世にふるはくるしきものを槙(まき)の屋に やすくも過ぐるはつ時雨かな(新古今和歌集:二条院讃岐)
Yo ni furu ha kurushiki mono wo maki no ya ni yasuku mo suguru hatu shigure kana
(Shinkokin Wakashū:Nijyouin no sanuki)
初時雨に寄せて想いを詠んだ歌を書で表しました。
二条院讃岐(にじょういんのさぬき)は、平氏と対立した源頼政(みなもとのよりまさ)の娘で、平安時代末期から鎌倉時代初めに活躍した女流歌人です。この歌は、後鳥羽院(ごとばのいん)が催された最大の歌合である「千五百番歌合」で詠まれたもので後世、和歌・連歌・俳諧へと多数の派生歌を生みました。
ぱらぱらと音を立ててさっと通り過ぎる時雨。時雨は、万葉集の時代から歌題として詠まれてきました。京都や奈良の地理的なもの、地形に依るところが時雨の風情に心を寄せることに繋がっていると思われます。木の葉を美しく色づかせて散らすものとして時雨は初冬の風物として捉えられていました。槙の屋とは槙の板で作った家をいいます。槙の板家は、初時雨の頃の季節感を背景にして侘びた寂しい風情を感じます。
槙の板家の屋根に雨音を立てて過ぎてゆく時雨。世のに生きながらえる苦しさを歌いながら、今年初めて聴く時雨の雨音に耳を澄まし、軽快で無邪気なものを雨音に感じて「やすくも」と表現したところは、無常観に留まらず自然観照によって得られた心安らかで静かな境地が感じられます。