草の原

ゆくすゑは そらもひとつの武蔵野に 草の原より いづる月かげ(新古今和歌集:藤原良経)
Yukusue ha sora mo hitotsu no musashino ni kusa no hara yori izuru tsukikage
( Shinkokin Wakashū:Fujiwara no Yositsune )

秋の武蔵野の原野に昇る月を心に想い、詠まれた一首。一首を詠んだ藤原良経(ふじわらのよしつね:九条良経)は、新古今時代を代表する歌人のひとりです。『新古今和歌集』の秋歌上で「月」を歌題として詠まれた中に排列されています。一首には次の詞書があります。

五十首歌たてまつりしに野径月(やけいのつき)

詞書には建仁元年(1201年)、後鳥羽院主催の「仙洞句題五十首」で月をテーマに原野の小径をイメージし、詠まれたことが記されています。

『万葉集』の東歌で武蔵野を詠まれた歌が収められてより、平安時代になって『伊勢物語』や『古今和歌集』などの物語や和歌に武蔵野の草原が取り上げられ、武蔵野への関心が高まりました。

紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る (古今和歌集:よみ人しらず)

『古今和歌集』雑上に撰集された一首は、一本の紫草がある武蔵野の草すべてが、ゆかりのあるものとして懐かしく、愛しく思うと詠まれたものです。一首は武蔵野の紫草への愛着から発展し、女性を紫草に見立て、女性とゆかりのある人すべてが懐かしく思われると解釈されるようになりました。武蔵野への愛着を詠まれた古歌は共感を呼びました。『伊勢物語』41段では『古今和歌集』の上記の歌を踏まえ、「武蔵野のこころなるべし」と歌の心を物語に表し、武蔵野に寄せるイメージが印象付けられました。四方を山に囲まれた都の人は、遥か彼方を見渡せる原野に憧れ、想像しました。

良経の一首は、秋の夕空と一つになって遮るものがない武蔵野の原野から昇る月を想像し、歌に詠みました。

秋の武蔵野を詠んだ歌には、『古今和歌集』に次ぐ二番目の勅撰集『後撰和歌集』秋中のなかで秋草に寄せて詠まれた次の一首が見られます。

をみなえし にほへる秋の 武蔵野は 常よりも猶 むつまじきかな ( 後撰和歌集:紀貫之 )

秋の七草として万葉以来、たおやかな風情を女性に見立てられたオミナエシを秋の武蔵野の景として詠んだものです。貫之の一首は、紫草を詠んだ古歌に込められた武蔵野の地の温かさ、人の和やかさが感じられます。

秋草への愛好が深化した中世へと変革していく時代を生きた良経は、秋草が咲き乱れる草原を ”花野” と呼ぶように、「草の原」という詞によって ”花野” の風情を武蔵野に想い、イメージを膨らませたように思います。

四季の中でも色とりどりの草花で彩られる秋の野の美しい風景は、秋が深まるにつれて次第に色褪せ、一色の寂寥とした冬景色へと移ろっていきます。中世以降、武蔵野は秋を想わせる題材として定着し、文学・絵画・工芸など多彩な表現により、作品が生み出されていきます。

花野の小径を想像し、秋の武蔵野への憧憬を託した一首を書で表しました。

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