菜の花と梅

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『古今集』編纂前夜、宇多天皇に学者・政治家として重用された菅原道真は、文壇の中心的存在でした。中国文学を享受し、日本独自の感性を漢詩に取り入れ、和歌との調和を図ることに貢献しました。道真が白居易の『白氏文集』の「三月尽詩」から摂取し独自の境地を開いた「惜春」は、和歌の歌題として定着していきます。 和歌と漢詩から成る『新撰万葉集』の撰進や、『万葉集』の整理・編纂を行ない宇多天皇に奉じたとも伝えられています。

梅賛美から桜賛美へと美意識が移り変わっていく過渡期、菅原道真は梅を愛でました。道真の邸宅は、紅梅殿と呼ばれていました。901年に大宰府に左遷されることなりますが、後に天満宮に祀られました。各地の天満宮の境内には道真を偲んで梅が植えられ、花の季節には梅の芳しい香りに包まれます。
また、道真のゆかりの地、京都の北野天満宮では、道真の命日2月25日に菜種の花を供える「菜種御供(なたねのごく)」が行われ、新暦となってからは、菜種に代わり梅の花が用いられて「梅花御供(ばいかのごく)」が行われています。
白梅・紅梅の小枝を紙立(こうだて)という、仙花紙という楮の白い和紙を筒状にしたものの中に挿したものが神前に供えられます。梅の花を挿した紙立は、紙と花を形代とした花雛に通じるものを感じます。

” Nanohana & Ume”
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