植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

岸の山吹

早瀬川 波のかけこす 岩岸に こぼれて咲ける 山吹の花(続古今和歌集:藤原為家)
hayase gawa nami no kakekosu iwagishi ni koborete sakeru yamabuki no hana
(Shokukokin wakashū:Fujiwara no tameiie)

瀬の流れが早い川に突き出す岩。その岩の上にこぼれるように咲く山吹を詠まれた一首。
一首を詠んだ藤原為家は、藤原定家の嫡子として『新古今和歌集』以後の中世歌壇で平淡美を歌風として活躍しました。為家の一首が撰集されている『続古今和歌集』は、撰者の一人となっています。『続古今和歌集』は、鎌倉時代に成立した11番目の勅撰和歌集です。名の表すとおり、『古今和歌集』・『新古今和歌集』の先例に倣い編纂されたことは、仮名序・真名序を備えたところからも窺えます。

為家の一首は、題に即して詠まれた題詠歌です。為家は、題は歌の中に詠み込むべきものであるとして、川の浅瀬で勢いよく流れる川岸の岩の上に枝を伸ばした山吹を詠みました。こぼれるように咲く情景を想像して詠まれた一首は、清流の音と花の可憐さが実体験のように生き生きと伝わってきます。

清々しい水の流れと山吹の鮮やかな光景をありのまま、平明な詞遣いにより心の深さを求め、印象深く詠まれた一首を書で表しました。

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曙花

山もとの 鳥の声より 明けそめて 花もむらむら 色ぞ見え行く(玉葉和歌集:永福門院)
Yama moto no tori no koe yori ake somete hana mo muramura iro zo mie yuku
(Gyokuyou wakashū:Eifukumonin)

春のあけぼの。山のふもとで鳥の声がして、夜が明け始め、桜の花色が少しず浮かび上がって見える景色を詠まれた一首。

『新古今和歌集』以後、王朝的なものが影をひそめていく中世。そうした時代を背景に『万葉集』を拠り所に新風を興した京極為兼が撰者となった、第14番目の勅撰和歌集『玉葉和歌集』に撰集された一首です。京極派を興した京極為兼は、万葉時代のように心に起こる所のままを表現することを目指しました。一首を詠んだ永福門院(えいふくもんいん)は、京極派を代表する歌人の一人として、為兼の唱える心を本位とした真実の感動を詠みました。

一首は『玉葉和歌集』春下で、「桜」を題とした中に排列されています。詞書に「曙花(しょか)」と題されいるとおり、一首は鳥のさえずりから始まり、まだ仄暗い明け方のなかで、あちらこちらで咲く桜の白い花色が浮かび上がってみえてきます。天象の刻々と変化していく中で、細やかに自然を捉えた表現に京極派独特の感性が表れています。

また、門院の御歌に多く見られる「むらむら」という語彙が一首にみられるように、感覚に即して事象を鮮明に表現したところに、自然を深く凝視されたことが窺えます。聴覚と視覚により時間の推移を捉えた一首は、春のあけぼのを幻想的に伝えます。

春の情景を夢幻的に詠まれた一首を書で表しました。

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おしなべて

おしなべて 花の盛りに なりにけり 山の端ごとに かかる白雲(千載和歌集:西行)
Oshinabe te hana no sakari ni nari ni keri yamanoha goto ni kakaru shirakumo
(Senzaiwakashū:Saigyou)

見渡す限り花盛りとなった。いずれの山の端にも、ほんのりと山桜が白雲のようにかかって見えると詠まれた一首。

藤原俊成が撰者となった、『千載和歌集』春上で「桜」を歌題とした中に排列されています。西行の一首は、山々を埋める山桜を白雲に見立て、穏やかに広々とした花盛りの景色を詠みました。一読して意味がよくわかり、穏やかで余韻を感じます。西行の一首は、抒情豊かで格調高く、俊成の歌の理想とした志向と合ったものと思います。

麗らかな春景色をおおらかに詠まれた一首を書で表しました。

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八重山桜

いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな(詞花和歌集:伊勢大輔)

奈良の僧都から宮中に進上された八重桜を詠まれた一首のとおり、古都に咲く雅な趣を漂わす八重山桜。伊勢大輔の一首に寄せ、白い控えめな花が優美で落ち着きのある、閑雅な山桜を和紙の繊細な色合いと線描によって表しました。

 ” Cherry Blossoms” 

「植物」
2024年3月26日(火)~3月31日(日)
gallery DAZZLE( 東京 北青山 )https://gallery-dazzle.com/

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水の面に

水(み)のおもに あやおりみだる 春雨や 山のみどりを なべて染むらん(新古今和歌集:伊勢)
Mi no omo ni aya ori midaru harusame ya yama no midori wo nabete somuran
(Shinkokin Wakashū:Ise)

池の水面を綾織るように乱す春雨。春雨が山を緑に染め上げているのであろうか、と詠まれた一首。

古今時代を代表する女流歌人、伊勢の詠んだ一首は『新古今和歌集』春歌上で「春雨」を歌題とした中に排列されています。一首は『新古今和歌集』の詞書に記された、「寛平御時后宮の哥合哥(かんぴょうのおおんとき きさいのみや の うたあわせ うた」とあるとおり、紀貫之をはじめ、古今時代を代表する歌人が集う、歌合せで詠まれたものです。

春の野山に降り注ぐ春雨が、水面に綾を織りなすように波紋を映し出し、山に降り注いだ春雨が若葉の緑を染め上げているのだろうか、と詠みました。鏡に見立てた水面に映る波紋に着目し、萌え出たばかりの瑞々しい若葉の緑を鮮やかに浮かび上がらせます。

清新な春の情感を細やかで、色彩豊かに捉えた一首を書で表しました。

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春の色

霞とも 花ともいはじ 春の色 むなしき空に まづしるきかな(式子内親王集:式子内親王)
Kasumi tomo hana tomo ihaji haru no iro munasiki sora ni madu shiru ki kana
(Shokushi naishinnou syu : Shokushi naishinnou )

果てしなく広がる大空。春を伝える霞も花も眼には見えない空に、春の兆しがはっきりと感じられると詠まれた一首。

新古今時代を代表する歌人の一人、式子内親王が詠まれた一首は、霞や花の実体のない空の気配を心の眼で捉え、春の空気感を「春の色」という詞で表したところに、内親王らしい繊細な感性が表れています。うららかな春の気配を伝える一首を書で表しました。

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野辺の早蕨

まだきにぞ 摘みに来にける はるばると 今もえ出づる 野べの早蕨(堀川百首:祐子内親王家紀伊)
Mada ki ni zo tsumi ni kini keru harubaru to ima moe izuru nobe no sawarabi
( Horikawahyakusyu : Yushi nai shin nou ke ki i )

平安時代末期、院政時代に成立した『堀河百首』(堀河院御時百首和歌)の春部で「早蕨」(さわらび)を歌題とした中で詠まれた一首です。『堀河百首』は、長治2年(1105年)に堀河天皇に奉献されたとされ、当代を代表する歌人たちが詠んだ、百題百首からなるものです。その中の一首を詠んだ紀伊は、後朱雀天皇の皇女、祐子内親王の女房として仕え、院政期を代表する女流歌人の一人として、余情豊かで格調高い歌を詠みました。

早蕨は、『万葉集』に撰集されている志貴皇子の

いはばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも

で詠まれた、雪が解け、勢いよく谷川が流れる音を背景に早蕨と出会った感動を「春になりにけるかも」という詞で想いを込めたように、春到来の歓びが託されています。

芽吹いたばかりの早蕨は、春到来を告げる証(あかし)として歌に詠み継がれました。『源氏物語』第48帖「早蕨」で、山寺の阿闍梨(あじゃり)が土筆(つくし)や蕨を神仏や主君にささげる”初穂”として中の君に贈られたように、初物の蕨が神聖な供物として扱われていたことが窺えます。「早蕨」が春の証とされた背景については、「春のしるし」(2015年1月5日)の記事を参照ください。

紀伊の「早蕨」を詠んだ一首は、はるばると野辺に蕨を摘みにやってきたところ、蕨は萌え出たばかりであったと待ちきれない想いを詠みました。
芽吹いたばかりの神聖な蕨の瑞々しい生命感によって、春を迎える歓びを伝えた一首を書で表しました。

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梅花

わが園に 梅の花散る ひさかたの あめより雪の 流れくるかも (万葉集:大伴旅人)
Waga sono ni ume no hana chiru hisakata no ame yori yuki no nagare kuru kamo
(Manyoushū:Ōtomo no tabito)

庭の白梅の花びらがしきりと散っている。あれは、花びらではなく、天空から雪が舞い降りてきているのだろうか、と詠まれた一首。

一首は万葉の代表歌人の一人、大伴旅人(おおとも の たびと)が、大宰府の長官であった折、自らの館で主催した観梅の宴で詠まれたものです。白梅を雪に見立てた一首は、白梅の清らかさと共に、観梅の宴の雅な風情が伝わってきます。中国より渡来した早春の季を知らせる白梅は、万葉の時代人々に愛され、白梅賛美の歌が数多に詠まれました。

清雅な白梅の佇まいに寄せて詠まれた一首を書で表しました。

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雪降れば

雪降れば 冬ごもりせる 草も木も 春に知られぬ 花ぞ咲きける (古今和歌集:紀貫之)
Yuki fureba fuyu gomori seru kusa mo ki mo haru ni sirarenu ha zo saki keru (kokin Wakashū:Kino Tsurayuki)

草木の積もった雪を「春にしられぬ花」に見立てた一首。古今時代を代表する歌人の一人、紀貫之が桜の落花を雪に見立てた発想と対をなす形で雪を冬に咲く花に見立てました。白雪を頂いた草木は、厳しい冬を超えて咲く花の生命感と気高さを伝えます。

桜の花に劣らぬ白雪に包まれた冬の草木の美しさを詠まれた一首を書で表しました。

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山橘

この雪の 消(け)残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む(万葉集:大伴家持)
Kono yuki no kenokoru toki ni iza yukana yamatahcibana no mi no teru mo mimu
( Manyoushū:Ōtomo no yakamochi )

雪が消えないうちに、山橘(やまたちばな)の実が雪に映える景色を見に行こう。『万葉集』の代表歌人の一人、大伴家持が山に自生する山橘を詠んだ一首。山橘とは、藪柑子(やぶこうじ)の別名のひとつです。山橘という名で『古今和歌集』、『枕草子』などにも登場するとおり、古来より親しまれてきた植物です。実の熟する冬期、雪化粧した常緑の葉の下に赤々とした実が鮮やかに映え、清々しい生命感を伝えます。

寒気の中、常緑の艶やかな葉を保ち、紅い実を輝かせる藪柑子に寄せた一首を書で表しました。

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