月別アーカイブ: 2017年6月

玉柏

玉柏 しげりにけりな さみだれに はもりの神の しめはふるまで( 新古今和歌集:藤原基俊 )
Tamagashiha sigeri ni keri na samidare ni hamori no kami no shime hafuru made
(Shinkokin Wakashū:Fujiwara no Mototoshi)

降り続く五月雨を受け、青々とした葉を茂らせた見事な柏の木。柏に宿るという、葉守(はもり)の神がしめ縄を張っているかのようである。

一首を詠んだ、藤原基俊(ふじわらのもととし)は、平安末期の院政時代、源俊頼(みなもとのとしより)と並び、歌壇で活躍した歌人です。『古今和歌集』を重んじ、伝統的な歌風に特色があります。『新古今和歌集』の夏歌で、「田のしめ縄」を題材に田植えを詠んだ歌に続き、「五月雨」を歌題とした中に一首は排列されました。

「玉柏(たまがしは)」とは、柏の美称です。柏は、冬になっても枯葉が落葉しないことから、楢(なら)と共に葉守(はもり)の神が宿る神聖な樹木とされ、平安時代には柏の特性から、四季を通じて和歌や物語の題材として取り上げられました。

『枕草子』で清少納言は、柏について、次のように綴っています。

柏木、いとをかし。葉守(はもり)の神のいますらむも、かしこし。兵衛の督(ひょうえのかみ)、佐(すけ)、尉(ぞう)など言ふも、をかし。

柏の木は、風情があり、葉守(はもり)の神がおいでになる、畏れ多い木である。兵衛の督(ひょうえのかみ)、佐(すけ)、尉(ぞう)などの衛門府(えもんふ)の官職の雅称として柏木が用いられることは素晴らしく、興味深いと評しています。

「柏木」は、官職の雅称であることは、『源氏物語』の第36帖「柏木」の巻名からも窺えます。夕霧の親友、柏木の名は皇居を守護する衛門府(えもんふ)の長、衛門督(えもんのすけ)に就いていたことから、「柏木衛門督」と呼ばれたことに因みます。

基俊の一首は、「 ならの葉の 葉守の神の ましけるを 知らでぞ折りし 祟りなさるな 」(後撰和歌集:藤原仲平)、『源氏物語』で夕霧の親友、柏木の未亡人落葉の宮が夕霧への返歌として詠んだ、

柏木に 葉守の神は まさずとも 人ならすべき 宿の梢か ( 源氏物語「柏木」:落葉の宮 )

が本歌とされています。落葉の宮の詠んだ一首は、第36帖「柏木」の巻名の由来となっています。

基俊が詠んだ歌の詞書には、「雨中木繁といふ心」と題して詠まれたことが記されています。
基俊の一首は雨が降り続くなか、柏が梢に青葉を繁茂させた、薄暗く視界が遮られた景色を上の句で詠んでいます。下の句では、一転して柏にしめ縄が張られたかのように見立てることで、葉守(はもり)の神の宿る荘厳で深遠な景色を想像させます。

『源氏物語』のなかで紫式部が落葉の宮に詠ませたように、葉守(はもり)の神が不在であるかのように伝えつつ、しめ縄が張られていなくても葉守(はもり)の神は永遠に宿り続けると想わせる展開は、柏の存在感、生命感、神々しさを強く印象付けます。

梅雨の時季の寄せて、数々の和歌や物語を創造させてきた柏の神秘を詠んだ一首を和紙による柏の葉と書で表しました。

 

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半夏生・月見草

夏の水辺を彩る半夏生(はんげしょう)。白い花穂に小さな花を咲かせます。葉の一部が白くなるところが涼しげな印象です。
初夏から夏の夕暮れに儚い一日花を咲かせる月見草。江戸時代の末に渡来したとされる月見草は、咲き始めは白い花を咲かせ、しぼむと紅色に変化します。

それぞれの花の特徴を、数種類の和紙の取り合わせによって表し、短冊にあしらいました。

“Lizard’s tail・Oenothera tetraptera”

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節黒仙翁

夏の山野草、フシグロセンノウ。名の示すとおり、茎の節のあたりが黒紫色になるところに特徴があるナデシコ科の植物です。平らに開いた朱の花色は、夏草らしい鮮やかさと清々しさがあります。朱色の和紙の柔らかな風合いによってすっきりとした花の表情を表し、陶器の一輪挿しにあしらいました。

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よひらに洩る月

あぢさゐの 花のよひらに もる月を 影もさながら 折る身ともがな (散木奇歌集:源 俊頼)
Adisai no hana no yohira ni moru tsuki wo kage wo sanagara woru mi tomo gana (Sanbokukikaikashū:Minamoito no Toshiyori)

平安末期の歌人、源 俊頼(みなもとのとしより)の家集『散木奇歌集(さんぼくきかしゅう』にある一首です。歌の詞書には、「殿下にて夏夜の月をよめる」とあります。

月に照らされた紫陽花。その影も手折ることができたらばよいものを、と詠んだものです。紫陽花の装飾花が、4片から構成されているところから、”よひら” は紫陽花の異名ともなっています。紫陽花は、よひらの花びらと宵を掛け、夏の夜の情景に咲く花としてイメージされました。

一首の趣は、『万葉集』に2首みられる、花色が移ろうところから心変わりを詠んだもの、小さな花が数多く集まって咲くことから寿ぎを詠んだものとは異なります。
俊頼の一首は、源順(みなもとのしたごう)が編纂した辞典、『倭名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)の成立以後に詠まれた歌です。『倭名類聚抄』(巻第二十 草木部)で「 白氏文集 律詩 云 紫陽花 和名 安豆佐為」という記述にあるように、『白氏文集』の「紫陽花詩」から和名のアジサイに「紫陽花」の名をあてた影響を受けていると思われます。

『白氏文集』については http://washicraft.com/archives/13026 「紫陽花詩」(2017/6/5)の記事 にて書きました。

『白氏文集』での紫陽花(しようか)は、神仙の世界から現実の世界へと降りてきた花としてイメージを展開しています。俊頼の紫陽花(あじさい)は、影となって現実の世界から手に入れることのできない世界の花へと展開しています。紫陽花が月の光に照らされることで、その花影に神聖なイメージをまとわせたと思われます。

俊頼の発想は、その後に続く崇徳天皇をはじめ、藤原俊成(ふじわらのとしなり)・藤原定家(ふじわらのさだいえ)などの歌人によって研究され、紫陽花が歌に詠まれました。
その一例として、藤原定家の一首に

あぢさゐの 下葉にすだく 蛍をば 四ひらの数の 添ふかとぞ見る (拾遺愚草:しゅういぐそう)

がみられます。紫陽花の下葉に蛍が飛び交い、発する光によって花数が増えたかのように見える幻想的な夏の夕景を詠んだものです。蛍の光によって、紫陽花は儚い神秘の花となっています。

俊頼が夏夜の月を題として詠んでいるように、定家の歌も蛍をテーマとした中に紫陽花は詠まれているのにとどまっています。このことは、鎌倉初期に順徳天皇が書きまとめられた歌論書『八雲御抄(やくもみしょう)』(巻第三・枝葉部)の中のなかで紫陽花について、「阿知佐井 万に、やへさくと云り。歌に難詠物也。」と評されているとおり、紫陽花を詠むことの難しさを示しています。

画像は、俊成や定家など中世を代表する歌人たちが、歌材として紫陽花に取り組む発端となった一首を書で表したものです。

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