植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

初夏、白い小花を清楚に咲かせる橘。蜜柑の仲間、橘の花は柑橘類の甘美で清々しい香りを辺りに漂わせます。古代より日本に自生する橘は、京都御所の紫宸殿に今も「右近の橘」が植えられているとおり、葉が艶やかな常緑を保つことから、神聖で瑞祥の樹木として尊ばれてきました。

万葉の昔、橘は街路樹としても親しまれ、花と香りが人の心を和ませました。夏には密に葉を茂らせた木陰が涼を呼びました。寒気の中、実は鮮やかに色づき、常緑の葉と共に生命感を伝えました。

自然を愛し、植物に託して想いを詠んだ万葉の人の歌にも『万葉集』をはじめ、以下のように橘を詠んだ歌がみられます。

橘の 下(もと)に吾(わ)を立て 下枝(しづえ)取り 成らむや君と 問ひし子らはも
(柿本人麻呂歌集)

橘の木の下に私を立たせ、下枝を取り、実がなるように恋が実るのでしょうか、と聞いたあの人。今、どうしているだろう、と詠まれたものです。

一首のとおり、橘は花の香のように甘美な恋を想い起こすものとして、万葉の頃より捉えられていたことが窺えます。

初夏の風物”ホトトギス”と並び、橘は『古今和歌集』に撰集された次の一首が思い起こされます。

五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする (古今和歌集:よみ人知らず)

五月を待って咲く花橘の香は、昔懐かしい人の袖の香を思い起こされると詠まれた一首に代表されるように、橘は昔を懐かしむ想いを託す景物として、白い小花とその薫り高い花の風情に寄せ、数多の歌が詠み継がれました。

橘の細やかで優しい花の趣と濃緑の葉を和紙の取り合わせにより表し、和歌に託された想いを偲び、扇子にあしらいました。

“Citrus tachibana”

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花橘

雨そそぐ 花橘に風すぎて 山ほととぎす 雲に鳴くなり(新古今和歌集:藤原俊成)
Ame sosogu hana tacibana ni kaze sugite yama hototogisu kumo ni naku nari
(Shinkokin Wakashū:Fujiwara no Toshinari)

平安末期を代表する歌人の一人、藤原俊成(ふじわらの としなり)の詠んだ一首です。
『新古今和歌集』夏歌で、「時鳥(ホトトギス)」を歌題として詠まれた中に排列されています。「時鳥(ホトトギス)」は、『万葉集』より継承されてきた伝統的な歌題です。日本の夏の風物として『古今和歌集』に始まる勅撰和歌集の夏歌の中心的な歌題として詠み継がれました。

勅撰和歌集の四季部における夏歌の構成についても『古今和歌集』以降、大きく発展しました。『古今和歌集』の夏歌全体の歌数が34首であるのに対し、『新古今和歌集』の夏歌は110首撰集されており、夏部全体の歌数が格段と増えました。

また『古今和歌集』の夏歌では、「時鳥(ホトトギス)」を歌題とした歌が大部分を占めていましたが、『古今和歌集』以降「更衣」から始まる夏の歌題が定着し、「卯花」「橘」「五月雨」「蛍」「鵜飼」「納涼」など夏の風物が取り入れられ、歌題も多様化しました。『新古今和歌集』では、立夏から立秋へと繋がる旧暦の6月末に執り行われる穢れを払い息災を祈願する神事、六月祓(みなづきばらえ)までの季節の推移が、綿密な構成により整然と排列されています。『古今和歌集』以降、春と秋の間にある夏の情趣についても、細やかに季節の推移を捉え、見どころを見出していったことが窺えます。

俊成の一首は、夏の主要な歌題として詠み継がれてきた”ホトトギス”を同じく夏の歌題である、「五月雨」「橘」と併せて詠み、重層的に夏の情趣が表現されています。

俊成の一首からは、清少納言が五月雨の降る早朝、雨露を受けた橘の葉の緑と白い小花の美しさを讃えた、『枕草子』三十四段が思い起こされます。

五月ついたちなどの頃ほひ、橘の濃く青きに、花のいと白く咲きたるに、雨の降りかゝりたるつとめてなどは、世になく心あるさまにをかし。

五月雨とホトトギス、風によって辺りに漂う橘の花の香が一体となり、絵画のように初夏の一刻を伝えています。五月雨の降る朝方の仄かな明るさの中で捉えた、地上の瑞々しい葉の濃緑と点在する小さな白花の色彩美、天上には姿の見えないホトトギスの声が聞こえる雨雲、遠近2つの視点によって格調高く深遠な趣を醸し出しています。

余情豊かに詠み継がれてきた伝統的な歌題を深化させた一首を書で表しました。

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岸の山吹

早瀬川 波のかけこす 岩岸に こぼれて咲ける 山吹の花(続古今和歌集:藤原為家)
hayase gawa nami no kakekosu iwagishi ni koborete sakeru yamabuki no hana
(Shokukokin wakashū:Fujiwara no tameiie)

瀬の流れが早い川に突き出す岩。その岩の上にこぼれるように咲く山吹を詠まれた一首。
一首を詠んだ藤原為家は、藤原定家の嫡子として『新古今和歌集』以後の中世歌壇で平淡美を歌風として活躍しました。為家の一首が撰集されている『続古今和歌集』は、撰者の一人となっています。『続古今和歌集』は、鎌倉時代に成立した11番目の勅撰和歌集です。名の表すとおり、『古今和歌集』・『新古今和歌集』の先例に倣い編纂されたことは、仮名序・真名序を備えたところからも窺えます。

為家の一首は、題に即して詠まれた題詠歌です。為家は、題は歌の中に詠み込むべきものであるとして、川の浅瀬で勢いよく流れる川岸の岩の上に枝を伸ばした山吹を詠みました。こぼれるように咲く情景を想像して詠まれた一首は、清流の音と花の可憐さが実体験のように生き生きと伝わってきます。

清々しい水の流れと山吹の鮮やかな光景をありのまま、平明な詞遣いにより心の深さを求め、印象深く詠まれた一首を書で表しました。

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曙花

山もとの 鳥の声より 明けそめて 花もむらむら 色ぞ見え行く(玉葉和歌集:永福門院)
Yama moto no tori no koe yori ake somete hana mo muramura iro zo mie yuku
(Gyokuyou wakashū:Eifukumonin)

春のあけぼの。山のふもとで鳥の声がして、夜が明け始め、桜の花色が少しず浮かび上がって見える景色を詠まれた一首。

『新古今和歌集』以後、王朝的なものが影をひそめていく中世。そうした時代を背景に『万葉集』を拠り所に新風を興した京極為兼が撰者となった、第14番目の勅撰和歌集『玉葉和歌集』に撰集された一首です。京極派を興した京極為兼は、万葉時代のように心に起こる所のままを表現することを目指しました。一首を詠んだ永福門院(えいふくもんいん)は、京極派を代表する歌人の一人として、為兼の唱える心を本位とした真実の感動を詠みました。

一首は『玉葉和歌集』春下で、「桜」を題とした中に排列されています。詞書に「曙花(しょか)」と題されいるとおり、一首は鳥のさえずりから始まり、まだ仄暗い明け方のなかで、あちらこちらで咲く桜の白い花色が浮かび上がってみえてきます。天象の刻々と変化していく中で、細やかに自然を捉えた表現に京極派独特の感性が表れています。

また、門院の御歌に多く見られる「むらむら」という語彙が一首にみられるように、感覚に即して事象を鮮明に表現したところに、自然を深く凝視されたことが窺えます。聴覚と視覚により時間の推移を捉えた一首は、春のあけぼのを幻想的に伝えます。

春の情景を夢幻的に詠まれた一首を書で表しました。

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