なでしこの露

nadesiki-no-tuyu

山がつの垣ほ荒るともをりをりに 哀れはかけよ撫子の露(右:第2帖「帚木」夕顔)
山がつの垣ほに生ひし撫子の もとの根ざしを誰れか尋ねむ(左:第26帖「常夏」玉鬘)

『源氏物語』のなかで夕顔と玉鬘の母娘の絆を「撫子(なでしこ)」の花に込めた和歌です。
第4帖「夕顔」のなかで、紫式部は夕顔の花について次のように書いています。

『かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。花の名は 人めきて、かうあやしき 垣根になむ咲きはべりける』 と夕顔の花のイメージを述べています。「花の名前は人のようで、このような粗末な家の垣根に咲いているもの」と表現しており、夕顔の隠れ住む家の周囲の気配から、両親を亡くした中流貴族の娘という身の上が偲ばれます。また、夕顔の花は高貴な貴族にとっては身近に見られない大変珍しい、神秘的なものでした。第4帖「夕顔」は、夕顔の花の神秘性によって展開されています。

右の歌は夕顔の詠んだ歌です。「撫子」に愛児を想起させる伝統的な常套表現です。我が子を可愛がって欲しいと来訪を促すものです。
左の歌は夕顔の娘、玉鬘の歌です。『山がつの垣ほに生ひし撫子の』と右の夕顔の歌を受けながら、源氏の詠んだ『撫子のとこなつかしき色を見ば もとの垣根を人や尋ねむ』に答えたものです。母の元を誰が尋ねましょうかと返したものです。
夕顔の平凡な歌と対比させることで、玉鬘の人となりが際立ってみえます。
玉鬘の歌は、古今和歌集にある『あな恋し今も見てしか山がつの 垣ほに咲ける大和撫子』(読人しらず)を踏まえているとされています。

玉鬘の歌での「撫子」は、紫式部が夕顔の花に込めたものと同じく山里の粗末な家の垣根に咲いているような花として捉えており、「撫子」の花によって母の身の上を伝えています。また、「山がつ」については、第4帖「夕顔」のなかで『物の情け知らぬやまがつも』と書いており、物の情趣もわからないという意味も込めていると思われます。
また、「撫子」の花に母の命の儚さを重ね、花の色香は移ろいやすく儚いものとも暗示しています。玉鬘は幼少で母を亡くしてから、都を離れて鄙(ひな)の地で暮らしてきたことに引け目を感じています。紫式部は、玉鬘を紫の上と同様な境遇に置きながら、内大臣となった頭中将の娘であり源氏の養女となっても、自分の身は取るに足らないもの、人数に入らないものと思う心情を「撫子」の花に込めたと思われます。玉鬘の歌からは、河原撫子の楚々と咲く花の風情が思われて思慮深く、謙虚な人柄が伝わってきます。

’Genji Monogatari Yugao&Tamakazura”

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