夏草のみどり若葉雨をうけてなびく姿はみるも涼しき (後伏見院)
Natugusa no midori wakaba ame wo ukete nabiku sugata ha miru mo suzushiki (Gofushimi no in)
鎌倉時代後期、乾元二年(1303年)に行なわれた『仙洞五十番歌合』で「夏雨」という題で詠まれた一首を書で表しました。
爽やかな新緑の瑞々しさが心地よい、清新な印象の夏の叙景歌です。雨の音も清々しく聴こえてきて、夏草、新緑の青葉の鮮やかな色彩としなやかで流れるような動きも感じられます。自然の中で起こる現象を五感で捉え、心に従って詠んだ感動がまっすぐに伝わってきます。
平安末期~鎌倉時代初めの中世の始まりに、戦乱の世で西行は山懐に抱かれる世界に生きて自然観照の歌を詠み、藤原定家は戦乱の世とかけ離れた歌の世界で詞に磨きをかけ「新古今集」に昇華させていきました。
その後、藤原定家の子から孫へと和歌が継承されていくなかで、御子左家(二条家)、冷泉家、京極家の3つの流れに分かれ、歌壇は御子左家の二条派が主流となりました。「新古今集」以降、目新しさが見出せなくなった歌壇に新風を興したのが、藤原定家の曾孫にあたる京極為兼が中心となった京極派と呼ばれる流れです。
『仙洞五十番歌合』では、為兼を中心とした京極派の歌人によって「古今集」以来の勅撰和歌集の伝統に最後の輝きを放った「玉葉集」・「風雅集」の布石となる、斬新な視点を持った秀歌が多く生み出されました。「玉葉集」・「風雅集」は、「古今集」・「新古今集」が原点に立ち戻って「万葉集」を拠り所として新たな境地を開いていったように、同じく原点に立ち戻り「万葉集」に拠り所を求め、「心」を重視しました。
また、「玉葉集」・「風雅集」は、動乱が続いた不安定な時代背景があり、心の拠り所として自然を求めたていったことは自然観照を深めていった歌境に反映されています。
京極派の歌人の特徴として、雨を好んで詠じたことは「玉葉集」・「風雅集」によく顕れています。四季それぞれの季節を雨で表現し、他の勅撰集と比較して歌数が突出しています。
また、他の勅撰集と比較して季節によって歌数の差が大きくないのも、雨を四季を通じて観察し、自然観照を深化させていった表れと思います。
そのなかで、「玉葉集」・「風雅集」に「五月雨」とは独立した歌題として「夏雨」が配列されています。「玉葉集」では、「卯の花」「時鳥(ほととぎす)」の後、「風雅集」では「卯の花」の後と夏の初めに配列されています。「玉葉集」・「風雅集」に採られた歌数としては1~2首と少ないですが、長雨の「五月雨」の情趣とはっきりと区別し、初夏の情趣にこだわりを持って「夏雨」と季節の名を入れて題としたことは、「玉葉集」・「風雅集」夏部の歌題の配列が伝えています。