よひらに洩る月

あぢさゐの 花のよひらに もる月を 影もさながら 折る身ともがな (散木奇歌集:源 俊頼)
Adisai no hana no yohira ni moru tsuki wo kage wo sanagara woru mi tomo gana (Sanbokukikaikashū:Minamoito no Toshiyori)

平安末期の歌人、源 俊頼(みなもとのとしより)の家集『散木奇歌集(さんぼくきかしゅう』にある一首です。歌の詞書には、「殿下にて夏夜の月をよめる」とあります。

月に照らされた紫陽花。その影も手折ることができたらばよいものを、と詠んだものです。紫陽花の装飾花が、4片から構成されているところから、”よひら” は紫陽花の異名ともなっています。紫陽花は、よひらの花びらと宵を掛け、夏の夜の情景に咲く花としてイメージされました。

一首の趣は、『万葉集』に2首みられる、花色が移ろうところから心変わりを詠んだもの、小さな花が数多く集まって咲くことから寿ぎを詠んだものとは異なります。
俊頼の一首は、源順(みなもとのしたごう)が編纂した辞典、『倭名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)の成立以後に詠まれた歌です。『倭名類聚抄』(巻第二十 草木部)で「 白氏文集 律詩 云 紫陽花 和名 安豆佐為」という記述にあるように、『白氏文集』の「紫陽花詩」から和名のアジサイに「紫陽花」の名をあてた影響を受けていると思われます。

『白氏文集』については http://washicraft.com/archives/13026 「紫陽花詩」(2017/6/5)の記事 にて書きました。

『白氏文集』での紫陽花(しようか)は、神仙の世界から現実の世界へと降りてきた花としてイメージを展開しています。俊頼の紫陽花(あじさい)は、影となって現実の世界から手に入れることのできない世界の花へと展開しています。紫陽花が月の光に照らされることで、その花影に神聖なイメージをまとわせたと思われます。

俊頼の発想は、その後に続く崇徳天皇をはじめ、藤原俊成(ふじわらのとしなり)・藤原定家(ふじわらのさだいえ)などの歌人によって研究され、紫陽花が歌に詠まれました。
その一例として、藤原定家の一首に

あぢさゐの 下葉にすだく 蛍をば 四ひらの数の 添ふかとぞ見る (拾遺愚草:しゅういぐそう)

がみられます。紫陽花の下葉に蛍が飛び交い、発する光によって花数が増えたかのように見える幻想的な夏の夕景を詠んだものです。蛍の光によって、紫陽花は儚い神秘の花となっています。

俊頼が夏夜の月を題として詠んでいるように、定家の歌も蛍をテーマとした中に紫陽花は詠まれているのにとどまっています。このことは、鎌倉初期に順徳天皇が書きまとめられた歌論書『八雲御抄(やくもみしょう)』(巻第三・枝葉部)の中のなかで紫陽花について、「阿知佐井 万に、やへさくと云り。歌に難詠物也。」と評されているとおり、紫陽花を詠むことの難しさを示しています。

画像は、俊成や定家など中世を代表する歌人たちが、歌材として紫陽花に取り組む発端となった一首を書で表したものです。

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