暮春

暮れてゆく春の湊(みなと)は知らねども 霞に落つる宇治の柴舟(新古今和歌集:寂蓮)
Kure te yuku haru no minato ha sirane domo kasumi ni otsuru uji no siba bune
(Shinkokin Wakashū:Jakuren)

過ぎ去ってゆく春の行方を宇治川を下る柴を積んだ舟の泊まる湊にたとえ、惜春の想いを詠んだ一首。一首を詠んだ寂蓮(じゃくれん)は『新古今和歌集』の撰者の一人でもあります。

寂蓮の一首は、紀貫之の次の歌が本歌となっています。

年ごとにもみぢ葉流す竜田川 湊や秋のとまりなるらむ (古今和歌集:秋下)

秋の季節の終着点を紅葉の名所、竜田川の湊に見立てた貫之の歌を踏襲し、寂蓮は川に霧が立つ風情が詠まれてきた宇治川の湊を春の終着点に見立てました。

理知的な貫之の本歌に対して寂蓮は、新古今時代らしい繊細で感受性豊かな歌風によって絵画的に表現しました。宇治川を下る柴舟が立ち込めた霞の中に落ちるように見えなくなり、その終着点の湊をみることができない景色を想像させます。『源氏物語』の「宇治十帖」の宇治川を巡る物語も連想させます。春の余韻を情感豊かに表現された一首を書で表しました。

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