カテゴリー別アーカイブ: 植物と文学:Plant in the literature

檜扇

橙色の花色が色鮮やかで夏らしさを感じるヒオウギ。花びらに入る紅色の斑点が花を立体的にみせ、夏の勢いを感じさせます。花後にできるさやから晩秋、黒く光沢のある種子が現れます。古来よりその黒い実は、烏羽玉(うばたま)、または射干玉(ぬばたま)と呼ばれ、黒からイメージされる夜や黒髪の枕詞として和歌に詠まれてきました。細かく分岐する茎先の細やかな風情を和紙で表し、幅広く剣状の力強いヒオウギの葉を省き、和紙による草の葉を添えました。

” Blackbery lily”

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月の桂

春霞 たなびきにけり 久方の 月の桂も 花や咲くらむ (後撰和歌集:紀貫之)
Haru kasumi tanabiki ni keri hisakata no tsuki no katsura mo hana ya saku ramu (Gosen Wakashū:Ki no Tsurayuki)

春霞がたなびく季節の到来に寄せ、月の桂にも花が咲くと思えるほど、うららかな春の気配を実感できると詠まれた一首。

”月の桂” とは、古代中国の伝説の中にある、月に生えているといわれる桂の大木をいいます。月の桂に掛かる枕詞、”久方の”は永遠なものという意味が転じ、月をはじめとして天空に関わるものに使われてきました。春霞がたなびく春の象徴的な風景を月に想いを馳せて、天にも地にも春の気配が広がっていることを印象付けています。
日本の山野に自生する桂は、真直ぐに天に向かって伸び大木となり、春には控えめな花が展開します。山野に自生する桂の木と中国の伝説の月の桂にイメージを重ねたスケールの大きさを感じる一首です。

壮麗な春景色に寄せた一首を書で表しました。

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紅梅

梅の季節。厳冬に耐えて迎える春の訪れの魁となるのが梅の開花です。中国から渡来した梅は、万葉時代には白梅の白さが愛でられました。平安時代になると艶麗な紅梅が愛でられました。『枕草子』の中で清少納言は、「木の花は、こきもうすきも紅梅」と木々の花の中で第一に紅梅をあげています。

画像は『源氏物語』紅梅の巻よりイメージした作品です。『源氏物語』でも随所にこの時代、紅梅が愛でられていたことが人物の人となりを示すものとして表現されています。玉鬘の巻では、源氏が紫の上のために正月の晴れ着として選んだのが、紅梅襲(かさね)の彩りです。紅梅の巻で匂宮が贈られた紅梅を賞賛したのは、紫の上を想起させます。紅梅をこよなく愛した紫の上を偲び、花色に込めました。

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紅梅に寄せて 

1月23日から開催されます「Decorative Greetings exhibition 」のご挨拶をハガキでというテーマに沿い、手紙を題材としてハガキサイズで展開した作品です。

四季折々の風景の微妙な変化を繊細な感性で愛でてきた日本では、気持ちを伝える手紙にもその心が反映されてきました。ハガキでの時候の挨拶、季節の草花が描かれたハガキを選ぶなど、気持ちを伝えるハガキの中にも四季折々の季節感が込められてきました。

そうした日本の伝統を辿り、自分の想いを相手に伝えるため、平安時代の貴族の間では文字を書き記す手紙に使う素材を吟味し、季節の植物を添えたりするなどさまざまに創意工夫を凝らしたことに着目しました。平安時代の雅な手紙のやり取りについて『源氏物語』のなかで紫式部は、文付枝(ふみつきえだ)の贈答によって人の心を動かしたことを物語に綴っています。

画像の作品は、『源氏物語』第43帖「紅梅」より、柏木の弟、按察(あぜち)大納言が庭にある紅梅を一枝折らせ、「心ありて風の匂はす園の梅にまづ鶯のとはずやあるべき」と匂宮に訪れて欲しいものと紅梅に歌を添え、匂宮の元へ贈った場面を題材に文付枝と和歌を書で表した作品です。

文を受け取った匂宮が、白梅に劣らぬ香を持つと賞賛した紅梅を枝に結んだ手紙の配色で表現しました。平安時代の装束の襲(かさね)より、梅襲(うめかさね)の取り合わせのひとつ、表白・裏紅の白梅をイメージした白梅襲の配色です。紅梅に白梅の香りを想わせるという趣向のものです。 また、和歌を書いた文は紅梅に合わせ、落ち着いた紅色に継ぎ紙風の装飾を施しました。

「Decorative Greetings exhibition 」
飾って素敵、 贈って楽しいご挨拶 ポストカード展示販売展

1月23日(火)~2月4日(日) 
12:00~19:00(最終日17:00)29日休廊

ギャラリーダズル( 東京 北青山 )http://gallery-dazzle.com/

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難波の春

津の国の 難波の春は 夢なれや 蘆の枯葉に 風わたるなり(新古今和歌集:西行)
Tsu no kuni no naniha no haru ha yume nareya ashi no kareha ni kaze wataru nari (Shinkokin Wakashū:Saigyō)

摂津の国、難波江の冬景色を詠んだものです。『新古今和歌集』の冬部では、落葉に始まる季節の推移の中で冬枯れを歌題として詠まれた一群に排列されています。難波江は、イネ科の多年草の蘆(あし)の群生する名所として『万葉集』の時代より、歌に詠まれてきました。春夏秋冬それぞれの季節を映す風物として、数々の秀歌を生み出しました。

西行の一首は、次の歌を本歌としています。

心あらむ 人に見せばや 津の国の 難波あたりの 春のけしきを(後拾遺和歌集:能因)

物のあはれを解する人には見せたいものです。津の国の難波辺りの春の景色を、と感動を詠んだものです。

西行は、能因(のういん)の歌を踏まえ、古歌に詠まれた蘆(あし)の芽吹きの美しかった難波江の春景色は夢だったのだろうか。今は、難波江には蘆(あし)の枯葉に寒々と風が吹きわたるばかりである、と現実の世の無常感を詠んでいます。

西行は、蘆(あし)の若葉が芽吹いた難波江の春景色を見ていません。下句に詠まれた西行がみている、現実の厳しく荒涼とした景色の表現が、春景色の素晴らしさを想わせます。また、能因の詠んだ一首を想起させる ” 難波の春 ” という言葉の優しい響きは、夢のような美しさを引き出します。能因の一首によって確立された難波の春景色が背景としてあることで、その対極にある冬の季節の侘しさが心に深く沁み入ります。

蘆(あし)の特性を生かし、再生する春の芽吹きの美ではない、冬の静寂な枯淡を詠んだところに中世の幽玄美が表れています。蘆(あし)を題材に中世の時代を映した一首を書で表しました。

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桐の葉

桐の葉もふみわけがたくなりにけり かならず人を待つとなけれど(新古今和歌集:式子内親王)
Kiri no ha mo fumiwake gataku nari ni keri kanarazu hito wo matsu to nakere do (Shinkokin Wakashū:syokushi naishinnou)

桐の落葉が深く積もり、庭の道も踏み分け難くなってしまいました。人が訪ねて来るのを待っている訳ではないけれども、と秋の情感を詠まれた一首。

『新古今和歌集』秋歌下で紅葉を歌題として落葉を詠んだ一群に排列されています。桐の落葉を詠まれたところに先例のない清新さがあり、桐の持つ崇高なイメージが伝わってきます。

この一首は、中国の唐時代の詩人、白居易(はっきょい)による詩文集『白氏文集』卷十三、「晩秋閑居」より発想を得たとされています。

地僻門深少送迎 地は僻(かたよ)り 門深く送迎少(まれ)に
披衣閑坐養幽情 衣を披(はお)り 閑坐し幽情を養ふ
秋庭不掃攜藤杖 秋庭掃(はら)はず 藤杖を携(たづさ)へ
閑蹋悟桐黄葉行 閑(しづか)に悟桐(ごとう)の 黄葉を踏んで行(あり)く

また、『古今和歌集』の遍照(へんじょう)の次の歌を本歌としています。

わが宿は道もなきまで荒れにけり つれなき人を待つとせしまに

式子内親王の一首は、それらの詩歌を消化して、内親王らしい細やかでしっとりとした情感を込め、晩秋閑居の心を詠んでいます。

落葉樹の中でも格別大きな葉を持つ桐。その一葉がはらりと微かに音を立てて落ち、踏み分けがたくなるほどになるほど積もることで長い時間経過を伝え、”あはれ”を誘います。小さな葉を密生させる楓や銀杏の落葉とは異なる、一葉の重み、かさかさとした音が伝わってきます。

「誰かを待っている訳ではないけれども・・・」と表現した下の句には、晩秋の侘しさに寄せて、世俗を離れて心静かな世界にあっても人恋しさが自然と滲み出ています。高雅な気品の中に温かさを感じる一首を書で表しました。

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