植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

秋の初風

玉にぬく 露はこぼれて 武蔵野の 草の葉むすぶ 秋の初風(新勅撰和歌集:西行)
Tama ni nuku tsuyu ha koborete musashino no kusanoha musubu aki no hatsu kaze
(Shinchokusen Wakashū : Saigyou)

武蔵野の草原に吹く風の気配に寄せ、秋到来を詠まれた一首。西行の一首は、『新古今和歌集』に次ぐ、藤原定家が撰者となった第9番目の勅撰和歌集、『新勅撰和歌集』の秋歌上で「立秋」を歌題とした一群に排列されています。

『万葉集』の東歌で武蔵野を詠まれた歌が収められてより、武蔵野は平安時代に『伊勢物語』や『古今和歌集』などの物語や和歌で採り上げられ、それらの歌物語により武蔵野のイメージは受け継がれていきました。秋歌に撰集された西行の一首は、武蔵野を背景として和歌に詠み継がれてきた伝統を後世に伝えたいという定家の思いが表れているように思います。

武蔵野の広い草原に生い茂る草の葉に白玉を貫いたように並ぶ露の玉。そこに風が吹き寄せ、草の葉に置いた露はこぼれ落ち、整然としていた葉は風に結ばれたように乱れます。「露」の縁語である「むすぶ」という詞により、広大な原野のひとこまを切り取り、秋の初風によって草の葉と露の玉の2つの動きを対照的に捉え、初秋の風趣を伝えています。

武蔵野の原野を背景に初秋を趣深く詠まれた一首を書で表しました。

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誰が秋に

誰が秋に あらぬものゆゑ 女郎花 なぞ色に出でて まだきうつろふ(古今和歌集:紀貫之)
Taga aki ni aranu mono yue ominaheshi nazo iro ni idete mada ki utsurofu
(kokin Wakashū:Ki no Tsurayuki)

秋は誰にも訪れるというのに、なぜオミナエシの花だけが衰えてみえるのだろうかと詠まれた一首。『古今和歌集』の秋部に配列されている歌の詞書には、「朱雀院の女郎花合(をみなへしあはせ)にてよみたてまつりける」とあります。

「女郎花合(をみなへしあはせ)」とは、オミナエシの花に和歌を添え、花の美しさと歌の優劣を競い合った歌合(うたあわせ)で、898年に宇多上皇が主催しました。優雅な趣向を凝らせた歌合には貫之をはじめ、壬生忠岑(みぶ の ただみね)、凡河内躬恒(おおしこうち の みつね)、藤原興風(ふじわら の おきかぜ)、源宗于(みなもと の むねゆき)、伊勢(いせ)など古今時代を代表する歌人が集いました。

オミナエシは『万葉集』に詠まれているとおり、花の名の女郎(をみな)に若い女性、高貴な女性、佳人の意味が込められてきました。オミナエシを女性に見立てたイメージは、秋を詠む主要な題材として受け継がれていきました。

貫之の一首は、晩夏に咲き始めたオミナエシの色鮮やかな花が秋になり、衰えをみせたことに寄せ、恋人に飽きられた女性のイメージを重ねました。秋の訪れを告げるオミナエシは、秋草の中でも草丈があり、遠目からも鮮やかな黄色い小花が浮き立ってみえます。秋の野で儚げに秋風に揺れる様は、たおやかで優美な女性の姿を想わせます。

雅な歌合に寄せ、初秋の情趣を詠まれた一首を書で表しました。

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夏の夕風

日のかげは 竹より西に へだたりて 夕風すずし 庭の草むら(風雅和歌集:祝子内親王)
Hi no kage ha take yori nishi ni hedatari te yuukaze suzushi niha no kusa mura
(Fuugawakashū:Noriko naishinnou)

夏の夕暮れ。庭には心地よい涼風か吹き抜ける、安らかな時を詠まれた一首。一首を詠んだ花園天皇の皇女、祝子内親王は南北朝時代に活躍した京極派を代表する歌人の一人です。

京極派は、藤原定家の嫡子、為家の3人の子が二条・冷泉・京極の三家に分かれたうち、京極家を興した為兼により、歌壇の中心となった二条家の詞や詞のつづけがらを重んじ、題詠による歌を中心とした二条派に対し、自然と人生を区別し、実感に即して物事を多角的に捉えた、これまでの歌とは異なる歌境を提唱しました。

第17番目の勅撰和歌集『風雅和歌集』の夏部では、”涼しさ”を基調とした歌が好まれています。「納涼」という歌題は、『詞花和歌集』、それに続く『千載和歌集』『新古今和歌集』をはじめ、それ以降も夏歌の歌題として定着しているものの、撰集されている歌数は、数首みられる程度です。それに対し、京極派の勅撰和歌集では、『玉葉和歌集』19首・『風雅和歌集』12首と他集と比べ、夏歌に占める歌数が突出しており、京極派の歌人が好んだ題材であることが窺えます。

「納涼」は、木陰・水・月・風・川・草・雲・蜩などの自然によって体感する”涼しさ”を詠む題材です。夏の季節を五感で感じる感覚的な題材である「納涼」は、京極派独特の自然を動的に捉え、自然観照の中に自己の内面を投影できる歌題といえます。また、祝子内親王の一首は、「納涼」をテーマとしたなかでも、夏の夕景を詠んだ一群に排列されています。夏の情調として晩夏の夕暮れは、風によって秋の気配をそれとなく伝えます。

また一首は、”竹” が詠み込まているところにも、閑寂な風趣を愛する京極派の特色が表れています。夏の景として、庭の添景である青々と繁る ”竹” を詠み込むことで、清々しい緑の枝葉は西日を遮り、さらさらと葉音を奏で、風にそよぐ葉の醸し出す風情により清閑さが高まり、夕風の心地よさを引き立てます。さらに庭の草葉は、たおやかに風に靡き、閑寂な夏の夕景を浮かび上がらせます。

鋭敏に五感を研ぎ澄ませ、実景に基づき暁夏の夕暮れを清新な趣で詠まれた一首を書で表しました。

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蓮の浮葉

風吹けば 蓮の浮葉に 玉こえて 涼しくなりぬ ひぐらしの声(金葉和歌集:源俊頼)
Kaze fuke ba hasu no ukiha ni tama kote suzusiku narinu higurashi no koe
(Kinyou Wakashū:Fujiwara no Toshiyori)

夕立が去ったあとの水辺の蓮の葉に置く「露」を題材に、納涼を詠まれた一首。一首は、第5番目の勅撰和歌集『金葉和歌集』(二奏本)の夏歌に撰集されています。院政期に白河院の院宣を受け、一首を詠んだ源俊頼(みなもと の としより)が撰者となり、編纂されました。

初めての勅撰集『古今和歌集』が撰進されてから、それに続く『後撰』『拾遺』『後拾遺』では、前代を受け継ぐ名称を持つのに対し、”きわめて優れた言の葉”を意味する名称を持つ『金葉和歌集』では、自由な表現・清新な素材と表現による叙景歌などに特色がある、新しい和歌の表現を模索した、当代の新風歌人による歌が多く撰集されています。古今時代から200年ほど経ち、社会情勢も大きく変化しました。その筆頭である俊頼は、そうした時代の変化の要請を背景に、感覚的に対象を捉え、清新で理知的な技巧を凝らした歌を詠みました。

俊頼の一首には、次の詞書があります。
「水風晩涼といへることをよめる」

詞書にあるとおり、夕立が降った後の涼風が水面を渡り、水面に浮く蓮の葉に置かれた露の玉は、風によって葉の上から転がり、こぼれて池に落ちます。辺りには静けさが戻り、ひぐらしの声が涼感をさらに深めます。

脆く儚く消え、跡形もとどめない清らかな美しさを持つ「露」。「露」を玉に見立てる着想は、万葉の時代よりみられます。「露」は涙にも譬えられ、景物に心情を託し歌に詠まれてきました。秋には、風に靡く草葉に置く露の玉の風情にしみじみとした秋の情感が託されました。春には、風に靡くしだれ柳を糸に見立て、そこに置く露の玉の風情に長閑な春の情感が託されました。

俊頼の一首は、蓮を清涼感ある夏の水辺の景物として詠みました。水面に浮く蓮の葉に置かれた清らかな露の玉の動きを写実的に捉え、斬新な表現で爽涼感を伝えています。

清新な表現と細やかな観察による、静謐で清らかな叙景歌を書で表しました。

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風そよぐ

風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ 夏の しるしなりける(新勅撰和歌集:藤原家隆)
kaze soyogu nara no ogawa no yufugure ha misogi zo natsu no shirushi nari keru
(Shinchokusen Wakashū:Fujiwara no Ietaka)

『新勅撰和歌集』夏歌に撰集された一首。『新古今和歌集』に次ぐ第9番目の勅撰和歌集『新勅撰和歌集』は、藤原定家が後堀河天皇より撰進の勅命を受け、撰者となった勅撰和歌集です。

一首を詠んだ藤原家隆は、藤原定家と同時代、共に歌壇の中心で活躍しました。定家によって撰集された『新勅撰和歌集』で撰集された定家の歌は15首であるのに対し、家隆の歌は43首と歌人の中でも最も多く、筆頭歌人となっています。家隆が筆頭歌人となっているのは、定家が家隆の歌を尊び重んじていたことを反映しています。

武家政権による封建制となった時代に成立した『新勅撰和歌集』では、新古今時代の妖艶美・色彩美に彩られた印象が薄れ、鎌倉幕府への配慮もあり、質実な歌も撰ばれているものの、『古今和歌集』以来の和歌の伝統を護り、王朝文学を後世に伝えたいという思いが表れています。

家隆の一首は、『新勅撰和歌集』夏歌の最後、六月払(みなづきばらえ)を歌題としたなかに排列されています。京都、上賀茂神社の境内を流れる「ならの小川」のせせらぎで、六月末に行われる「名越(なごし)の祓(はらえ)」を詠んだものです。

一首の詞書には、「寛喜元年、女御入内の屏風」とあり、『新勅撰和歌集』の撰進の勅命をされた、後堀河天皇の女御入内の折、十二ヶ月三十六首に絵師が相応の絵を描き、屏風に仕立てられた屏風歌の中の一首であることが記されています。
家隆は、風が吹き渡るならの小川の夕暮れは、秋の到来を思わせるが、名越の祓が行われいるのを見ると、まだ夏であると実感すると詠みました。

家隆の一首は、『新古今和歌集』恋歌五にある次の一首が本歌とされています。

みそぎする ならのをがはの 河かぜに 祈りぞわたり 下に絶えじと(八代女王:やしろ の おおきみ)

万葉の時代に詠まれた八代女王(やしろ の おおきみ)の一首は、禊ぎをするならの小川の川風に吹かれながら、二人の仲が知られないよう、祈り続けます、と詠まれたものです。

家隆の一首では、初句の「風そよぐ」を受け、「ならの小川」を川の名の「なら」に「楢」を掛けています。落葉高木の楢は、夏には枝の先を覆うように、青々とした葉を広げて陽射しを遮り、緑陰が涼を呼びます。掛詞による同音異義語を使い、一語に込められた意味を深めることで残暑の候、風にそよぐ楢の葉の風情が心地よい爽風を想起させ、秋到来を予感させます。

家隆の一首は、屏風歌として詠まれた背景と古歌の趣ある平明で爽やかな調べから、定家は『新勅撰和歌集』の夏歌を締める歌として排列されたように思います。また、家隆の歌の本歌である『新古今和歌集』恋歌に八代女王(やしろ の おおきみ)の歌を撰歌した2名の撰者の一人が定家でした。家隆の一首は、『古今和歌集』が成立した御代を想わせる詠みぶりで、こうした経緯から、家隆の一首には、定家の深い思い入れがあったことが窺えます。

秋歌に繋がる一首として、数多に読み継がれてきた伝統的な歌題を格調高く新鮮な印象に詠まれたところが清々しく、家隆の温和な人柄が表れた一首を書で表しました。

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初夏、白い小花を清楚に咲かせる橘。蜜柑の仲間、橘の花は柑橘類の甘美で清々しい香りを辺りに漂わせます。古代より日本に自生する橘は、京都御所の紫宸殿に今も「右近の橘」が植えられているとおり、葉が艶やかな常緑を保つことから、神聖で瑞祥の樹木として尊ばれてきました。

万葉の昔、橘は街路樹としても親しまれ、花と香りが人の心を和ませました。夏には密に葉を茂らせた木陰が涼を呼びました。寒気の中、実は鮮やかに色づき、常緑の葉と共に生命感を伝えました。

自然を愛し、植物に託して想いを詠んだ万葉の人の歌にも『万葉集』をはじめ、以下のように橘を詠んだ歌がみられます。

橘の 下(もと)に吾(わ)を立て 下枝(しづえ)取り 成らむや君と 問ひし子らはも
(柿本人麻呂歌集)

橘の木の下に私を立たせ、下枝を取り、実がなるように恋が実るのでしょうか、と聞いたあの人。今、どうしているだろう、と詠まれたものです。

一首のとおり、橘は花の香のように甘美な恋を想い起こすものとして、万葉の頃より捉えられていたことが窺えます。

初夏の風物”ホトトギス”と並び、橘は『古今和歌集』に撰集された次の一首が思い起こされます。

五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする (古今和歌集:よみ人知らず)

五月を待って咲く花橘の香は、昔懐かしい人の袖の香を思い起こされると詠まれた一首に代表されるように、橘は昔を懐かしむ想いを託す景物として、白い小花とその薫り高い花の風情に寄せ、数多の歌が詠み継がれました。

橘の細やかで優しい花の趣と濃緑の葉を和紙の取り合わせにより表し、和歌に託された想いを偲び、扇子にあしらいました。

“Citrus tachibana”

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花橘

雨そそぐ 花橘に風すぎて 山ほととぎす 雲に鳴くなり(新古今和歌集:藤原俊成)
Ame sosogu hana tacibana ni kaze sugite yama hototogisu kumo ni naku nari
(Shinkokin Wakashū:Fujiwara no Toshinari)

平安末期を代表する歌人の一人、藤原俊成(ふじわらの としなり)の詠んだ一首です。
『新古今和歌集』夏歌で、「時鳥(ホトトギス)」を歌題として詠まれた中に排列されています。「時鳥(ホトトギス)」は、『万葉集』より継承されてきた伝統的な歌題です。日本の夏の風物として『古今和歌集』に始まる勅撰和歌集の夏歌の中心的な歌題として詠み継がれました。

勅撰和歌集の四季部における夏歌の構成についても『古今和歌集』以降、大きく発展しました。『古今和歌集』の夏歌全体の歌数が34首であるのに対し、『新古今和歌集』の夏歌は110首撰集されており、夏部全体の歌数が格段と増えました。

また『古今和歌集』の夏歌では、「時鳥(ホトトギス)」を歌題とした歌が大部分を占めていましたが、『古今和歌集』以降「更衣」から始まる夏の歌題が定着し、「卯花」「橘」「五月雨」「蛍」「鵜飼」「納涼」など夏の風物が取り入れられ、歌題も多様化しました。『新古今和歌集』では、立夏から立秋へと繋がる旧暦の6月末に執り行われる穢れを払い息災を祈願する神事、六月祓(みなづきばらえ)までの季節の推移が、綿密な構成により整然と排列されています。『古今和歌集』以降、春と秋の間にある夏の情趣についても、細やかに季節の推移を捉え、見どころを見出していったことが窺えます。

俊成の一首は、夏の主要な歌題として詠み継がれてきた”ホトトギス”を同じく夏の歌題である、「五月雨」「橘」と併せて詠み、重層的に夏の情趣が表現されています。

俊成の一首からは、清少納言が五月雨の降る早朝、雨露を受けた橘の葉の緑と白い小花の美しさを讃えた、『枕草子』三十四段が思い起こされます。

五月ついたちなどの頃ほひ、橘の濃く青きに、花のいと白く咲きたるに、雨の降りかゝりたるつとめてなどは、世になく心あるさまにをかし。

五月雨とホトトギス、風によって辺りに漂う橘の花の香が一体となり、絵画のように初夏の一刻を伝えています。五月雨の降る朝方の仄かな明るさの中で捉えた、地上の瑞々しい葉の濃緑と点在する小さな白花の色彩美、天上には姿の見えないホトトギスの声が聞こえる雨雲、遠近2つの視点によって格調高く深遠な趣を醸し出しています。

余情豊かに詠み継がれてきた伝統的な歌題を深化させた一首を書で表しました。

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岸の山吹

早瀬川 波のかけこす 岩岸に こぼれて咲ける 山吹の花(続古今和歌集:藤原為家)
hayase gawa nami no kakekosu iwagishi ni koborete sakeru yamabuki no hana
(Shokukokin wakashū:Fujiwara no tameiie)

瀬の流れが早い川に突き出す岩。その岩の上にこぼれるように咲く山吹を詠まれた一首。
一首を詠んだ藤原為家は、藤原定家の嫡子として『新古今和歌集』以後の中世歌壇で平淡美を歌風として活躍しました。為家の一首が撰集されている『続古今和歌集』は、撰者の一人となっています。『続古今和歌集』は、鎌倉時代に成立した11番目の勅撰和歌集です。名の表すとおり、『古今和歌集』・『新古今和歌集』の先例に倣い編纂されたことは、仮名序・真名序を備えたところからも窺えます。

為家の一首は、題に即して詠まれた題詠歌です。為家は、題は歌の中に詠み込むべきものであるとして、川の浅瀬で勢いよく流れる川岸の岩の上に枝を伸ばした山吹を詠みました。こぼれるように咲く情景を想像して詠まれた一首は、清流の音と花の可憐さが実体験のように生き生きと伝わってきます。

清々しい水の流れと山吹の鮮やかな光景をありのまま、平明な詞遣いにより心の深さを求め、印象深く詠まれた一首を書で表しました。

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曙花

山もとの 鳥の声より 明けそめて 花もむらむら 色ぞ見え行く(玉葉和歌集:永福門院)
Yama moto no tori no koe yori ake somete hana mo muramura iro zo mie yuku
(Gyokuyou wakashū:Eifukumonin)

春のあけぼの。山のふもとで鳥の声がして、夜が明け始め、桜の花色が少しず浮かび上がって見える景色を詠まれた一首。

『新古今和歌集』以後、王朝的なものが影をひそめていく中世。そうした時代を背景に『万葉集』を拠り所に新風を興した京極為兼が撰者となった、第14番目の勅撰和歌集『玉葉和歌集』に撰集された一首です。京極派を興した京極為兼は、万葉時代のように心に起こる所のままを表現することを目指しました。一首を詠んだ永福門院(えいふくもんいん)は、京極派を代表する歌人の一人として、為兼の唱える心を本位とした真実の感動を詠みました。

一首は『玉葉和歌集』春下で、「桜」を題とした中に排列されています。詞書に「曙花(しょか)」と題されいるとおり、一首は鳥のさえずりから始まり、まだ仄暗い明け方のなかで、あちらこちらで咲く桜の白い花色が浮かび上がってみえてきます。天象の刻々と変化していく中で、細やかに自然を捉えた表現に京極派独特の感性が表れています。

また、門院の御歌に多く見られる「むらむら」という語彙が一首にみられるように、感覚に即して事象を鮮明に表現したところに、自然を深く凝視されたことが窺えます。聴覚と視覚により時間の推移を捉えた一首は、春のあけぼのを幻想的に伝えます。

春の情景を夢幻的に詠まれた一首を書で表しました。

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おしなべて

おしなべて 花の盛りに なりにけり 山の端ごとに かかる白雲(千載和歌集:西行)
Oshinabe te hana no sakari ni nari ni keri yamanoha goto ni kakaru shirakumo
(Senzaiwakashū:Saigyou)

見渡す限り花盛りとなった。いずれの山の端にも、ほんのりと山桜が白雲のようにかかって見えると詠まれた一首。

藤原俊成が撰者となった、『千載和歌集』春上で「桜」を歌題とした中に排列されています。西行の一首は、山々を埋める山桜を白雲に見立て、穏やかに広々とした花盛りの景色を詠みました。一読して意味がよくわかり、穏やかで余韻を感じます。西行の一首は、抒情豊かで格調高く、俊成の歌の理想とした志向と合ったものと思います。

麗らかな春景色をおおらかに詠まれた一首を書で表しました。

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