津の国の 難波の春は 夢なれや 蘆の枯葉に 風わたるなり(新古今和歌集:西行)
Tsu no kuni no naniha no haru ha yume nareya ashi no kareha ni kaze wataru nari (Shinkokin Wakashū:Saigyō)
摂津の国、難波江の冬景色を詠んだものです。『新古今和歌集』の冬部では、落葉に始まる季節の推移の中で冬枯れを歌題として詠まれた一群に排列されています。難波江は、イネ科の多年草の蘆(あし)の群生する名所として『万葉集』の時代より、歌に詠まれてきました。春夏秋冬それぞれの季節を映す風物として、数々の秀歌を生み出しました。
西行の一首は、次の歌を本歌としています。
心あらむ 人に見せばや 津の国の 難波あたりの 春のけしきを(後拾遺和歌集:能因)
物のあはれを解する人には見せたいものです。津の国の難波辺りの春の景色を、と感動を詠んだものです。
西行は、能因(のういん)の歌を踏まえ、古歌に詠まれた蘆(あし)の芽吹きの美しかった難波江の春景色は夢だったのだろうか。今は、難波江には蘆(あし)の枯葉に寒々と風が吹きわたるばかりである、と現実の世の無常感を詠んでいます。
西行は、蘆(あし)の若葉が芽吹いた難波江の春景色を見ていません。下句に詠まれた西行がみている、現実の厳しく荒涼とした景色の表現が、春景色の素晴らしさを想わせます。また、能因の詠んだ一首を想起させる ” 難波の春 ” という言葉の優しい響きは、夢のような美しさを引き出します。能因の一首によって確立された難波の春景色が背景としてあることで、その対極にある冬の季節の侘しさが心に深く沁み入ります。
蘆(あし)の特性を生かし、再生する春の芽吹きの美ではない、冬の静寂な枯淡を詠んだところに中世の幽玄美が表れています。蘆(あし)を題材に中世の時代を映した一首を書で表しました。