ほのぼのと

honobono-

ほのぼのと春こそ空に来にけし 天(あめ)の香具山霞たなびく(新古今和歌集:後鳥羽院)
Honobono to haru koso sora ni kini kerashi ame no kaguyama kasumi tanabiku
(Shinkokin Wakashū:Gotoba no in)

立春を空の気配によって捉えた御歌。
後鳥羽院(ごとばのいん)は、『新古今和歌集』の編纂の命を下し、編纂にも深く関わったとされています。早くから和歌に御心を寄せられました。19歳で譲位されてからは、歌会や歌合など盛んに主催されました。その代表的な歌合が「千五百番歌合」です。
平安末期の平家の滅亡から鎌倉幕府の成立した時代にあって、和歌以外にも多彩な趣味、才能を発揮されました。承久元年(1219年)に鎌倉幕府の3代将軍源実朝(みなもとのさねとも)の暗殺を契機に執権北条義時(ほうじょうよしとき)と対立した承久の乱に敗れて隠岐島に配流となりますが、この地でも『新古今和歌集』の切り継ぎ(増補改訂)を熱心にされ、生涯をかけて『新古今和歌集』を慈しまれました。後鳥羽院の豊かな感性が『新古今和歌集』の成立に繋がっていると感じます。
御歌は、ほんのりとした春の穏やかな気配を古代から崇高な山として称えられてきた香具山に霞がたなびく様によって表現されました。香具山は、京から見て東にあたり、春は東の空からやってくると考えられてきました。

この御歌は、『万葉集』にある次の歌を本歌としています。
久方(ひさかた)の天の香具山この夕べ 霞たなびく春たつらしも(読人しらず)

『新古今和歌集』は、その名称の示すように『古今和歌集』を受け継ぎつつ、新たな境地を目指しました。さらに、その原点である『万葉集』に立ち戻り、『万葉集』にある歌からも撰集されました。『新古今和歌集』の仮名で書かれた序文、仮名序のなかで「かの万葉集は、歌の源なり。」と位置づけています。
後鳥羽院の御歌は、『万葉集』の本歌を踏襲しながら、”ほのぼの”と同じ初句に始まる『万葉集』にある「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れ行く舟をしぞ思ふ(読人しらず)」の歌にもみられる古の詞を慕いつつ、本歌のあるところを感じさせないゆったりとした自然な流れがあり、新たな世界を生み出しています。”ほのぼの”という初句に余韻を感じます。伸びやかで格調高い和歌の趣を書で表しました。

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