色変えて

yamabuki-16-2

雪とのみ桜は散れるこのしたに色かへて咲く山吹の花(玉葉和歌集:二条為世)
Yuki to no mi sakura ha chireru ko no shita ni iro kahete saku yamabuki no hana
(Gyokuyouwakashū:Nijyou Tameyo)

深まり行く春。白雪のように桜の花びらの散り敷いた景色から視線を移した先にある山吹の花によって、明るく華やいだ季節の到来を伝えています。『玉葉和歌集』(春下)に撰集されている一首です。

この一首を詠んだ二条為世(にじょうためよ)は、藤原俊成(ふじわらのとしなり)より藤原定家(ふじわらのさだいえ)、藤原為家(ふじわらのためいえ)と受け継がれてきた御子左家(みこひだりけ)の嫡流として鎌倉後期から南北朝時代にかけて活躍した歌人です。
二条家を背負う為世は、祖父や父から歌道を受け継ぎ、伝統的な歌風を守り伝えました。為世の祖父にあたる為家の子は、二条・京極・冷泉の三家に分立して対立し、為世の時代も対立が続いていました。

『玉葉和歌集』が撰定された時代、為世は京極家の為兼と撰定を巡って激しく対立しました。対立の末、『玉葉和歌集』は為兼が撰者となり、為兼主導で撰定されました。為兼を中心とした、京極派の和歌は二条家が受け継いでいる伝統的な本歌取りや枕詞・縁語・掛詞などの旧来の修辞法に捉われず、”心のままに詠む”ことを理想としました。また、為兼は感情と融合して詠まれることが多かった自然を、感情を加えず純粋に自然観照して歌に詠むことを目指しました。

『玉葉和歌集』の撰集にあたっても為兼の思想が反映されています。
刻々と変化する光や風、雨、雲、霧、霞などの自然事象のなかに『古今和歌集』以来の伝統的な題材を鮮明に捉えることで、和歌に奥行と広がりを出した京極派の歌風は、『玉葉和歌集』にもその特異性が現われています。自然を大観して流動美を見出した京極派の和歌は、動的といっても急激な変化ではなく、情調が損なわれないような緩やかな変化を五感によってに捉えて詠じました。

為世とは対立関係にあった為兼ですが、『玉葉和歌集』にあたっては公正な歌の評価によって撰集した姿勢が現われています。為世と為兼の曾祖父にあたる藤原定家は69首と第一位の伏見院の93首に次ぐ入集となっています。為世と為兼の祖父にあたるた為家は51首、為世の父にあたる為氏は16首、為世は10首撰ばれています。
 
そうした背景から為兼が撰んだ一首として為世の歌をみてみると、”色かへて咲く”という句によって、色彩の対比による鮮明な印象とゆったりとした時間の推移を表現したところに玉葉風の清新さを見出したことが窺えます。

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