植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

時わかぬ

時わかぬ 波さへ色に いづみ川 はゝその森に 嵐ふくらし(新古今和歌集:藤原定家)
Toki wakanu nami sahe iro ni idumikaha hahaso no mori ni arashi fuku rashi
(Shinkokin Wakashū : Fujiwara no Sadaie)

季節によって色が移ろうことのないはずの川。川の上流にある柞(ははそ)の森に嵐が吹いたのだろうか。その川の波が吹き散った木々の葉色が映り、秋が顕れていると詠まれた一首。「柞(ははそ)」とは、ドングリを実らせながら黄葉するコナラやクヌギなどの落葉高木を総称する古語です。柞の森では、黄・茶・赤褐色など濃淡さまざまに色づいたコナラやクヌギが、豊穣の森の生命感を伝えます。

『新古今和歌集』秋歌下で紅葉を歌題とした一群に排列された藤原定家(ふじわらのさだいえ)の一首は、紅く色づく紅葉ではなく、黄葉を詠まれた視点が清新です。定家の一首は、『古今和歌集』秋歌下に排列されている六歌仙の一人、文屋康秀(ふんやのやすひで)が詠んだ次の一首を本歌としています。

草も木も いろはかはれど わたつうみの 浪の花にぞ 秋なかりける  

文屋康秀の一首では、海の白波を花に譬え、秋になっても草木のように色は変わることはないと詠んでいます。定家は本歌の色が変わるはずのない海に立つ白波に対し、川に立つ波として展開し、変わるはずのない波の色が秋色に感じられると詠みました。

川の上流にある森の木々が、渾然一体となって晩秋の輝きを放つ様を思い起こす一首を書で表しました。

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惜秋

とどまらぬ 秋をやおくる ながむれば 庭の木の葉の ひと方へゆく(前小斎院御百首:式子内親王)
Todomaranu aki wo ya okuru nagamure ba niha no konoha no hitokata he yuku
( Sakinokosaiin on hyakusyu : Shokushi naishinnou )

庭の落ち葉に惜秋を詠まれた一首。新古今時代を代表する歌人の一人、式子内親王の百首歌『前小斎院御百首(さきのこさいいんおんひゃくしゅ)』秋にある一首です。

庭に敷き詰めた木の葉が、風によって一つの方向へと寄せ集まっていく様は、秋との別れを惜しんでいるかのように見えます。凛とした冷気のなか、落葉した葉が風に吹寄せられる動きと微かな音がしみじみとした情感を伝えます。

厳しい冬を前に留まることのなく移ろう季節を木々の落ち葉に託し、晩秋の想いを詠まれた一首を書で表しました。

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末葉の色

むしのねは 浅茅がもとに 埋もれて 秋は末葉の いろにぞありける(千載和歌集:寂蓮)
Mushi no ne ha asaji ga moto ni udumore te aki ha sueha no iro nizo arikeru
(Senzai Wakashū:Jakuren)

生い茂る浅茅に埋もれるように聞こえる虫の音に晩秋の想いを詠んだ一首。『千載和歌集』秋下で「虫」を歌題とした一群に排列されています。一首を詠んだ寂蓮(じゃくれん)は、『新古今和歌集』の撰者の一人でもあり、千載新古今時代を代表する歌人の一人です。

浅茅(背の低いちがや)は夏の間、線形の細葉を勢いよく伸ばし、銀白色の花穂をつけます。一面に広がる浅茅とその周辺から聞こえる虫の音が衰えゆく様子から、深まり行く秋の侘しさが伝わります。

上代では、鋭く細い葉の形状から邪気を払う神聖な植物として捉えられた茅は、平安時代になると秋風で色褪せるというイメージが強くなり、心変わりや過去を偲ぶもの、哀れを誘うものとして詠まれ、寂蓮の活躍した中世へと移り行く時代には褪せた浅茅の中に美を見出すようになります。

寂蓮の一首は秋が深まり、色褪せた浅茅の葉先の風情に虫の音を添え、しみじみとした晩秋の情感を詠みました。繊細な感性で秋の静寂感を詠まれた一首を書で表しました。

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むら雀

むらすずめ 声する竹に うつる日の 影こそ秋の 色になりぬれ (風雅和歌集:永福門院)
Mura suzume koe suru take ni uturu hi no kage koso aki no iro ni nari nure(Fuugawakashū:Eifukumonin)

雀の群れが静かな竹林を騒がす。その竹藪に射す光線に秋の気配を感じ、詠まれた一首。

一首を詠んだ永福門院(えいふくもんいん)は、京極派を代表する歌人の一人です。伏見天皇の中宮となり、伏見天皇が譲位によって伏見院となられたのに伴い、門院となられました。一首は『風雅和歌集』秋上で、「立秋」を題とした中に排列されています。

『風雅和歌集』は、鎌倉時代に『新古今和歌集』が成立して以降、歌壇に新風を興した京極為兼(きょうごくためかね)を中心とした京極派による勅撰和歌集です。為兼は、歌に詠まれる自然観照と人生観照を独立させ、純粋な叙景歌と抒情歌へと発展させました。
為兼の樹立した京極派の流れを継承した花園院の企画監修により、光厳院が撰者となって『風雅和歌集』は撰集されました。

清澄な山家を主題とした永福門院の一首は、特定の季物ではない「雀」と「竹」を題材に選び、「秋の色」という言葉で季節の移ろいを感覚的に表現されたところに京極派の特色が表れています。

夏の間、整然と青々茂る細葉が清涼感を伝えてきた竹林。その竹林に差し込む夕日の光線が和らいで感じられ、秋の気配を伝えます。静けさが漂う山里の竹林に雀のさえずる声と活発な動きによって素早く変化する影と、音なく緩やかな時間の推移によって変化する竹の影を聴覚と視覚、動と静の観点から対比して捉えることで竹林の閑寂さが際立ちます。

細やかに自然を凝視し、次第に薄れてゆく夕日の光を「秋の色」と捉え、夕景の感動を詠まれた一首を書で表しました。

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宮城野

あはれいかに くさばの露の こぼるらん 秋風たちぬ 宮城野のはら(新古今和歌集:西行)
Ahare ikani kusaba no tuyu no koboru ran akikaze tachi nu miyagino no hara
(Shinkokin Wakashū:Saigyou)

秋風が吹き始めた宮城野の原野。どれほどの草葉の露がこぼれているだろうかと秋到来を詠まれた一首。一首は、『新古今和歌集』秋歌上で立秋を歌題とした一群に排列されています。

古来より、萩の名所として歌に詠まれてきた陸奥国の歌枕、宮城野。宮城野を詠んだ一首は、西行が奥州の旅を終えた後、伊勢の内宮に自歌合(じかあわせ)『御裳濯河歌合』(みもすそがわうたあわせ)で奉納された一首です。

西行の一首は、宮城野が露の多い地として歌に詠まれる由来となった『古今和歌集』東歌、陸奥歌を本歌としています。

みさぶらひ みかさと申せ 宮城野の 木の下露は 雨にまされり (よみ人しらず)

秋の訪れを告げる萩や露を歌材に、古来より人々が心を寄せ、歌が詠み継がれてきた宮城野の原野を想い、旅愁と共に秋のしみじみとした情感を詠まれた一首を書で表しました。

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双葉葵

いかなれば その神山の あふひぐさ としはふれども ふた葉 なるらむ (新古今和歌集:小侍従)
Ikanare ba sono kamiyama no afuhi gusa toshi ha furedomo futaba naru ramu (Shinkokin Wakashū:Kojijyu)

『新古今和歌集』に撰集された一首の詞書には、「葵をよめる」とあります。一首を詠んだ小侍従は、平安末期~鎌倉初期に後鳥羽院の歌壇で活躍した女流歌人です。『新古今和歌集』夏部で「更衣」「卯の花」に続く「葵」のなかで式子内親王の「葵」を歌題として詠まれた一首に次いで排列されています。

「葵」を歌題としたものは『千載和歌集』夏部に2首みられます。源平の戦乱による都の荒廃を背景に藤原俊成(ふじわら の としなり)によって編纂された『千載和歌集』での「葵」2首は、院政期の歌壇で活躍した藤原基俊(ふじわら の もととし)が『堀川百首』で「葵」を歌題として詠まれた一首、賀茂の齋院に奉仕の後、俊成に師事した式子内親王の賀茂祭への懐古の想いを詠まれた一首がみられます。

あふひ草  てる日は神の こころかは かけさすかたに まつなひくらむ( 藤原基俊 )
神山の ふもとになれし  あふひ草  ひきわかれても 年そへにける  ( 式子内親王)

俊成が『千載和歌集』夏部の歌題として類例が少ない「葵」を採り上げた2首からは、都の初夏の風物、賀茂祭を象徴するものとして「葵」を捉えていたことが窺えます。俊成は紫式部が『源氏物語』第9帖「葵」で賀茂祭の壮麗さを伝えているとおり、貴族の祭りである賀茂祭を象徴する「葵」に都の栄華を託したように思います。

『千載和歌集』に次ぐ『新古今和歌集』での「葵」は、武家政権へと変革する時代にあっても王朝の雅を象徴する祭りが未来永劫、執り行われていくことを祈念する思いが込められているように思われます。小侍従の一首は葵草に寄せ、賀茂祭が行われる賀茂神社の背後にある神山に神が降臨された時から、永い年月を経ても葵草は今生えたばかりの双葉のままであると華麗な祭りが毎年行われることを讃えました。

また、『新古今和歌集』以降の勅撰和歌集の夏部をみると、新勅撰・続古今・新後撰・続後拾遺・風雅などの勅撰和歌集で歌数は少ないものの、「葵」を歌題とした歌が排列されており、都の夏の風物として賀茂祭の「葵」が歌題として定着したことを示していると思います。

茎の先に2つの葉を向かい合うようにつけた様は、生命力溢れる芽吹いた草の双葉の姿を思い起こします。現代の京都の賀茂祭でも社殿に葵が飾られ、祭りの奉仕者が葵を身に付けることから葵祭とも呼ばれています。初夏を告げる賀茂祭(葵祭)を象徴する双葉葵の生命感に寄せて詠まれた一首を和紙による双葉葵と書で表しました。

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生田の森

昨日だに 訪はむと思ひし 津の国の 生田の森に 秋は来にけり(新古今和歌集:藤原家隆)
Kinofu dani tohamu to omohishi tu no kuni no ikuta no mori ni aki ha kini keri
(Shinkokin Wakashū:Fujiwara no Ietaka)

夏であった昨日ですら、訪れようと思った生田の森。古歌に詠まれた通り今日、初風が吹き秋になったのだと立秋の心を詠まれた一首。『新古今和歌集』の秋歌上で「立秋」を歌題とした一群の中に排列されています。一首を詠んだ藤原家隆(ふいわら の いえたか)は、新古今時代を代表する歌人で、『新古今和歌集』の撰者の一人として活躍しました。

家隆の本歌は、次の一首です。

君すまば とはましものを 津の国の 生田の森の 秋の初風(詞花和歌集:清胤 しょういん)

家隆は本歌の「秋の初風」を受け、秋を待ちかねる心を多くの歌人が和歌に詠んだ歌枕の名所として知られる摂津の国、生田神社の鎮守の森「生田の森」を題材に清澄な歌風で詠みました。

神秘的な森林の佇まいを想わせ、秋を愛した家隆の爽やかで清浄感あふれる一首を書で表しました。

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野面の草

よられつる 野もせの草の かげろひて 涼しくくもる 夕立の空(新古今和歌集:西行)
Yorare tsuru nomo se no kusa no kagerohi te suzusiku kumoru yufudachi no sora (Shinkokin Wakashū:Saigyō)

夕立がやって来る気配を風でもつれ合ったの野原一面の草によって捉えた一首。『新古今和歌集』の夏部の後半「夕立」を歌題として詠まれた一群に排列されています。

『古今和歌集』より『新古今和歌集』に至る勅撰和歌集の中で「夕立」を題として6首を夏部で排列されたところに新古今以前の勅撰和歌集には見られない新味が表れています。

『新古今和歌集』での「夕立」一群の流れは、西行の夕立の気配を詠んだ一首に始まります。それに続き、藤原清輔(ふじはら の きよすけ)西園寺公経(さいおんじ きんつね)源俊頼(みなもと の としより)源頼政(みなもと の よりまさ)、最後に式子内親王(しょくし ないしんのう)の夕立が過ぎ去った後の静けさをひぐらしの声に託して詠まれた一首の順に排列されいます。式子内親王の一首は、その後に続く「蝉」を歌題とした流れに自然とつながっていきます。

「夕立」6首は上記に示した西行を始めとして平安末期から鎌倉初期の歌人で構成されています。その背景として、鎌倉初期に催された『六百番歌合』、それに続く『新古今和歌集』の編纂の命を下された後鳥羽院(ごとばのいん)によって開催された『千五百番歌合』の歌題のひとつとして「夕立」がみられることからも、新古今時代の代表歌人によって探究された歌題であったことが窺えます。

『古今和歌集』以来、夏部を代表する伝統的な夏の風物「納涼」に続く歌題として、夏の自然現象を捉えた「夕立」に着目されたことは、情趣的な平安朝の美意識から中世へと移り行く時代の変化が表れていると思われます。

なかでも西行の一首は、夕立の雨雲が近づき、先立って激しく吹く風で涼しくなり、辺りが暗くなった様を鋭く動的に捉えています。夏の陽射しを受けて青々と茂る逞しい生命力の夏草が一転して雲に覆われ、強風によってもつれ合う急激な天象の変化を詠んだ一首には偉大な自然の力、荘厳さを思わせます。

夏の自然現象を大きなスケールで詠まれた一首を書で表しました。

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七夕に寄せて

たおやかで可憐な撫子(なでしこ)。平安時代の七夕には花の優劣を競い、七夕伝説に寄せて歌合(うたあわせ)をする、「瞿麦合」(なでしこあわせ)が催され、可憐な草姿が愛でられました。和紙による撫子を扇面にあしらい、敷き紙にかな料紙を取り合わせ、星合をイメージしました。

”Tanabata”

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夕月夜

夕月夜 ほのめく影も 卯の花の 咲けるわたりは さやけかりけり(千載和歌集:藤原実房)
Yufudukuyo honomeku kage mo unohana no sakeru watari ha sayake kari keri
(Senzaiwakashū:Fujihara no Sanefusa)

暮方の空にかかる月の光の中に咲く卯の花を詠まれた一首。平安末期~鎌倉前期の歌人、藤原実房(ふじわらのさねふさ)の一首は平安末期、後白河院から撰進の命を受けた藤原俊成((ふじわらのとしなり)が撰者となって編纂された『千載和歌集』夏部で、「卯花」を歌題とした中に排列されています。

一首には「暮見卯花といへる心をよみ侍りける」と詞書があります。
夕方の月の光のほの暗い中、かかる光も微かな卯の花を詠みました。しだれる枝に小花を多数つけ、夏到来を告げる卯の花は、万葉時代から和歌に詠まれてきました。

一首では初夏の暮方の仄かな光の中でも、卯の花の咲いているあたりがくっきりと浮かび上がり、花の白さが際立ってみえます。また、卯の花の白さは雪にも見立てられ、和歌に詠まれてきました。実房の一首は、夕暮れの薄明のなかに卯の花の白さを捉えた視点が清新です。

純白の花が咲きこぼれるさまは清らかで、心安らかな心地を与えてくれます。楚々とした花の風情に寄せる想いを詠まれた一首を書で表しました。

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