入日

irihi-16

沈みはつる入日の際にあらはれぬ かすめる山の猶奥の峰(風雅和歌集:京極為兼)
Shizumi hatsuru irihi no kiha ni arahare nu kasumeru yama nonaho oku no mine
(Fuugawakashū:Kyougoku Tamekane)

沈もうとしている夕日の残光によって、霞んでいた山のさらに奥の峰までもが、くっきりと現われてみえます。室町時代初めに成立した『風雅和歌集』では、春歌上で春霞を歌題としたなかに配列された一首です。

『古今和歌集』以来、『風雅和歌集』が唯一、春部が秋部より優勢となっており、春部を構成する歌の中に風雅時代の特性や価値観が反映されていることが窺えます。そのなかにあって、京極派の歌風を打ち立てた為兼らしい、実景の観照によって鋭く入日の際を捉えた一首が撰集されました。

春霞に包まれた山々が暮色に染まる頃、日が山のかなたに沈もうとしている瞬間、今まではっきりとしなかったものが現われた感動が伝わってきます。伝統的な春霞を題材にして詠まれていますが、山に花は見えません。連なる山々と刻々と変化する残光に集中し、自然の懐の広さを表現したところに作者の独自性が現われています。

春の夕暮れを詠んだ歌でありながら、前時代のような妖艶で華やいだものはなく、閑寂で静謐さが漂っています。中世の幽玄から、近世の侘び・寂びへと美意識の変化の表れを感じます。

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