植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

落花

風吹けば 方もさだめず 散る花を いづかたへゆく 春とかは見む (拾遺和歌集:紀貫之)
Kaze fuke bakata mo sadamezu chiru hana wo idukata he yuku haru toka ha mimu
(SyuiWakashū:Ki no tsurayuki)

風が吹けば散る花は行き方を定めず去っていく。春もそのように去っていくのかと詠まれた一首。
古今時代を代表する紀貫之の一首は、第3番目の勅撰和歌集『拾遺和歌集』春歌を締める「三月尽」に続く春から初夏へと進む時節に排列されています。

一首の詞書に「延喜御時、春宮御屏風に」とあり、延喜19年(919年)東宮(保明親王)の御屏風に添えられた屏風歌の一首として詠まれたものです。屏風歌は、四季折々の景物を描いた屏風絵を題材に詠まれ、献上された歌をいいます。貫之は、『古今和歌集』の仮名序で述べている通り、宮廷での公事・宴席などの晴れ場に出せる格調高い歌を詠むことを理想とし、屏風歌にはそうした貫之の信念が表れていると思われます。

落花に寄せ、花の行き方を確かめようとしても行くを知ることはできないように、季節の推移もまた、目に見えるものではなく、捉えようのないものとして春風のたおやかな動きにより、ゆったりと静かに進む時の流れを伝えています。

鋭い感力で静かに行く春の美しさを詠まれた一首を書で表しました。

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春の夜

花の色に 光さしそふ 春の夜ぞ 木の間の月は 見るべかりける(千載和歌集:上西門院兵衛)
Hana no iro ni hikari sashi sofu haru no yo zo konoma notsuki ha miru be kari keru
(Senzaiwakashū:Jyousaimonin no hyoue)

桜の花に月の光が射し、艶やかさを増す春の夜。このような春の夜は木の間を透かして月は眺めたいものと詠まれた一首。藤原俊成が撰者となった、『千載和歌集』春上で「桜」を歌題とした中に排列されています。

『千載和歌集』の詞書に「百首哥奉りけるとき、詠み侍りける」とあり、崇徳院に奉った「久安百首」の一首として詠まれたものです。一首を詠んだ上西門院兵衛(じょさいもんいんのひょうえ)は、平安時代後期を代表する女流歌人の一人として活躍しました。

上西門院兵衛の一首は、言葉の調子がたおやかで余韻を感じさせ、木の間を透かして自然を鑑賞する清新な視点により、妖艶な春の夜を詠んだところに藤原俊成の歌の理想とする志向と合った一首と思われます。

余情豊かに春の夜を詠まれた一首を書で表しました。

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滝の白糸

山桜 咲きそめしより 久方の 雲井に見ゆる 滝の白糸(金葉和歌集:源俊頼)
Yamazakura saki someshi yori hisakaua no kumoi ni miyuru taki no shiraito
(Kinyou Wakashū:Fujiwara no Toshiyori)

山桜の花が咲き始めてより、空遠くに滝の白糸がかかって見えると詠まれた一首。一首は、第5番目の勅撰和歌集『金葉和歌集』春歌に撰集されています。院政期に白河院の院宣を受け、一首を詠んだ源俊頼(みなもと の としより)が撰者となり、編纂されました。

桜を歌題として詠まれた一首は、『古今和歌集』より受け継がれている見立てによって、山の斜面を覆い尽くすように咲き誇る山桜を詠みました。山桜を勢いよく流れ落ちる滝に見立てた一首は、山桜の光景を鮮明で幻想的に捉えています。

春の情感を理知的に清新な感性で詠まれた叙景歌を書で表しました。

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春立つ風

袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ(古今和歌集:紀貫之)
Sode hichite musubishi mizu on kohoreru wo hautatu kefuno kaze ya toku ramu
( kokin Wakashū :Ki no Tsurayuki )

夏に袖が濡れて掬った水が春になり、冬の間凍った水を東風が融かしてくれるだろうか、と立春を迎えた悦びを詠まれた一首。古今時代を代表する貫之の一首の詞書に「春たちける日よめる」とあるとおり、『古今和歌集』春歌上の立春から始まる第2番目に排列されています。

『古今和歌集』は中国詩の影響が色濃く表れています。紀貫之が詠んだ一首もまた、『礼記(らいき)』にみられる「孟春(もうしゅん)ノ月(つき)、東風氷ヲ解ク」にあるとおり、東風が氷を解かして春の訪れを告げるとした思考を背景として詠まれたことが窺えます。

貫之は、まだ冷気の残る中、氷が解けて山には霞がたなびき、草木が芽吹く春に立ち返る悦びを、清らかな水に託しました。春の訪れをみやびやかに詠まれた一首を書で表しました。

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霜露

冬がれの 森のくち葉の 霜のうへに おちたる月の 影のさむけさ(新古今和歌集:藤原清輔)
Fuyu gare no mori no kuchiba no shimo no uhe ni ochitaru tuki nokage no samukesa
( Shinkokinwakashū:Fujiwara no kiyosuke)

冬枯れした森の朽ち葉の上に置く霜。その上に月光が寒々と照らしていると詠まれた一首。平安末期の代表歌人のひとり、藤原清輔(ふじわら の きよすけ)の一首は隈なく照らす月光によって、白一色の世界を際立たせ、森の静寂さを伝えます。

冬の月が多く詠まれるようになった背景のひとつに『源氏物語』第20帖「朝顔」で源氏が紫の上と共に庭前の雪景色を見て語られた、源氏の言葉の一節が想起されます。

時々につけても、人の心をうつすめる花紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄める月に雪の光あひたる空こそ、あやしう色なきものの、身にしみて、この世のほかのことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも残らぬおりなれ。

四季折々、世間の人々が心惹かれる花や紅葉の頃より、冬の夜の澄み切った月の光に雪の照り映える空こそ、色のない景色であるが、身に深く沁みて、おのずと来世のことまで想像されて、見た目の美しさとしみじみとした情感もこれ以上のものはないと感じられる。

と、月光に照らされた白一色の世界に重ね、心象風景を表しました。

さらに、御簾を上げさせて見渡した庭の風景の描写について、

月の隈なくさし出でて、一つ色に見え渡されたるに

と、凍てつく冬の月光が地上を隈なく明るく照らし、白一色の夢幻の風景を浮かび上がらせると表しています。

『古今和歌集』をはじめ、秋の主要な歌題として詠まれていた「月」。冬歌として「冬の月」が初出となったのは、『源氏物語』が書かれた時代に撰定された『拾遺和歌集』冬歌にある恵慶(えぎょう)法師の次の1首です。

天の原 空さへさえや わたるらむ 氷と見ゆる 冬の夜の月 (拾遺和歌集:恵慶法師)

恵慶法師は、天空を平原に見立て、冬の月光は、空を一面氷に覆われたように冴え冴えとみせると詠まれたものです。

その後、『後拾遺和歌集』1首、『金葉和歌集』1首がみられますが、冬の月が『源氏物語』に触発され、勅撰和歌集で多く採り上げられる兆しがはっきり表れたのは、『千載和歌集』に4首みられる頃です。清輔の一首が撰集された『新古今和歌集』になると、21首撰集されており、それ以前の勅撰和歌集にみられない冬歌の主要な歌題となっています。「冬の月」は新古今以降、冬歌の歌題として定着していきます。

多彩で艶やかに彩られるに季節にはみられない、冬ならではの清浄で無彩色の世界。冬の月の濁りのない清らかな情趣が千載~新古今時代、着目されたと思われます。清輔の一首は、朽ち果てた葉が白一色で覆われ、冬の月の凍てつくような神々しい光に浄められた情趣を詠みました。凛として清浄な冬の空気感を詠まれた一首を書で表しました。

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散紅葉

秋の月 山べさやかに 照らせるは  おつるもみぢの かずをみよとか(古今和歌集:よみ人しらず)
Aki no tsuki yamabe sayakani teraseru ha otsuru momiji no kazu wo miyo to ka

秋は月。山の辺りを明るく月が照らしている。その明るさは、散っていく紅葉の数を数えられるほどであると詠まれた一首。『古今和歌集』秋歌下で「紅葉」を歌題とした中でも ” 散紅葉 ” をテーマとした、よみ人知らずの歌の一群に排列されています。

『古今和歌集』秋歌下では、紅葉の散り行く風情を詠んだ、よみ人知らずの歌が多く撰集されています。黄葉を愛でた万葉の時代から、平安の世に移り変わり、黄葉から艶やかな紅葉へと関心が移り、深山に入り、紅葉を愛でるようになったことが反映されていると思われます。

一首では、漆黒の夜に輝く月の光に照り返された紅葉は、澄んだ冷気によって鮮やかに色づいた一葉の形がくっきりと見えるかのようで、冴え渡る月の光の輝きは、冬へと移り行く季節を伝えます。色艶やかな紅葉の季節を月との取り合わせによって風雅な趣に詠まれた一首を書で表しました。

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清麗

白露の 色はひとつを いかにして 秋の木の葉を ちぢに染むらむ(古今和歌集:藤原敏行)
Shiratsuyu no iro ha hitostu wo ikani site aki no konoha wo chidini somu ramu
( kokin Wakashū : Fujiwara no Toshiyuki )

無色透明な白露。なぜ、秋の木の葉を多彩な色に染めあがるのであろう、と詠まれた一首。一首を詠んだ三十六歌仙一人、藤原敏行は平安前期に宇多天皇の宮廷歌人として活躍しました。

『古今和歌集』は、撰者となった紀貫之・紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑の入集歌数が多くを占める中、『古今和歌集』成立以前の作者別歌数を見ると、在原業平30首、敏行の歌は19首となっており、『万葉集』に入っていない歌を除いた古今以前の代表歌人として位置づけられます。『万葉集』の強い感動を真直ぐに素朴に詠んだ時代から、平安初期の漢詩文隆盛期を経て、和歌復興の機運が高まり、和歌は知的で優美な表現へと変革していく過程で詠まれた敏行の歌は、古今時代の軽快優美な傾向が表れています。

万葉時代、秋に色づく木々の葉は紅く色づく紅葉より、黄色に色づく黄葉が愛でられていました。『万葉集』には紅葉より、黄葉詠んだ歌が大多数を占めていました。『万葉集』をはじめ古来、露が降りると葉は色づくと捉えられていました。『古今和歌集』の時代も、凛とした冷気によって葉が色づき始める頃の情趣は、露と共に詠まれました。厳しい冬を前にした晩秋、冷たい露が木々の葉に降ることによって、葉を色づかせ、紅葉が進んでいくものと考えられていました。

敏行の一首は、そうした露によって紅葉が進むという思考を背景に、露の白一色と千々に色づく葉を数量的に対比させ、明快に緑の葉が多彩な色に変化する様を深く印象付けます。黄・橙・紅と様々に濃淡織り交ぜられ、艶やかな葉色に彩られる豊潤な山野を鮮明に伝えます。

理知的で鋭敏な感性によって、古今時代を先取りして詠まれた一首を書で表しました。

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籬の菊

霜をまつ 籬(まがき)の菊の よひの間に 置きまよふ色は 山の端の月(新古今和歌集:宮内卿)
Simo wo mastu magaki no kiku no yohi no ma ni oki mayofu iro jha yama noha no tsuki
( Shinkokinwakashū:Kunaikyou)

霜を待っている垣根の菊。宵の間に霜が置いたのかと見間違えるほど、月の光によって白く輝いて見えると詠まれた一首。一首は『新古今和歌集』秋歌下で、「雁」を詠んだ歌題に続き、「菊」を歌題とした一群に排列されています。一首を詠んだ宮内卿(くないきょう)は、式子内親王、俊成女と並び、新古今時代を代表する女性歌人の一人として知的な趣で巧緻な詞の続けがらに特徴ある歌を詠みました。

宮内卿の一首から、『古今和歌集』に撰集されている白菊の花を詠んだ次の一首が想起されます。

心あてに 折らばや折らむ 白菊の おきまどはせる 白菊の花 (古今和歌集:凡河内躬恒)

凡河内躬恒(おおしこうち の みつね)が詠んだ一首は、晩秋に初霜が降りて、白一色になった庭の白菊の美しさを詠んだものです。折るならば、あて推量で折ることになろうかと、白菊を霜と見分けがつかなくなったと機知に富む表現により、霜に打たれた白菊の美しさを讃えました。

宮内卿の一首には、次のような詞書があります。

五十首哥たてまつりし時、菊籬月と云ふ事

宮内卿は詞書にあるとおり、菊が咲く季節の情趣を詠みました。まだ、霜が置く季節ではない白菊を月の光が反映し、菊の白さを際立たせます。躬恒の一首では、露と白菊が紛れるのに対し、霜が降りる前の時節を月の光の神々しさによって表現したところに、宮内卿らしい理知的な歌風が表れています。宮内卿の一首は、季節が進んで霜が降りる頃、白菊は「紫」に花色が移ろうことを予感させます。

白菊に寄せ、季節の推移を精緻に詠まれた一首を書で表しました。

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