雛人形・五節句: Hina doll ・Five festivals」カテゴリーアーカイブ

桜橘に寄せて

sakura-tachibana-14-2

江戸幕府が定めた五節句が廃止され、暦も旧暦から新暦に変わった明治6年。この年を境に春の花を飾って祝う上巳の節句も変化していきました。
明治6年に生まれた泉鏡花が、『雛がたり』で記憶した上巳の節句は6歳から7歳頃とあるので、明治10年代頃のこと。江戸時代の町家での節句の面影を偲ぶことができます。『雛がたり』の書き出しを見ると、桜雛以下の花雛を除けば、今も形として残されており古の姿を見ることができます。

雛(ひな)-女夫雛(めおとびな)は言うもさらなり。桜雛(さくらびな)、柳雛(やなぎびな)、花菜の雛(はななのひな)、桃の花雛(もものはなびな)、白と緋(ひ)と、紫(ゆかり)の色の菫雛(すみれびな)。鄙(ひな)には、つくし、鼓草(たんぽぽ)の雛。相合傘(あいあいがさ)の春雨雛(はるさめびな)。小波(ささなみ)軽く袖(そで)で漕こぐ浅妻船(あさづまぶね)の調(しらべ)の雛。五人囃子(ごにんばやし)、官女(かんじょ)たち。ただあの狆(ちん)ひきというのだけは形も品しなもなくもがな。紙雛(かみひいな)、島(しま)の雛、豆雛(まめひいな)、いちもん雛(びな)と数うるさえ、しおらしく可懐(なつかし)い。

花雛に続く、変わり雛。時代の世相を表した変わり雛は、今も受け継がれています。
『雛がたり』では、雛についてをひな・びな・ひいなと3つの読み方を使い分け、雛の形式によって読み方の違いがあることも伝えています。古語の「ひいな」という呼び方を紙雛、豆雛に使っており、この時代にはひいなという呼び方が残っていたことも読み取れます。

愛らしい雛道具に続き、屏風、雪洞の様子が書かれています。

一双(いっそう)の屏風(びょうぶ)の絵は、むら消えの雪の小松に丹頂(たんちょう)の鶴、雛鶴(ひなづる)。一つは曲水(きょくすい)の群青(ぐんじょう)に桃の盃(さかずき)、絵雪洞(えぼんぼり)、桃のような灯(ひ)を点(とも)す。

屏風絵は鶴を描いたものと曲水の宴が描かれています。左右対になって一組になった屏風を「一双」と数えます。
民間では3月3日は雛の節句ですが、宮中では曲水の宴が催されました。
桃の盃に、桃のような雪洞の灯。ここで、上巳の節句は、桃の節句であることが伝わってきます。
ここには桜橘は見えません。
『雛がたり』の書き出しは、今から見ると不可思議に見えます。
それは、書き出しにある花雛が桜橘のようにすぐにはイメージできないからです。
花雛の花はすべて生きた花なのか、造り花も混じっているのか、現実のものか、幻想のものも含まれているのか、謎は深まります。ただ、花雛は存在したことは確かで、花雛の並び順に深い意味を込め、花それぞれの持っているものから緻密に構想されていて感銘を受けました。
今では絵画や文芸の中でしか味わうことができない世界のように思えてきます。
いくとおりの可能性があり、それぞれの植物に込められた背景があります。

改暦された明治6年(1873年)から140年ほど経ちました。
近世から近代へと移り変わる過程で欠落してしまった部分を『雛がたり』は細やかに伝えています。
最近、桜橘に代わって紅白梅の造り花を雛飾りに添えた雛人形を多く見かけます。
住環境も変わり、シンプルに飾る傾向になってきました。梅は今の暦の節句では季節が合い、すっきりと落ち着いた印象で、今の時代の好みを反映しています。
和紙を素材とした雛は古来の姿、シンプルな表現、季節感を伝えることができると思います。
時代の変化を受け入れながら、雛を飾って祝う伝統が続くことを願っています。
『雛がたり』については来年、引き続き形にしてまいります。

今年も和紙による作品をご覧いただきありがとうございました。
ブログサービスの突然の終了により、新たな気持ちでブログを立ち上げ直すきっかけになりました。ブログ移転後も継続してブログをご覧いただき、支えていただいた皆様には心より御礼申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

にほんブログ村 美術ブログ 工芸へ
にほんブログ村

Facebook にシェア

花うさぎ雛

hanausagi-bina-15-1

桜、桃、菜の花といっせいに花開く長閑な春。
桜と菜の花をうさぎの形の坐雛(すわりびな)に見立て表しました。
衣裳には青海波(せいがいは)に桜をあしらった、春の穏やかさと静かな波が永続する様に吉祥を込めた図柄を選びました。
作品の高さは、女雛が10cmほどです。
“Hina Doll”

にほんブログ村 美術ブログ 工芸へ
にほんブログ村

Facebook にシェア

山桜雛(やまざくらびな)

yamazakurabina-

古代より日本の山野に自生している山桜を形代とした雛。
旧暦の弥生(3月)は、新暦では3月下旬から5月上旬。
かつて上巳の節句は桜、桃、菜の花が咲き揃う季節に行われていました。
江戸幕府が定めた五節句の式日が明治6年に廃止され、暦も旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に変わりました。
季節の植物と節句は切り離せないものです。今は桃や菜の花は雛祭りに合わせて出荷されていますが、路地の花には季節のずれを感じます。

明治6年に生まれた泉鏡花。明治6年は、旧暦から新暦へと時代が大きく変わった年です。
月によって時刻を知り、季節を知る暦としていた時代では、月の満ち欠けに情趣を感じ、月の光を光源として暮らしてきました。改暦は、人の暮らし方を変えていきました。
『雛がたり』で鏡花が幼少の頃、上巳の節句が行われていた時期を「北の国の三月は、まだ雪が消えないから、節句は四月にしたらしい」と書いています。『雛がたり』が発表された大正時代には新暦が普及していたことが窺えます。
春の花を飾って祝う上巳の節句にとって、旧暦から新暦へと制度の変更の影響は大きかったと思います。
上巳の節句は桃の節句とも呼ばれるように、桃は江戸時代の終わりには200に及ぶ品種があったと伝えられています。明治に入ると品種の数は大きく減り、今は八重咲きの「矢口」や、紅白の咲き分けの「源平」など選ばれた品種が受け継がれています。
華やかな花桃が見頃を迎えるのは今の暦では3月下旬。
上巳の節句は子供の成長を祝う伝統行事として残りましたが、旧暦から新暦へと移り変わる過渡期、節句の祝い方は混乱したと思われます。
促成栽培のものが容易に手に入る今とは違い、寂しいものだったのではないでしょうか。
御所の左近の桜、右近の橘を象徴する雛飾りの桜橘。
桜橘の造り花が季節を演出するものとして欠かせないものになっていったのには、こうした事情が背景にあると推察されます。
桜橘の造り花は、御所風の雅な佇まいを伝えるとともに春から夏へと季節の移り変わりも伝えています。

江戸琳派で画題とされたような雅な花雛を見かけなくなったのには、暦と花期が合わなくなったことのほか、『源氏物語』をはじめ古典文学とのつながり、改暦によって人と自然の関わり方が変化していったことが背景にあると『雛がたり』から感じます。
『雛がたり』は『源氏物語』を想起させると同時に雛祭りが桜の季節に行われていたことを印象付けています。
『雛がたり』の終わりに『源氏物語』の第8帖「花宴(はなのえん)」が引かれています。第8帖「花宴」は、宮中の紫宸殿にあった左近の桜の宴が巻名になっています。
左近の桜の下、花の宴が華麗な宮廷行事として催されていたことが物語から偲ばれます。

『雛がたり』と『源氏物語』に寄せて、2つの作品に共通する桜の花への想いを山桜の精を雛の形にしたもので表現しました。
実生の山桜は樹齢が長く、優美な姿の内に生命力の強さ、神々しさを持っています。
花と同時に開く葉色の色合い、薄い花色、控えめな佇まいに気品を感じます。
女雛を八重山桜、男雛を一重の茶芽の山桜で表しました。
衣裳には樹皮を漉き込んだ簡素な風合いの和紙を選びました。
桜の花には透明感のある薄い色合いと柔らかな質感の和紙を使い表情を出しました。
作品の高さは、女雛が9cmほどです。

にほんブログ村 美術ブログ 工芸へ
にほんブログ村

Facebook にシェア

花菜と桃の花雛

hanana-momo-hanabina-

季節を愉しむ心を大切にした江戸時代。
江戸幕府は、宮廷行事より季節の節目の人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)の節日を五節句に定めました。
人日(じんじつ)では春の七草、上巳では桃と菜の花、端午では菖蒲、七夕では笹と梶の葉、重陽では菊とそれぞれの節句には季節の植物を愛で、その植物の生命力に想いを托してきました。
上巳の節句を彩る桃と菜の花も江戸の花文化の繁栄が偲ばれます。
種から油を採取するために栽培されてきた油菜(あぶらな)。
江戸時代に入ると雛の節句を祝うための切花として観賞用にも使われるようになりました。

『雛がたり』で鏡花の記憶した「花菜(はなな)の雛」は、明治の初めの頃のことですので、油菜と思われます。
油菜のほか、黄色の花をつけるアブラナ科の植物は蕪、小松菜、野沢菜、白菜など多数あります。
春の風物詩として親しまれてきました。ナノハナはアブラナ属の花の総称でもあります。
葉が小さくてシンプルな油菜。すっきりとして素朴な印象です。
現在、切花として出回っている菜の花は、白菜から鑑賞用に改良されたものです。
縮緬(ちりめん)状の葉を持ち、花立ちのよいチリメンナノハナと呼ばれるものです。
白菜の伝来は明治に入ってからのことになります。
花を頭に葉を着物に見立てた菜の花雛は、油菜による花を頭に葉を着物に見立てたものを受け継いでいます。
現在では、雛祭りに飾られるのはチリメンナノハナが主流になりました。

菜の花と並び上巳の節句に欠かせない桃の花。
『万葉集』に多く詠まれているように、古より愛でられてきました。
江戸時代に繁栄した花文化の中で、桃は多数の園芸種が生み出されました。
華やかな名花が現われて多くの人を魅了しました。
雛人形と並行して桃の花が庶民の間に広まり、桃の節句を祝う花として根付いていきました。

画像の作品は、泉鏡花の『雛がたり』より感じた江戸の花雛をイメージしたものです。
鏡花は並べられた雛をしおらしく想っています。
『雛がたり』では、「花菜の雛」(はななのひな)、「桃の花雛」(もものはなびな)と挙げられているものでこの組み合わせで対になっていると考えました。時代背景より油菜と桃を取り合わせました。
縮緬加工された友禅紙の亀甲文様と友禅紙の菱文様を組み合わ、表の衣裳に仕立てました。
油菜と桃には手漉の板締和紙の柔らかさを生かしました。
作品の高さは、桃の花雛が15cmほどです。

”Flower doll”

2015 1/28~2/3
『雅な雛のつどい展』

にほんブログ村 美術ブログ 工芸へ
にほんブログ村

Facebook にシェア