風そよぐ

風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ 夏の しるしなりける(新勅撰和歌集:藤原家隆)
kaze soyogu nara no ogawa no yufugure ha misogi zo natsu no shirushi nari keru
(Shinchokusen Wakashū:Fujiwara no Ietaka)

『新勅撰和歌集』夏歌に撰集された一首。『新古今和歌集』に次ぐ第9番目の勅撰和歌集『新勅撰和歌集』は、藤原定家が後堀河天皇より撰進の勅命を受け、撰者となった勅撰和歌集です。

一首を詠んだ藤原家隆は、藤原定家と同時代、共に歌壇の中心で活躍しました。定家によって撰集された『新勅撰和歌集』で撰集された定家の歌は15首であるのに対し、家隆の歌は43首と歌人の中でも最も多く、筆頭歌人となっています。家隆が筆頭歌人となっているのは、定家が家隆の歌を尊び重んじていたことを反映しています。

武家政権による封建制となった時代に成立した『新勅撰和歌集』では、新古今時代の妖艶美・色彩美に彩られた印象が薄れ、鎌倉幕府への配慮もあり、質実な歌も撰ばれているものの、『古今和歌集』以来の和歌の伝統を護り、王朝文学を後世に伝えたいという思いが表れています。

家隆の一首は、『新勅撰和歌集』夏歌の最後、六月払(みなづきばらえ)を歌題としたなかに排列されています。京都、上賀茂神社の境内を流れる「ならの小川」のせせらぎで、六月末に行われる「名越(なごし)の祓(はらえ)」を詠んだものです。

一首の詞書には、「寛喜元年、女御入内の屏風」とあり、『新勅撰和歌集』の撰進の勅命をされた、後堀河天皇の女御入内の折、十二ヶ月三十六首に絵師が相応の絵を描き、屏風に仕立てられた屏風歌の中の一首であることが記されています。
家隆は、風が吹き渡るならの小川の夕暮れは、秋の到来を思わせるが、名越の祓が行われいるのを見ると、まだ夏であると実感すると詠みました。

家隆の一首は、『新古今和歌集』恋歌五にある次の一首が本歌とされています。

みそぎする ならのをがはの 河かぜに 祈りぞわたり 下に絶えじと(八代女王:やしろ の おおきみ)

万葉の時代に詠まれた八代女王(やしろ の おおきみ)の一首は、禊ぎをするならの小川の川風に吹かれながら、二人の仲が知られないよう、祈り続けます、と詠まれたものです。

家隆の一首では、初句の「風そよぐ」を受け、「ならの小川」を川の名の「なら」に「楢」を掛けています。落葉高木の楢は、夏には枝の先を覆うように、青々とした葉を広げて陽射しを遮り、緑陰が涼を呼びます。掛詞による同音異義語を使い、一語に込められた意味を深めることで残暑の候、風にそよぐ楢の葉の風情が心地よい爽風を想起させ、秋到来を予感させます。

家隆の一首は、屏風歌として詠まれた背景と古歌の趣ある平明で爽やかな調べから、定家は『新勅撰和歌集』の夏歌を締める歌として排列されたように思います。また、家隆の歌の本歌である『新古今和歌集』恋歌に八代女王(やしろ の おおきみ)の歌を撰歌した2名の撰者の一人が定家でした。家隆の一首は、『古今和歌集』が成立した御代を想わせる詠みぶりで、こうした経緯から、家隆の一首には、定家の深い思い入れがあったことが窺えます。

秋歌に繋がる一首として、数多に読み継がれてきた伝統的な歌題を格調高く新鮮な印象に詠まれたところが清々しく、家隆の温和な人柄が表れた一首を書で表しました。

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