「もののあはれ」に想う

恋せずは人は心もなからまし もののあはれもこれよりぞ知る (藤原俊成)
Kohi sezu ha hito ha kokoro mo nakara mashi mono noahare mo kore yori zo shiru(Fujiwara no Toshinari)

平安末期を代表する歌人の一人、藤原俊成(ふじわらの としなり)の家集『長秋詠藻(ちょうしゅうえいそう)』にある一首です。この歌の詞書に

左大将の家に会すとて、歌加ふべきよしありし時、恋歌

とあり、歌会で「恋」を題とした一首として詠まれたものと記されています。

「もののあはれ」という言葉が文献として最初にみられるのは、紀貫之(きのつらゆき)の『土佐日記』のなかにある、

梶取(かじとり)、もののあはれも知らで

と、港で名残惜しむ人々の心情を思いやらず、酒を飲みながら船出をさせようとしている船頭たちの様子を「もののあはれも知らで」と表現したものが知られています。

俊成の歌は「もののあはれ」の本質を簡潔に捉えています。恋をすることによって喜びばかりではなく、悲哀や辛苦を味わうことで人は人らしい心を持ち、「もののあはれ」を知ることができると歌に詠みました。

後世、江戸中期の国学者の本居宣長(もとおり のりなが)は『源氏物語玉の小櫛(おぐし)』の中で

恋せずは人は心もなからまし物のあはれもこれよりぞしる、とある歌ぞ、物語の本意によくあたれりける。

と俊成の一首を引き、歌や物語の本質が「もののあはれを知ること」に尽きるという宣長の理念を捉えた歌と評しました。

四季の自然の移ろい、人生の機微に触れた時に深く心を動かされて感じる「もののあはれ」という言葉で表現される情趣は、文学、絵画、工芸などに託してさまざまな様式で抒情豊かに表現されてきました。

画像は「もののあはれ」を捉えた俊成の一首を書で表したものです。

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