植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

梅が枝

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梅が枝になきてうつろふ鶯の はねしろたへにあは雪ぞふる (新古今和歌集:読人しらず)
Umegae ni naki te utsurofu uguhisu no hane shirotahe ni ahayuki zo furu
(Shinkokin Wakashū:unknown )
梅枝尓 鳴而移徙 鶯之 翼白妙尓 沫雪曾落(万葉集:巻十)

春を告げる鶯と梅。万葉の時代より、鶯の声は春を告げるものとして歌に詠まれてきました。
画像は、『万葉集』の原文と仮名で表記したものを書き並べたものです。表記によって、歌の印象も違ってみえます。平安時代に、漢字から日本独自の仮名文字が誕生したことにより、文字の表記の様式美が和歌や物語などの文芸と関わり合いながら、余情と余白を生み、心の世界を広げていくことに繋がりました。

古代、万葉時代の人が純白を表現するのに「白妙」という言葉に神聖、荘厳、純粋なものを込めました。淡雪を「白妙」と表現したところに新古今的なものを感じる一首です。新古今時代の歌人たちが「白妙」という言葉には”あはれ”を想い、艶なるものを感じ取っていたことは、『新古今和歌集』のなかによく現われています。

一例として、山部赤人(やまべのあかひと)の歌が『万葉集』から撰集されています。

田児の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける(万葉集:巻三)
田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ(新古今集:冬)

率直な赤人の歌を「真白」という直接的な詞から「白妙」と置き換え、新古今時代の歌風にアレンジされました。万葉の格調高い古歌に幽玄美が加わりました。

「梅が枝」の歌は、繰り返し詠まれてきた梅と鶯の題材を「白妙」と表現した淡雪のなかに詠んだところに優美で艶なる世界が創出されています。枝から枝へ動き回る鶯の動きはゆったりと優美に見えます。鶯の声も余韻を感じます。
この歌は、『新古今和歌集』の撰者の源通具(みなもとのみちとも)・藤原有家(ふじわらのありいえ)・藤原定家(ふじわらのさだいえ)・藤原家隆(ふじわらのいえたか)・飛鳥井雅経(あすかいまさつね)の5人が撰んだと定本に記されています。また、後鳥羽院(ごとばのいん)が隠岐島で『新古今和歌集』のを増補改訂して編まれた『隠岐本新古今和歌集』に撰んだ歌でもあります。このことは、この一首が如何に新古今時代の歌人たちの心を掴んでいたのかが窺えます。

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あめつちひらけはじめて

ametsuchi-

やまと歌は、むかし、あめつちひらけじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時、葦原の中国(あしはらのなかつくに:日本)の言の葉として、稲田姫素鵞(そが)の里よりぞつたはれりける。

『新古今和歌集』の仮名による序文、仮名序の書き出しを書で表したものです。仮名序を執筆したのは、時の摂政太政大臣藤原良経(ふじわらのよしつね:九条良経)です。藤原良経は、巻頭に配列された歌を詠んだ時代を代表する歌人です。藤原定家(ふじわらのさだいえ)や藤原家隆(ふじわらのいえたか)などの歌人を庇護し、成長を助けるなど新古今時代を支えました。『古今和歌集』を基盤とし、それを越えて新たな境地を切り開きたいという想いが序文に込められています。『古今和歌集』の序文につきましては、「雅」に想う(2015/1/14)に書きました。

『古今和歌集』は、人の心を植物の種に喩え、種から芽が伸びて葉が幾重にも広がっていくように人が発する「ことば」が歌であるところから始まります。それに対して『新古今和歌集』は、「ことば」の起源から始まります。和歌は、天地が開けはじめ、人の営みがまだ定まらなかった神話の時代より、人の暮らしのなかにあったことを伝えています。
上記に続くのが以下の文です。

しかありしよりこのかた、その道さかりに興り、その流れいまに絶ゆることなくして、色にふけり、心をのぶるなかだちとし、世をおさめ、民をやはらぐる道とせり。

和歌が衰退していた時代に和歌の復興を目指した『古今和歌集』成立から300年ほど時代は流れ、和歌の伝統は絶えることなく、世の中を治めたり、人民の心を和ませるものとして定まり、洗練を極めていたことを伝えています。300年の間に社会情勢が大きく変わりました。また、心を託す自然との関わり方も古代の人との隔たりも広がりました。

『新古今和歌集』では、繰り返し詠まれてきた和歌の伝統に新たな風を興そうとして『万葉集』を拠り所に新たな境地を切り開きました。
良経は、四季の部の構成についての大筋を、各部の代表する歌によって仮名序に記しています。

はるがすみたつた山に、はつ花をしのぶより、夏はつまこひする神なびのほととぎす、秋はかぜにちるかづらきのもみぢ、冬はしろたへのふじのたかねに、雪つもるとしのくれまで、みな、をり
にふれたるなさけなるべし。

春は、「ゆかん人こん人しのべ はるがすみ たつたの山の はつざくらばな」(春:大伴家持)
夏は、「おのがつまこひつつなくや さ月やみ 神なびやまの 山ほととぎす」(夏:読人しらず)
秋は、「あすかがわもみぢばながる かづらぎの やまの秋風 ふきぞしぬらし」(秋:柿本人丸)
冬は、「たごのうらにうちいでてみれば 白妙の ふじのたかねに雪はふりつつ」(冬:山辺赤人)

四季部の歌から撰ばれたものは、春・秋・冬は代表的な万葉歌人の歌となっています。夏については読人しらずとされていますが、定家の『明月記』の記事によれば、作者は後鳥羽院とされています。万葉の古歌の趣を持った歌です。良経は、万葉歌人の中に後鳥羽院の歌を読人しらずとして忍ばせたのではないかと思います。秋・冬の歌は、『万葉集』にある歌です。『新古今和歌集』において、『万葉集』を源としていることが現われています。

仮名序を執筆した良経は、万葉時代の生の感情表現を抑えつつも、技巧よりも内容を重んじ、真の心を率直に歌に詠みました。『新古今和歌集』の仮名序からは、編纂の命を下された後鳥羽院(ごとばのいん)に寄り添い、古歌を見直して和歌に新たな命を吹き込み、朝廷の権威を示したいとの強い想いが伝わってきます。

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ほのぼのと

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ほのぼのと春こそ空に来にけし 天(あめ)の香具山霞たなびく(新古今和歌集:後鳥羽院)
Honobono to haru koso sora ni kini kerashi ame no kaguyama kasumi tanabiku
(Shinkokin Wakashū:Gotoba no in)

立春を空の気配によって捉えた御歌。
後鳥羽院(ごとばのいん)は、『新古今和歌集』の編纂の命を下し、編纂にも深く関わったとされています。早くから和歌に御心を寄せられました。19歳で譲位されてからは、歌会や歌合など盛んに主催されました。その代表的な歌合が「千五百番歌合」です。
平安末期の平家の滅亡から鎌倉幕府の成立した時代にあって、和歌以外にも多彩な趣味、才能を発揮されました。承久元年(1219年)に鎌倉幕府の3代将軍源実朝(みなもとのさねとも)の暗殺を契機に執権北条義時(ほうじょうよしとき)と対立した承久の乱に敗れて隠岐島に配流となりますが、この地でも『新古今和歌集』の切り継ぎ(増補改訂)を熱心にされ、生涯をかけて『新古今和歌集』を慈しまれました。後鳥羽院の豊かな感性が『新古今和歌集』の成立に繋がっていると感じます。
御歌は、ほんのりとした春の穏やかな気配を古代から崇高な山として称えられてきた香具山に霞がたなびく様によって表現されました。香具山は、京から見て東にあたり、春は東の空からやってくると考えられてきました。

この御歌は、『万葉集』にある次の歌を本歌としています。
久方(ひさかた)の天の香具山この夕べ 霞たなびく春たつらしも(読人しらず)

『新古今和歌集』は、その名称の示すように『古今和歌集』を受け継ぎつつ、新たな境地を目指しました。さらに、その原点である『万葉集』に立ち戻り、『万葉集』にある歌からも撰集されました。『新古今和歌集』の仮名で書かれた序文、仮名序のなかで「かの万葉集は、歌の源なり。」と位置づけています。
後鳥羽院の御歌は、『万葉集』の本歌を踏襲しながら、”ほのぼの”と同じ初句に始まる『万葉集』にある「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れ行く舟をしぞ思ふ(読人しらず)」の歌にもみられる古の詞を慕いつつ、本歌のあるところを感じさせないゆったりとした自然な流れがあり、新たな世界を生み出しています。”ほのぼの”という初句に余韻を感じます。伸びやかで格調高い和歌の趣を書で表しました。

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水の白波

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降りつみし高嶺(たかね)のみ雪とけにけり 清滝川の水の白波(新古今和歌集:西行)
Furi tsumi shi takane no miyuki tokeni keri kiyotaki gawa no mizu no shiranami
(Shinkokin Wakashū:Saigyō)

早春、春の勢いを回復した自然を力強く詠んだ一首。
西行は、藤原俊成(ふじわらのとしなり)とほぼ同時代の歌人です。新古今和歌集では94首撰集されており、歌数では第一位となっていますが、新古今時代の姿美しく巧みに詠む歌風とは異なり、心を如何に詠むかということに重きを置きました。藤原定家(ふじわらのさだいえ)のいうところの感情を率直に表さず、妖艶を有心とした歌風より、俊成のいうところの余情に近く、生き生きとした生の感動を歌に詠みました。

冬の間に降り積もった峰の雪解水が流れ込んだ清滝川。水かさが増した清滝川からは、水音が爽やかに心地よく響いてきます。清滝川は、京都の北山から栂ノ尾(とがのお)・槇ノ尾(まきのお)、高雄の谷間に沿って流れ、桂川に注ぎます。清滝川の流域は、山と水の渓谷による風光明媚な景観が広がっています。静寂に包まれた冬が終わりを告げ、自然の造り出した渓谷を白波を立て流れる勢いある水の姿と音は、生命の鼓動を感じます。春の勢いが”水の白波”と結句を表現したところに春の到来の喜び、感動の余韻があります。きっぱりとした清々しさを感じる西行の歌を書で表しました。

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薄く濃き

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うすくこき野べのみどりの若草に 跡までみゆる雪のむら消え(新古今和歌集:宮内卿)
Usuku koki nobe no midori no wakakusa ni ato made miyuru yuki no mura kie
(Shinkokin Wakashū:kunaikyou)

早春、野辺の若草の緑をあるところは薄く、あるところは色濃く感じた心を雪がまだらに消えた形跡として表現した一首。

宮内卿(くないきょう)は、後鳥羽院(ごとばのいん)に若くして才能を見出された新古今時代を代表する女流歌人です。鎌倉時代の初め、建任元年(1201年)の後鳥羽院が主催された和歌文学史上最大の規模の歌合、『千五百番歌合』に奉った一首です。『千五百番歌合』は、時代を代表する藤原定家(ふじわらのさだいえ)、藤原家隆(ふじわらのいえたか)、寂蓮(じゃくれん)、藤原俊成女 (ふじわらのとしなりのむすめ:俊成卿女)など30人の歌人が後鳥羽院の命を受けてそれぞれ100首を奉りました。そのなかの一人として、10代の若さで選ばれて後鳥羽院に激励を受けて『千五百番歌合』に参加し、好評を得た一首です。
野辺一面に広がる若草を緑一色ではなく、早く萌え出たものは色が濃く草丈も高く、遅く芽吹いたものは色も薄く草丈も低く差があるところを”うすくこき”という詞で伸びやかに表現されたところが新鮮です。若草の色の差異によって前の季節の名残を伝えているところも創意を感じます。
若くして代表歌人として重んじられ、期待に応えたいと全力で優れた歌を詠もうとした宮内卿の歌のなかでも、爽やかな早春の季節を瑞々しい感性で詠んだ一首を書で表しました。

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山深み

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山深み春ともしらぬ松の戸に 絶え絶えかかる雪の玉水(新古今和歌集:式子内親王)
Yama fukami haru tomo shiranu matsu no to ni taedae kakaru yuki no tama mizu
(Shinkokin Wakashū:syokushi naishinnou)

深山での遅い春の到来の喜びをとぎれとぎれに落ちかかる雪解けの滴(しずく)に見出した一首。
式子内親王は、後白河天皇の皇女で和歌を藤原俊成に師事し、俊成の子の藤原定家とも親交があった、新古今時代を代表する歌人です。内親王薨去前年に、後鳥羽院に詠進した百首歌「正治初度百首歌」にある一首です。
円熟した静かな境地で自然観照したなかで、雪解けの滴(しずく)を”雪の玉水”と創意した結句の優美な詞によって、しっとりとした気品ある式子内親王独特の世界が広がってみえます。”絶え絶えかかる”という詞によって、とぎれとぎれに落ちる玉水を捉えた視点は、日本独特の”間”による情趣があり、春の訪れの喜びが繊細で美しい詞を引き立て心に響きます。

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柳桜の色紙飾り

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江戸の花雛の面影を泉鏡花の『雛がたり』を拠り所に『見渡せば柳桜をこぎまぜて 都ぞ春の錦なりける』(古今和歌集:素性法師)の和歌から着想したものを色紙に表しものです。

『雛がたり』は、鏡花が6歳、7歳の頃に記憶した雛の節句の思い出を辿っていくなかで、母の持っていた雛の幻想が春の情景のなかで綴られています。『雛がたり』では、素性法師の和歌以来の美意識が随所に現われています。例えば、「白酒を入れたは、ぎやまんに、柳さくらの透模様(すきもよう)」とあるように、柳桜と雛の節句の季節感を結びつけています。とくに『雛がたり』の終盤、橋詰めにあるしだれ柳の浅翠の枝によって河原に敷かれた緋毛氈に雛壇が飾られた幻想をみるところは印象的です。

しだれ柳は奈良時代に中国より柳に託されてきた文化と共に日本に渡来し、都の朱雀大路を中心とした街路樹をはじめ、川の護岸などに広く植えられ、春を象徴するものとして捉えられてきました。柳の枝には、強い生命力、繁殖力があり、幸福と健康、繁栄が託されてきました。11世紀に中国の宋時代の詩人、蘇軾(そしょく)は春の景色を「柳は緑、花は紅」と詠じました。花は色とりどりに咲き誇り、自然のあるがままに生きています。「柳緑花紅(りゅうりょくかこう)」は、あるがままの春景色の素晴らしさを例える言葉として用いられてきました。
また、しだれ柳の浅翠のしなやかな枝は機織や染物を司る春の女神とされた佐保姫の染めた糸に見立てられ、春風と取り合わせて数多くの和歌が詠まれました。『雛がたり』の終盤に柔らかい風によってめくれた緋毛氈がしだれ柳にからむ光景は、鏡花が風に春の到来を告げる佐保姫を感じ取り、雛の幻想が浮かび上がってみえたと思わせます。鏡花は、古からしだれ柳に込めらてきたものを背景に、浅翠という色名に込めています。

春の柔らかな風と瑞々しい浅翠のしだれ柳、そして山桜を柔らかな質感の和紙で表しました。色紙の正方形の制約と短冊の幅の制約を2つの素材を取り合わせ、幅と長さを出しました。

” Willow & Cherry Blossoms ”

「雅な雛のつどい展」
2016年 1月27日(水)~2月2日(火) 
日本橋三越本店 新館8階 ギャラリーアミューズ
http://mitsukoshi.mistore.jp/store/nihombashi/event/index.html

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志賀の浦

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志賀の浦や遠ざかりゆく波間より 氷りて出づる有明の月(新古今和歌集:藤原家隆)
Shiga no ura ya tohozakari yuku nami ma yori kohorite iduru ariake no tsuki
(Shinkokin Wakashū:Fujiwara no Ietaka)

志賀は、琵琶湖の西南岸にあたる地名で古来より歌枕として詠まれてきました。志賀にはかつて大津京がありました。謡曲『志賀』の題名にもなっている地名です。

家隆の歌は、詞書に「摂政太政大臣家歌合に、湖上冬月(こじょうとうげつ)」とあり、この歌は歌合で詠まれたもので、次の歌を受けているとされています。

さ夜更くるままにみぎやは凍るらむ 遠ざかりゆく志賀の浦波(後拾遺和歌集:快覚法師)

琵琶湖の岸辺から遠退いた波間から、有明の月が現われる景色を詠っています。
本歌を受けて岸辺が凍りつき、岸辺に打ち寄せているはずの波は遠退いている情景が浮かびます。岸辺が凍りつくほどの凛とした厳寒の風景でありながら、素直で温かい家隆の人柄が偲ばれて余情を感じます。

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琳派と蕨

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桃山時代から江戸初期、書・陶芸・漆芸・出版など多彩な分野で活躍した琳派の始祖である本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)。2015年、1615年(元和元年)に光悦が徳川家康より京都の洛北の鷹ヶ峰(たかがみね)の地を拝領してから400年経ちました。鷹ヶ峰は、丹波・若狭と山城(京都)を結ぶ重要な出入り口の一つとなっていました。光悦が京の中心から移され、鷹ヶ峰の地を拝領した経緯や家康の真意は明らかでありませんが、光悦が師と仰いでいた古田織部の自刃に関わりがあると思われます。
鷹ヶ峰を拝領したのと同じく1615年(元和元年)、大坂夏の陣の折に大坂方に内通した嫌疑をかけられ、織部は自刃に追い込ました。このことによる光悦の鷹ヶ峰に移住後の心境の変化は、書の題材として雅な和歌から、中国の古典、『楚辞(そじ)』にある屈原(くつげん)の孤高を象徴する詩とされている「漁夫辞(ぎょふのじ)」を好むようになっていったところに現われています。

光悦が木工、金工、漆工、蒔絵、螺鈿(らでん:貝細工)などの工芸技術を持った人々を結集しさせ制作に関わったと伝えられている『樵夫蒔絵硯箱』 (きこりまきえすずりばこ:静岡・MOA美術館所蔵)で能の謡曲『志賀』が主題とされている背後に硯箱の内側で清らかな春を芽吹きの「蕨」と「蒲公英」(たんぽぽ)の葉に託したものがあると「光悦と春草」 で書きました。

光悦以後、琳派の系譜の春の主題として、尾形光琳(おがたこうりん)、尾形乾山(おがたけんざん)、酒井抱一(さかいほういつ)、鈴木 其一(すずき きいつ)、神坂雪佳(かみさかせっか)に至るまで芽吹きの美しさとして注目されたのが「蕨」です。「蕨」を描いた素朴で清らかな姿からは、万葉集の「いはばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(志貴皇子:しきのみこ)の歌も想い起されます。

また、「蕨」からは司馬遷の『史記』伯夷列傳(はくいれつでん)第一 巻六十一にある物語が想起されます。

伯夷・叔斉(はくい・しゅくせい)は、殷(いん)の孤竹(こちく)国主の王子でした。父は、弟の叔斉を後継に選びます。父の亡き後、弟は兄を差し置き王位につくことを望まず、兄に王位を譲ろうとしますが互いに譲り合い、遂に二人ともに国を出奔します。その後、周の武王が殷の紂王(ちゆうおう)を討とうとした時、伯夷・叔斉は臣が君主を攻め滅ぼすことの非を説いて諌めますが聞き入られられず、殷は滅び周が天下を統一しました。伯夷・叔斉は、周の天下となった国で禄を食(は)むこと恥じて首陽山に隠れて蕨をとって食べて、ついに餓死したという伝説です。『史記』に伝えられた伯夷・叔斉の兄弟は、清廉潔白の人のたとえとされています。「蕨」は、清廉潔白の象徴ともいえます。

『樵夫蒔絵硯箱』の制作経緯は定かではありませんが、硯箱の中の蓋裏(ふたうら)・見込(みこみ)にある「蕨」には、古歌、故事などに託されてきたメッセージが込められていると思われます。
琳派の系譜を通じて「蕨」は春を象徴し、光悦の想いを継承する重要な主題となったと考えます。その一例として光悦没後200年ほど経て、鈴木 其一は『漁樵図屏風(ぎょしょうずびょうぶ)』で右隻に光悦の『樵夫蒔絵硯箱』から取材した樵(きこり)の歩く姿を描きました。樵の歩く道の傍らには蕨が描かれています。左隻は、紅葉の渓流を背景にした漁夫が描かれています。古来より「漁樵図」には中国より伝わった隠逸の思想が背景に込められてきました。『樵夫蒔絵硯箱』を想い起す、蕨の芽吹きがさりげなく描かれている清らかで瑞々しい春の景からは、光悦への想いが伝わってきます。

画像は蕨の芽吹きを和紙で縮小して表したものです。高さは、7.5cmほどです。
”Bracken”

「雅な雛のつどい展」
2016 1/27~2/2

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色のゆかりに

ironoyukari-

三月

行春(ゆくはる)のかたみとやさく藤の花 そをたにのちの色のゆかりに
雲雀(ひばり)
すみれさくひはりのとこにやどかりて野をなつかしみくらす春かな
(『拾遺愚草』 中巻「詠草花鳥和歌」三月:藤原定家)

新古今時代を代表する平安末期から鎌倉初期に活躍した歌人、藤原定家(ふじわらのさだいえ)の私家集『拾遺愚草(しゅういぐそう)』の中巻に収められている、「詠花鳥和歌」(えいかちょうわか)各十二首にある三月を花鳥をテーマにそれぞれ一首詠んだものを書で表したものです。「詠花鳥和歌」は、十二ヶ月の花鳥をそれぞれ各月一首ずつ、合わせて二十四首詠まれています。
「詠花鳥和歌」は、茶の湯の普及と発展に伴い、定家の和歌の「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」が侘び茶の境地とされてより、絵画や工芸の主題として流行し、江戸時代には多くの作品が生み出されました。

そのなかでもの尾形乾山(おがたけんざん)筆「定家詠十二ヶ月和歌花鳥図 (ていかえいじゅうにかげつわかかちょうず)藤・雲雀)図(三月)」(出光美術館蔵)が浮かびます。尾形乾山が活躍した元禄年間の頃は、利休の没後百年に起因した侘び茶への回帰への流れがあった頃でもありました。「定家詠十二ヶ月和歌」を主題に同年代の狩野派・土佐派・住吉派などの絵師の作品にも残されており、盛んに制作されていた主題であることが窺えます。
尾形乾山筆の「定家詠十二ヶ月和歌花鳥図 藤・雲雀図(三月)」(出光美術館蔵)は、和歌を書と絵画によって一つの画面に表現したものです。藤は、松にかかる姿で和歌の心を描き、雲雀は春の野辺に菫(すみれ)の花が咲く情景のなかで遊ぶ姿によって和歌の心が表現されています。
また、乾山の作品には同じ主題で角皿の表面を絵画で表し、裏面に和歌を書で表した作陶の作品があります。表面に描いた絵から裏面に書かれた和歌を想い起す趣向による立体表現を試みたものです。

定家の「詠花鳥和歌」で三月を表す花として藤を主題にして詠んだ歌からは、藤の紫の色と”ゆかり”という詞から源氏物語を想い起します。晩春から初夏へと移り変わる季節、淡紫色の花を房状に咲かせる藤は、そのみずみずしい美しさから人々に愛されて「暮れゆく春を惜しむ花」として捉えられていました。
三月を表す鳥として雲雀を主題に詠んだ歌からは、万葉集にある「春の野にすみれ摘みにと来こし我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」という山辺赤人(やまべのあかひと)の歌が想い起され、古歌を慕う心と春の野辺の懐かしさを呼び起こすものとして菫が受け継がれてきたことが読み取れます。
定家が三月を象徴するものとして歌題に選んだ藤と雲雀の二首からは、藤の紫と菫の紫が心に残り、菫の咲く長閑な春の野を想い起してくれるのと同時に”紫のゆかり”を連想させます。三月を象徴する歌に託された定家の心は、泉鏡花が『雛がたり』で菫雛(すみれびな)のなかにも受け継がれていると感じます。

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