白妙」という言葉には”あはれ”を想い、艶なるものを感じ取っていたことは、『新古今和歌集』のなかによく現われています。

一例として、山部赤人(やまべのあかひと)の歌が『万葉集』から撰集されています。

田児の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける(万葉集:巻三)
田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ(新古今集:冬)

率直な赤人の歌を「真白」という直接的な詞から「白妙」と置き換え、新古今時代の歌風にアレンジされました。万葉の格調高い古歌に幽玄美が加わりました。

「梅が枝」の歌は、繰り返し詠まれてきた梅と鶯の題材を「白妙」と表現した淡雪のなかに詠んだところに優美で艶なる世界が創出されています。枝から枝へ動き回る鶯の動きはゆったりと優美に見えます。鶯の声も余韻を感じます。
この歌は、『新古今和歌集』の撰者の源通具(みなもとのみちとも)・藤原有家(ふじわらのありいえ)・藤原定家(ふじわらのさだいえ)・藤原家隆(ふじわらのいえたか)・飛鳥井雅経(あすかいまさつね)の5人が撰んだと定本に記されています。また、後鳥羽院(ごとばのいん)が隠岐島で『新古今和歌集』のを増補改訂して編まれた『隠岐本新古今和歌集』に撰んだ歌でもあります。このことは、この一首が如何に新古今時代の歌人たちの心を掴んでいたのかが窺えます。

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