桜橘に寄せて

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江戸幕府が定めた五節句が廃止され、暦も旧暦から新暦に変わった明治6年。この年を境に春の花を飾って祝う上巳の節句も変化していきました。
明治6年に生まれた泉鏡花が、『雛がたり』で記憶した上巳の節句は6歳から7歳頃とあるので、明治10年代頃のこと。江戸時代の町家での節句の面影を偲ぶことができます。『雛がたり』の書き出しを見ると、桜雛以下の花雛を除けば、今も形として残されており古の姿を見ることができます。

雛(ひな)-女夫雛(めおとびな)は言うもさらなり。桜雛(さくらびな)、柳雛(やなぎびな)、花菜の雛(はななのひな)、桃の花雛(もものはなびな)、白と緋(ひ)と、紫(ゆかり)の色の菫雛(すみれびな)。鄙(ひな)には、つくし、鼓草(たんぽぽ)の雛。相合傘(あいあいがさ)の春雨雛(はるさめびな)。小波(ささなみ)軽く袖(そで)で漕こぐ浅妻船(あさづまぶね)の調(しらべ)の雛。五人囃子(ごにんばやし)、官女(かんじょ)たち。ただあの狆(ちん)ひきというのだけは形も品しなもなくもがな。紙雛(かみひいな)、島(しま)の雛、豆雛(まめひいな)、いちもん雛(びな)と数うるさえ、しおらしく可懐(なつかし)い。

花雛に続く、変わり雛。時代の世相を表した変わり雛は、今も受け継がれています。
『雛がたり』では、雛についてをひな・びな・ひいなと3つの読み方を使い分け、雛の形式によって読み方の違いがあることも伝えています。古語の「ひいな」という呼び方を紙雛、豆雛に使っており、この時代にはひいなという呼び方が残っていたことも読み取れます。

愛らしい雛道具に続き、屏風、雪洞の様子が書かれています。

一双(いっそう)の屏風(びょうぶ)の絵は、むら消えの雪の小松に丹頂(たんちょう)の鶴、雛鶴(ひなづる)。一つは曲水(きょくすい)の群青(ぐんじょう)に桃の盃(さかずき)、絵雪洞(えぼんぼり)、桃のような灯(ひ)を点(とも)す。

屏風絵は鶴を描いたものと曲水の宴が描かれています。左右対になって一組になった屏風を「一双」と数えます。
民間では3月3日は雛の節句ですが、宮中では曲水の宴が催されました。
桃の盃に、桃のような雪洞の灯。ここで、上巳の節句は、桃の節句であることが伝わってきます。
ここには桜橘は見えません。
『雛がたり』の書き出しは、今から見ると不可思議に見えます。
それは、書き出しにある花雛が桜橘のようにすぐにはイメージできないからです。
花雛の花はすべて生きた花なのか、造り花も混じっているのか、現実のものか、幻想のものも含まれているのか、謎は深まります。ただ、花雛は存在したことは確かで、花雛の並び順に深い意味を込め、花それぞれの持っているものから緻密に構想されていて感銘を受けました。
今では絵画や文芸の中でしか味わうことができない世界のように思えてきます。
いくとおりの可能性があり、それぞれの植物に込められた背景があります。

改暦された明治6年(1873年)から140年ほど経ちました。
近世から近代へと移り変わる過程で欠落してしまった部分を『雛がたり』は細やかに伝えています。
最近、桜橘に代わって紅白梅の造り花を雛飾りに添えた雛人形を多く見かけます。
住環境も変わり、シンプルに飾る傾向になってきました。梅は今の暦の節句では季節が合い、すっきりと落ち着いた印象で、今の時代の好みを反映しています。
和紙を素材とした雛は古来の姿、シンプルな表現、季節感を伝えることができると思います。
時代の変化を受け入れながら、雛を飾って祝う伝統が続くことを願っています。
『雛がたり』については来年、引き続き形にしてまいります。

今年も和紙による作品をご覧いただきありがとうございました。
ブログサービスの突然の終了により、新たな気持ちでブログを立ち上げ直すきっかけになりました。ブログ移転後も継続してブログをご覧いただき、支えていただいた皆様には心より御礼申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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