菜の花

早春、一面に黄色の絨毯を敷き詰めたように咲くナノハナ。
アブラナ属を総称するナノハナのなかで江戸時代に種から油を採取するため、日本各地に栽培が広まったアブラナは、春の風物詩として親しまれてきました。アブラナの伝来した時期には諸説あるようですが、奈良時代までには伝わっており、葉物野菜とされてきました。

アブラナの種から油が採取される技術が現れ、灯明の用途として菜種油が普及したのは江戸時代のことです。それ以前は荏胡麻(えごま)油が灯明の用途として古来より使われていましたが、庶民には手の届かないものでした。アブラナの栽培の拡大と搾油技術の普及によって庶民にも広まりましたが、それでも高価なものであったようで、魚や木の実から採取された油も使われていました。

アブラナを”菜の花”という名称で表現したものには、与謝蕪村(よさぶそん)の「菜の花や 月は東に 日は西に」の句が想い起されます。蕪村は享保元年(1716)~天明3年(1784)の江戸中期に活躍し、後世に影響を与えました。
蕪村が生まれた享保年間は、雛人形の大きさが幕府によって制限されるほど絢爛豪華な雛人形や雛道具を飾ることが流行した時代でもありました。華やかな上巳の節句が祝われた時代、鮮やかなアブラナの咲く風景は、上巳の節句の季節感を印象付けるものとなったと思われます。

アブラナを描いたものは、江戸後期、酒井抱一(さかい ほういつ)や鈴木其一(すずき きいつ)に代表される江戸琳派で描かれた”菜の花”が想い起されます。抱一とその弟子、其一は俳諧に親しみ、絵画の中に俳諧的な表現を取り入れました。季節を象徴するものとして”菜の花”を取り上げた背景には俳諧的な趣向を感じます。抱一や其一の描いた一株の描写は、雲雀(ひばり)が戯れる背景に咲く素朴な愛らしさ、春雨に打たれた姿に込められた優しさ、野辺に漂う長閑さや暖かな空気感など人の心を和やかに包み込むものを持つ花に託し、季節の一瞬を詩情豊かに表現しています。

作品は、蕪村の句や江戸琳派の表現されてきた葉の根元が茎を抱え込み、横から斜め上向きに葉が開いた在来種のアブラナの特徴を和紙の柔らかな風合いで高さを台を含め17cmほどに縮小して表したものです。

“Chinese colza”

~五節句をめぐる花遊び~
「和紙のつどい・雛展」
2017年2月2日(木)~2月8日(水)
東急本店6階 家具売場 特設スペース

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