春の到来を告げる早蕨。早蕨は、春を告げる証として古より受け継がれてきました。
『源氏物語』第48帖「早蕨」からは、万葉集の志貴皇子(しきのみこ)の歌が連想されます。
いはばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(万葉集:志貴皇子)
Iha bashiru tarumi no ue no sawarabi no moe iduru haru ni nari ni keru kamo (Manyoushū:Shikinomiko)
勢いよく水が流れる滝のほとりの爽やかさと、「春のなりにけるかも」という詞がきっぱりとしていて、”春が来た”という感動がいきいきと伝わってきます。
『源氏物語』第48帖「早蕨」で、山寺の阿闍梨(あじゃり)が土筆(つくし)や蕨を神仏や主君にささげる初穂として中君に贈ったことが書かれています。初物の蕨が神聖な供物として扱われていたことが読み取れます。
蕨や土筆、芹(せり)などを献上して食する行事を「供若菜(わかなをぐうす)」といい、若菜を摘んで災厄を祓う風習が宮中の儀式となり、美しい籠や折櫃(おりびつ)に入れられて献上されました。
早蕨については、『源氏物語』の第46帖「椎本(しいがもと)」にも書かれています。
君がをる峰の蕨と見ましかば 知られやせまし春のしるしも (源氏物語:大君)
第48帖「早蕨」にも登場する山寺の阿闍梨(あじゃり)から土筆(つくし)や蕨が初穂として中君、大君姉妹のもとに届きました。届けられた蕨を見て、姉の大君が ” 亡き父が摘んだ蕨としてみることができましたら、春を知らせてくれるしるしとなりますものを ” と詠んだ歌です。この歌から、紫式部は早蕨を「春の証」と捉えています。
紫式部が芽吹いたばかりの蕨の美しさに注目したところは、志貴皇子が詠んだ歌の心を受け継いでいるように思いました。
万葉集の時代、芽吹きの美というと柳に感じていました。万葉集の中でも「早蕨」は特異なものです。
蕨を詠んだものは万葉集ではこの歌のみで、「早蕨」という言葉の響きには”早春”という命が再生する瑞々しい季節感を印象付ける力が込められいて心惹かれます。
春の到来の歓びが清々しく伝わってきて、今も歌の心は受け継がれています。
平安時代には、「岩そそぐ垂氷のうへのさわらびの萌えいづる春になりにけるかな」という詞の形で古今和歌6帖や和漢朗詠集に載せられました。神聖で、春の到来を告げる証として紫式部は巻名を「早蕨」としたと考えられます。志貴皇子の歌は、「岩そそぐ垂氷のうへのさわらびの萌えいづる春になりにけるかな」という形で新古今和歌集にも選ればれており、後世の琳派にも受け継がれていると思われます。
平明で力強い詞の響きを書で表しました。料紙には素朴な味わいの和紙を選びました。
“Sawarabi”
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