山桜雛(やまざくらびな)

yamazakurabina-

古代より日本の山野に自生している山桜を形代とした雛。
旧暦の弥生(3月)は、新暦では3月下旬から5月上旬。
かつて上巳の節句は桜、桃、菜の花が咲き揃う季節に行われていました。
江戸幕府が定めた五節句の式日が明治6年に廃止され、暦も旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に変わりました。
季節の植物と節句は切り離せないものです。今は桃や菜の花は雛祭りに合わせて出荷されていますが、路地の花には季節のずれを感じます。

明治6年に生まれた泉鏡花。明治6年は、旧暦から新暦へと時代が大きく変わった年です。
月によって時刻を知り、季節を知る暦としていた時代では、月の満ち欠けに情趣を感じ、月の光を光源として暮らしてきました。改暦は、人の暮らし方を変えていきました。
『雛がたり』で鏡花が幼少の頃、上巳の節句が行われていた時期を「北の国の三月は、まだ雪が消えないから、節句は四月にしたらしい」と書いています。『雛がたり』が発表された大正時代には新暦が普及していたことが窺えます。
春の花を飾って祝う上巳の節句にとって、旧暦から新暦へと制度の変更の影響は大きかったと思います。
上巳の節句は桃の節句とも呼ばれるように、桃は江戸時代の終わりには200に及ぶ品種があったと伝えられています。明治に入ると品種の数は大きく減り、今は八重咲きの「矢口」や、紅白の咲き分けの「源平」など選ばれた品種が受け継がれています。
華やかな花桃が見頃を迎えるのは今の暦では3月下旬。
上巳の節句は子供の成長を祝う伝統行事として残りましたが、旧暦から新暦へと移り変わる過渡期、節句の祝い方は混乱したと思われます。
促成栽培のものが容易に手に入る今とは違い、寂しいものだったのではないでしょうか。
御所の左近の桜、右近の橘を象徴する雛飾りの桜橘。
桜橘の造り花が季節を演出するものとして欠かせないものになっていったのには、こうした事情が背景にあると推察されます。
桜橘の造り花は、御所風の雅な佇まいを伝えるとともに春から夏へと季節の移り変わりも伝えています。

江戸琳派で画題とされたような雅な花雛を見かけなくなったのには、暦と花期が合わなくなったことのほか、『源氏物語』をはじめ古典文学とのつながり、改暦によって人と自然の関わり方が変化していったことが背景にあると『雛がたり』から感じます。
『雛がたり』は『源氏物語』を想起させると同時に雛祭りが桜の季節に行われていたことを印象付けています。
『雛がたり』の終わりに『源氏物語』の第8帖「花宴(はなのえん)」が引かれています。第8帖「花宴」は、宮中の紫宸殿にあった左近の桜の宴が巻名になっています。
左近の桜の下、花の宴が華麗な宮廷行事として催されていたことが物語から偲ばれます。

『雛がたり』と『源氏物語』に寄せて、2つの作品に共通する桜の花への想いを山桜の精を雛の形にしたもので表現しました。
実生の山桜は樹齢が長く、優美な姿の内に生命力の強さ、神々しさを持っています。
花と同時に開く葉色の色合い、薄い花色、控えめな佇まいに気品を感じます。
女雛を八重山桜、男雛を一重の茶芽の山桜で表しました。
衣裳には樹皮を漉き込んだ簡素な風合いの和紙を選びました。
桜の花には透明感のある薄い色合いと柔らかな質感の和紙を使い表情を出しました。
作品の高さは、女雛が9cmほどです。

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