植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

浮雲の影

夕日さす 落葉がうへに 時雨過ぎて 庭にみだるる 浮雲のかげ(風雅和歌集:光厳院)
Yuhisasu ochiba ga uheni shigure sugite niha ni midaruru ukigumo nokage
( Fugawakashu:Kougonin )

夕日の射す落ち葉の上に通り雨が過ぎて行き、庭にその一群の浮雲の影が乱れてみえると詠まれた一首。『風雅和歌集』冬歌で「立冬」に続き、「時雨」を歌題とした一群に排列されています。

『風雅和歌集』は、鎌倉時代に『新古今和歌集』が成立して以降、停滞していた歌壇に京極為兼(きょうごくためかね)を中心に新風を興した京極派による勅撰和歌集です。一首を詠まれた光厳院(こうごんいん)は、南北朝時代の動乱期を背景に、京極派の流れを継承した花園院の企画監修により、第17番目の勅撰和歌集『風雅和歌集』の撰者となり撰集されました。

『風雅和歌集』を企画監修された、花園院による序文、仮名序には新古今時代に心を寄せ、歌集に託したことが記されています。その背景として花園院が執筆された日記、『花園天皇宸記(しんき)』元弘二年(1331年)三月の記述のなかで、千載・新古今時代を代表する藤原俊成(ふじわら の としなり)・藤原定家(ふじわら の さだいえ)親子による、それぞれの歌論について、以下のように評しています。

「 俊成卿所抄古来風体、尤得和歌意、見彼書等、自可察也。
定家卿僻案抄又可然惟物也。古来風体者、太以至深奥物也。」

俊成卿が執筆した『古来風体抄(こらいふうていしょう)』は、古来から詠み継がれてきた和歌の本質、理想的な姿を良く捉えている。その書物を見れば明らかである。定家卿の『僻案抄(へきあんしょう)』もまた、相応に評価できる。しかし、俊成卿の『古来風体抄』は、非常に奥深いものである。

花園院による『風雅和歌集』の仮名序のなかで歌集に込めた一文は、以下のとおりです。

「 元久のむかしのあとを尋ねて、ふるきあたらしきことば、目につき心にかなふをえらびあつめてはたまきとせり、なづけて風雅和歌集といふ 」

花園院が執筆された仮名序に記された、「元久のむかしのあとを尋ねて」とは、鎌倉初期『新古今和歌集』が成立した頃を指します。この記述から花園院が藤原俊成・定家親子の歌論を学び、享受した理念、志が歌集の名に託されたことが窺えます。

また、京極派の勅撰和歌集『玉葉和歌集』『風雅和歌集』では、『古今和歌集』をはじめ、他集と比較して冬歌の総歌数が多いところにも特徴が表れています。

勅撰和歌集の冬歌は、古今29首、後撰65首、拾遺48首、後拾遺48首、金葉52首、詞花21首と歌集の規模に従い歌数も上下しています。それに続く『千載和歌集』の冬歌は90首撰集されており、時代が進むにつれて歌数も増えました。『新古今和歌集』では156首、撰集されています。

『新古今和歌集』に続く、『新勅撰和歌集』~『新後撰和歌集』の冬歌では、歌集の規模により74~146首ほどの歌数で推移しています。京極派による勅撰集の冬歌は、千載・新古今と同様に撰集された歌数も多く、『玉葉和歌集』203首、『風雅和歌集』174首と他集と比較し、その特異性は数量的に明らかです。玉葉・風雅の冬歌では、冬の冷え冷えとした静けさ、厳しさ、侘しさに美を見出した中世の美意識が、色濃く反映されていることが窺えます。

また、勅撰集の冬歌の歌題「時雨」は、紅葉を色づかせ、冬到来を告げる風物として、『古今和歌集』より採り上げられています。『古今和歌集』冬歌巻頭に排列された歌は、「時雨」を題材に立冬を詠まれた次の一首です。

竜田河 錦おりかく 神な月 しぐれの雨を たてぬきにして(よみ人しらず)

紅葉の名所、竜田川に錦を織り込んだような艶やかな紅葉。冬の始まりの神無月の通り雨の雫が、縦糸と横糸として織り込んだ織物のように、艶やかさを一層引き立てていると詠まれたものです。

冬の風物「時雨」は、『古今和歌集』の1首に始まり、勅撰和歌集の冬歌の歌題として受け継がれ、『千載和歌集』の頃になると16首、それに続く『新古今和歌集』19首と歌数も増えました。玉葉・風雅の冬歌でも千載・新古今と同様、冬を告げる「時雨」は「雪」に次ぐ冬歌の主要な歌題として深化していきました。

『風雅和歌集』の「時雨」を詠まれた光厳院(こうごんいん)の御歌は、夕日に照らされた落ち葉に冷たい雨が通り過ぎ、雨が止んだ空に漂う形の定まらない浮雲を凝視しています。時間の推移を天象の変化によって、鮮明に捉えたところに京極派の特性が表れています。浮雲から洩れる薄明は、閑寂な冬へと季節が進む気配を重層的に奥深く伝えます。

落ち葉に降り注いだ通り雨を降らせた浮雲を光線の陰影により、緩やかな時の流れで捉え、冬へと移ろう夕景を詠まれた一首を書で表しました。

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荻の枯葉

庭のおもに 荻の枯葉は 散りしきて 音すさまじき 夕ぐれの雨(風雅和歌集:覺圓)
Niwa no omo ni ogi no kareha ha chiri siki te oto susamajiki yuugure no ame
(Fuugawakashū:Kakuen)

荻の枯葉が散り、一面敷き詰められた庭。その上に夕暮れの雨が音を立て、降り注いでいると詠まれた一首。
秋にはさらさらと風を受けて靡いていた荻の葉。北風に吹き寄せられ、荻の枯葉は冷たい雨に打たれ、激しく音をたてます。秋から冬へと移ろう時季、寒々とした庭の情景に寄せて詠まれた一首は、『風雅和歌集』秋歌下で「暮秋」を歌題とした一群に排列されています。

『風雅和歌集』は、保守的な二条派に対し、革新的な歌風を興した京極派の花園院の企画監修により、光厳院(こうごんいん)が撰者となり、南北朝の対立や公武の紛争が激化した時代に編まれました。覺圓(かくえん)の詠んだ一首は、” すさまじき ”という言葉で表現された、荒涼とした情景の中に美を見出しており、京極派歌人の感性と時代背景が表れています。庭の荻の枯葉を視覚と聴覚によって観照し、冷え寂びた世界が広がります。

自然の風物を天象の働きの中で眺め、墨一色で描かれる水墨画のような境地で詠まれた一首を書で表しました。

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月に白菊

さえわたる 光を霜に まがへてや 月にうつろふ 白菊の花( 千載和歌集:藤原家隆 )
Sae wataru hikari wo shimo ni magahete ya tuki ni usturofu shiragiku no hana
( Senzai Wakashū:Fujiwara no Ietaka )

月の光を自然観照の中心に詠まれたところに家隆ならではの歌風が表れた一首。家隆の一首は、平安末期~鎌倉時代へと移り変わる源平の争乱を背景とした時代に編纂された第7番目の勅撰集、『千載和歌集』秋歌下で、「菊」を歌題に詠まれた一群に排列されています。

秋は澄み切った境地を月の光に託すのに最も相応しい季節。一首は、家隆独自の研ぎ澄まされた美意識を霜・月・菊と白い景物を重ねて詠み込むことで静寂な世界を際立たせています。

晩秋、白菊は霜が降りる頃、紫に花色は移ろいます。家隆の一首からは、月の光に照らされた白菊は、花色は白か紫か、はっきりとはしておらず、白一色の冬の穢れのない清浄な世界へと移ろうことを予感させます。

秋から冬へと季節の推移を白を基調に詠まれた一首を書で表しました。

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柞(ははそ)の紅葉

佐保山の 柞(ははそ)のもみぢ 散りぬべみ 夜さへ見よと 照らす月影 (古今和歌集:よみ人しらず)
Sahoyama no hahaso no momidi chirinubemi yoru sahe miyo to terasu tuki kage ( kokin Wakashū : Yomihitoshirazu )

奈良の佐保山の雑木林の色づく木々の葉。今にも散ってしまいそうなので、夜さえも見よと月影が照らしていると詠まれた一首。一首は、『古今和歌集』秋歌下で「菊」を歌題とした歌に続き、冬を前に「落葉」を歌題とした一群に排列されています。

柞(ははそ)とは、里山の雑木林に林立する、コナラやクヌギなどのドングリのなる落葉高木をいいます。落葉前には黄色、赤褐色、茶褐色など、一葉ごとに色づき加減にも変化に富み、山野を彩り豊かに輝かせます。

雑木林の木々の紅葉が月光に映えて輝きを増し、月も落葉してしまうのを惜しむかのように照らしていると捉えた一首は、自身の紅葉への深い愛惜を月に投影しています。

落葉前の秋の澄んだ冷気の中、ひと時の里山の煌めきを詠まれた一首を書で表しました。

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薄紅葉

夕づく日 むかひの岡の 薄紅葉 まだき さびしき 秋の色かな(玉葉和歌集:藤原定家)
Yufu duku hi mukahi no oka no usumomiji madaki sabisiki aki no iro kana
(Gyokuyou wakashū:Fujiwara no Sadaie)

夕日が射す向いに見える丘の紅葉。まだ薄紅葉であるが、秋の寂しさを感じさせると詠まれた一首。定家の詠んだ一首は、伏見院の院宣によって京極為兼が撰定した『玉葉和歌集』秋歌下で、「薄紅葉」を歌題とした一群に排列されています。『新古今和歌集』以降、新味が失われた歌壇に新風を興したのが、藤原定家の曾孫にあたる京極為兼が中心となった京極派と呼ばれる流れです。

『玉葉和歌集』では「薄紅葉」から次第に秋が深まり落葉前の、冬へと移ろう季節の推移を歌の排列によって伝えています。「薄紅葉」は中秋の頃、木の葉に緑の残る、淡く色づき始めた紅葉をいいます。一首は、色づき始めたばかりの紅葉が、夕日に照り映えて深秋の趣を感じさせます。

定家の一首は、四季の中でも色づく葉色が織りなす、色彩豊かな深秋を想起させるイメージを夕日の光線によって感じ取り、「秋の色」という言葉によって季節に漂う気配を表現しています。

京極派では「いろ」を色彩を表す以外に、「春の色」「秋の色」といった「いろ」という言葉を用いることで、季節の気配・風情・情趣などの意を表したところに特異性が表れています。

定家の一首は、「秋の色」という言葉によって、色艶やかな紅葉に彩られた落葉前の秋の物悲しい情趣を想起させます。定家が季節の気配を「いろ」という言葉に託し、イメージを浮かび上がらせた表現が、京極派の歌人に響いたように思われます。

四季の中でも豊かな色彩美を見せる秋の印象を「いろ」という言葉を用いて繊細に表現された一首を書で表しました。

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野辺の秋

小倉山 ふもとの野辺の 花すゝき ほのかにみゆる 秋のゆふぐれ(新古今和歌集:よみ人しらず)
Ogurayama fumoto no nobe no hana susuki honoka ni miyuru aki no yufugure
( Shinkokinwakashū:yomihitoshirazu )

仄暗いという名の小倉山。秋の夕暮れ、山のふもとの野辺一面に生える薄の穂が微かに見えると詠まれた一首。小倉山は和歌に詠み込まれる名所、「歌枕」として古くから数々の歌に詠まれてきました。一首は、山の名の「小倉」に仄暗いを表す「小暗(をぐら)」を掛けて詠まれています。

小倉山の山麓を詠まれた一首は、『新古今和歌集』秋歌上で、薄を歌題として詠まれた一群に排列されています。『古今和歌集』より、「薄」は「秋風」と組み合わせ、秋風に靡く花穂が揺れ動く様に託し、秋の情趣を詠まれた歌が勅撰和歌集に撰集されてきました。

『新古今和歌集』のよみ人しらずの一首は、秋風に大きく靡く動的な情景ではなく、夕暮れの暮色に包まれた野辺で、仄かな光の中でぼんやりと見える花薄の穂波を静的に捉え、暮色の色彩によって秋の情趣を捉えた視点に新味があります。暮色が醸し出す秋独特の物寂しい情趣を捉えたところが、新古今時代の歌人に響いたように思われます。

また、『新古今和歌集』では「薄」を歌材とした入集状況も前時代より増え、「秋風」との組み合わせの他、一首のように秋の暮色、露との組み合わせにより、秋の物哀しい情趣を繊細に表現できる歌材として発展しました。

暮色の薄明の中、薄の白く光る穂がぼんやりと浮かび上がる様を想起させる一首を書で表しました。

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露白き夜

竹の葉に 露白きよの 月のいろに 物さむくなる 秋ぞ悲しき( 五首歌合:永福門院 )
Take no ha ni tuyu shiroki yo no tuki no iro ni mono samukunaru aki zo kanasiki
( Gosyu uta awase : eifukumonin )

風によって物悲しさをかき立てる秋。竹の葉に置く露に月の色も秋の心を受け、愁いを帯びた色となっていくと詠まれた一首。

王朝的なものが影をひそめていく中世。鎌倉末期~南北朝の混沌とした時代に一首を詠まれた永福門院は、『万葉集』を拠り所に京極為兼が興した「京極派」を代表する女流歌人の一人として、為兼の唱える心を本位とした真実の感動を詠みました。

真直ぐに伸び立つ竹稈(ちくかん)に細葉を密に茂らせ、その葉に置く白露の放つ輝きが、ひんやりとした秋風に微かに靡き、揺れ動く様や音を想起させ、閑寂な気配を伝えます。冴え冴えとした月の光に照られ、露に濡れた竹の葉に置く露を宵闇に包まれ、明暗を際立たせて詠むことにより、静寂な秋の気配が鮮明に浮かび上がります。秋の気配を露と月の光によって表現された門院の御歌は、自然と一体となって凝視され、寂しい秋が来たのだという哀愁が深く漂います。

秋到来を白を基調とした竹の葉に置く露の清らかさを月の光を透し、悲哀の情を詠まれた一首を書で表しました。

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稲葉そよぎて

昨日こそ 早苗(さなえ)とりしか いつのまに 稲葉そよぎて 秋風の吹く(古今和歌集:よみ人しらず)
Kinofu koso sanae torishika itu no ma ni inaba soyogite akikaze no fuku ( kokin Wakashū :yomihito shirazu )

田植えの頃、苗代から早苗を取って田に植えたのは、昨日のことのように思われる。いつの間にか稲葉を秋風が吹いていると詠まれた一首。一首は、『古今和歌集』秋歌上で立秋を題とした2首に続き、秋風を歌題として排列されています。

田植えが終わったばかりの時節は、まだ小さな苗が水を張った田を青々と瑞々しい光景を見せていたことが、昨日のことのように思われ、月日の経つ速さが伝わってきます。秋の気配を秋風により、実りの季節の秋色へと移ろいゆく様を想起させます。一首は、秋風が田園風景の色彩を青々とした瑞々しい風景から、黄金色に色づく稲穂をそよがせる風景へと移ろうことを予感させます。

初秋の田園風景を清々しく簡潔に詠まれた一首を書で表しました。

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葛の裏風

神なびの 御むろの 山の葛かづら うら吹きかへす 秋はきにけり(新古今和歌集:大伴家持)
Kami nabi no mimuro no yama no kuzu kadura ura fuki kahesu aki ha ki ni keri
( Shinkokinwakashū::Ōtomo  no Yakamochi)

神が鎮座する御室(みむろ)の山に生い茂る葛の原。その葛の原に葉を裏返して風が吹き、秋到来を告げているのだ、と詠まれた一首。和歌が衰退していた時代に和歌の復興を目指した『古今和歌集』成立から300年。心を託す自然との関わり方も古代の人との隔たりも広がった新古今時代。

「立秋」を詠んだ一首は、和歌の伝統を『万葉集』を拠り所に新たな境地を切り開き、編纂された『新古今和歌集』の秋歌の巻頭に万葉歌人、大伴家持(おおとも の やかもち)の歌として撰集されています。

家持の歌として『新古今和歌集』に撰集された一首は、平安中期に藤原公任(ふじわら の きんとう)により、柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ)から中務(なかつかさ)までの三十六歌仙の歌を撰出してまとめた「三十六人歌合」を、平安末期に藤原俊成(ふじわら の としなり)が三十六歌仙の歌、各3首を選び直した「俊成三十六人歌合」の中で、家持の歌として撰歌されています。

俊成は、撰者となった第7番目の勅撰和歌集『千載和歌集』を『古今和歌集』の正調へと導きました。古典復興の機運の中、俊成が家持の秀歌として一首を採り上げたことからも、万葉歌人の家持の歌として『新古今和歌集』の秋歌巻頭に撰集されたことが窺えます。

また、一首は『家持集(やかもちしゅう)』の秋歌巻頭に排列されています。『家持集』は平安後期、藤原公任の選出した三十六歌仙から、各歌人の家集を集めた『三十六人家集』が編まれ、そのひとつとして『家持集」が伝わっています。全てが、家持本人と認められる作ではなく、他の万葉歌人の歌、作者不明の歌などが混在していますが、家持を思わせる優美で繊細な歌風の歌が撰集されています。

『新古今和歌集』の拠り所となった万葉歌人の歌については、「新古今和歌集序」の仮名の序文「仮名序」から窺えます。『新古今和歌集』の「仮名序」については、以下の記事に書きました。
「あめつちひらけはじめて」https://washicraft.com/archives/9985

『古今和歌集』以来、勅撰和歌集の四季部の秋歌は、「立秋」を歌題とした歌から始まります。
『古今和歌集』から『千載和歌集』までの秋歌の巻頭に排列された歌は次の通りです。

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかねぬる ( 古今和歌集:藤原敏行)
にはかにも 風の涼しく なりぬるか 秋立つ人は むべも言ひけり(後撰和歌集:よみ人しらず)
夏衣 またひとへなる うたたねに 心して吹け 秋のはつ風(拾遺和歌集:安法法師)
うちつけに たもと涼しく おぼゆるは 衣に秋は 来るなりけり (後拾遺和歌集:よみ人しらず)
とことはに 吹く夕暮れの 風なれど 秋立つ日こそ 涼しかりけれ(金葉和歌集:藤原公実)
山城の 鳥羽田の面(おも)を 見渡せば ほのかに今朝ぞ 秋風ぞ吹く(詞花和歌集:曾根好忠)
秋来ぬと 聞きつるからに 我が宿の 荻の葉風の 吹きかはるらん (千載和歌集:侍従乳母)

各勅撰和歌集の四季部の中で、最も歌数が多い秋歌の巻頭の歌題として受け継がれた「立秋」に寄せて詠まれた歌は、夏から秋へと移ろう季節の変化を風の音や肌に感じる体感など、感覚によって詠まれています。

『新古今和歌集』の秋歌の巻頭に排列された一首は、風によって秋到来を感じる初秋の情趣を”葛の裏風”を題材に詠まれたところに、『新古今和歌集』ならではの編纂意図が込められていると思われます。

草原の葛の葉が、風によって裏返り、葉裏の白を見せる光景を表した”葛の裏風”は、秋到来の風情を象徴する言葉として用いられ、多くの歌が詠まれてきました。家持の一首として撰集された歌は、「立秋」を風の便りによって鋭敏に感じ取り、表現された先駆的な歌として撰集されています。

また、『古今和歌集』恋歌には、一首の派生歌から次の一首が撰集されています。

秋風の 吹きうらがへす 葛の葉の うらみても猶 恨めしきかな( 古今和歌集 恋五:平貞文)

平安前期の歌人、平 貞文(たいら の さだふみ)の一首は秋風が吹き、白い葉裏をみせる葛の葉に寄せ、”裏見”に掛けて、葉裏を見ても恨み足りないと詠まれたものです。初秋の風物、葛の葉が秋風に吹かれる様に託し、葛の葉が風に翻り、葉裏の白を見せることから”裏見”は“恨み”と掛け、詠まれるようにもなりました。

また、”葛の裏風”という言葉を用いて詠まれるようにもなりました。”葛の裏風”を歌詞として詠み込まれた一例には、平安中期を代表する女流歌人の一人、赤染衛門(あかぞめえもん)が和泉式部(いずみしきぶ)に贈った一首が挙げられます。また、赤染衛門と和泉式部の贈答歌のやりとりは、『新古今和歌集』の雑歌下に撰集されています。

うつろはで しばし信太 (しのだ)の 森を見よ かへりもぞする 葛の裏風( 赤染衛門 )

心変わりしないで、信太の森を見守りなさい。葛の葉が風に翻るように、戻って来ることもあるのですと詠まれたものです。

秋かぜは すごくふくとも 葛葉のうらみがほには みえじとぞおもふ(和泉式部)

赤染衛門の返歌として和泉式部は、秋風が吹き、葛の葉が風に翻って葉裏を見せても、恨み顔はみせたくありませんと詠まれたものです。

『新古今和歌集』の秋歌巻頭に排列された一首は、私的な歌ではなく、自然への畏敬の念を込め、神の鎮座する神聖な山の風の気配を題材に観照しています。『古今和歌集』で秋到来をさりげなく詠まれた敏行の一首のように、鋭い感力によって秋の情感を感受し、なだらかに格調高く詠まれています。

「立秋」に寄せ、秋の気配を風に託して詠む、伝統的な”葛の裏風”の発想の魁として採り上げられた一首を書で表しました。

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葵草

むら雨の 風にぞなびく あふひ草 向かふ日かげは うすぐもりつつ(壬二集:藤原家隆)
Murasame no kaze nizo nabiku afuhi gusa mukafu hikage ha usugumori tutu
(Minishū:Fujiwara no Ietaka)

村雨を吹き寄せる風に靡く葵草。葵草の花が顔を向けている日の光は雲に覆われて行く、と詠まれた一首。一首を詠んだ藤原家隆(ふいわら の いえたか)は、新古今時代を代表する歌人です。

一首は、『老若五十首歌合』にて「夏」を歌題として詠まれたものです。

「葵草(あおいぐさ)」とは、「立葵(たちあおい)」の古名です。梅雨入りの頃から咲き始め、梅雨の季節の花として古来より親しまれてきました。古くは、「唐葵(からあふひ)」とも呼ばれました。『枕草子』第66段「草は」にて、「唐葵、日の影にしかたひて かたふくこそ、草木といふべくも あらぬ心なれ」と評しているとおり、天に向かって伸びやかに直立した草姿と夏の太陽の光に顔を向け、咲き続ける様が賛美されてきました。

家隆の一首は、雨風を受け、靡く立葵のしなやかな花びらに射していた日の光が弱まり、鮮やかな花色が翳っていく様に梅雨の時節を捉えています。

梅雨時の情趣をたおやかに詠まれた一首を書で表しました。

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