野辺の早蕨

まだきにぞ 摘みに来にける はるばると 今もえ出づる 野べの早蕨(堀川百首:祐子内親王家紀伊)
Mada ki ni zo tsumi ni kini keru harubaru to ima moe izuru nobe no sawarabi
( Horikawahyakusyu : Yushi nai shin nou ke ki i )

平安時代末期、院政時代に成立した『堀河百首』(堀河院御時百首和歌)の春部で「早蕨」(さわらび)を歌題とした中で詠まれた一首です。『堀河百首』は、長治2年(1105年)に堀河天皇に奉献されたとされ、当代を代表する歌人たちが詠んだ、百題百首からなるものです。その中の一首を詠んだ紀伊は、後朱雀天皇の皇女、祐子内親王の女房として仕え、院政期を代表する女流歌人の一人として、余情豊かで格調高い歌を詠みました。

早蕨は、『万葉集』に撰集されている志貴皇子の

いはばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも

で詠まれた、雪が解け、勢いよく谷川が流れる音を背景に早蕨と出会った感動を「春になりにけるかも」という詞で想いを込めたように、春到来の歓びが託されています。

芽吹いたばかりの早蕨は、春到来を告げる証(あかし)として歌に詠み継がれました。『源氏物語』第48帖「早蕨」で、山寺の阿闍梨(あじゃり)が土筆(つくし)や蕨を神仏や主君にささげる”初穂”として中の君に贈られたように、初物の蕨が神聖な供物として扱われていたことが窺えます。「早蕨」が春の証とされた背景については、「春のしるし」(2015年1月5日)の記事を参照ください。

紀伊の「早蕨」を詠んだ一首は、はるばると野辺に蕨を摘みにやってきたところ、蕨は萌え出たばかりであったと待ちきれない想いを詠みました。
芽吹いたばかりの神聖な蕨の瑞々しい生命感によって、春を迎える歓びを伝えた一首を書で表しました。

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