植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

生田の森

昨日だに 訪はむと思ひし 津の国の 生田の森に 秋は来にけり(新古今和歌集:藤原家隆)
Kinofu dani tohamu to omohishi tu no kuni no ikuta no mori ni aki ha kini keri
(Shinkokin Wakashū:Fujiwara no Ietaka)

夏であった昨日ですら、訪れようと思った生田の森。古歌に詠まれた通り今日、初風が吹き秋になったのだと立秋の心を詠まれた一首。『新古今和歌集』の秋歌上で「立秋」を歌題とした一群の中に排列されています。一首を詠んだ藤原家隆(ふいわら の いえたか)は、新古今時代を代表する歌人で、『新古今和歌集』の撰者の一人として活躍しました。

家隆の本歌は、次の一首です。

君すまば とはましものを 津の国の 生田の森の 秋の初風(詞花和歌集:清胤 しょういん)

家隆は本歌の「秋の初風」を受け、秋を待ちかねる心を多くの歌人が和歌に詠んだ歌枕の名所として知られる摂津の国、生田神社の鎮守の森「生田の森」を題材に清澄な歌風で詠みました。

神秘的な森林の佇まいを想わせ、秋を愛した家隆の爽やかで清浄感あふれる一首を書で表しました。

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野面の草

よられつる 野もせの草の かげろひて 涼しくくもる 夕立の空(新古今和歌集:西行)
Yorare tsuru nomo se no kusa no kagerohi te suzusiku kumoru yufudachi no sora (Shinkokin Wakashū:Saigyō)

夕立がやって来る気配を風でもつれ合ったの野原一面の草によって捉えた一首。『新古今和歌集』の夏部の後半「夕立」を歌題として詠まれた一群に排列されています。

『古今和歌集』より『新古今和歌集』に至る勅撰和歌集の中で「夕立」を題として6首を夏部で排列されたところに新古今以前の勅撰和歌集には見られない新味が表れています。

『新古今和歌集』での「夕立」一群の流れは、西行の夕立の気配を詠んだ一首に始まります。それに続き、藤原清輔(ふじはら の きよすけ)西園寺公経(さいおんじ きんつね)源俊頼(みなもと の としより)源頼政(みなもと の よりまさ)、最後に式子内親王(しょくし ないしんのう)の夕立が過ぎ去った後の静けさをひぐらしの声に託して詠まれた一首の順に排列されいます。式子内親王の一首は、その後に続く「蝉」を歌題とした流れに自然とつながっていきます。

「夕立」6首は上記に示した西行を始めとして平安末期から鎌倉初期の歌人で構成されています。その背景として、鎌倉初期に催された『六百番歌合』、それに続く『新古今和歌集』の編纂の命を下された後鳥羽院(ごとばのいん)によって開催された『千五百番歌合』の歌題のひとつとして「夕立」がみられることからも、新古今時代の代表歌人によって探究された歌題であったことが窺えます。

『古今和歌集』以来、夏部を代表する伝統的な夏の風物「納涼」に続く歌題として、夏の自然現象を捉えた「夕立」に着目されたことは、情趣的な平安朝の美意識から中世へと移り行く時代の変化が表れていると思われます。

なかでも西行の一首は、夕立の雨雲が近づき、先立って激しく吹く風で涼しくなり、辺りが暗くなった様を鋭く動的に捉えています。夏の陽射しを受けて青々と茂る逞しい生命力の夏草が一転して雲に覆われ、強風によってもつれ合う急激な天象の変化を詠んだ一首には偉大な自然の力、荘厳さを思わせます。

夏の自然現象を大きなスケールで詠まれた一首を書で表しました。

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七夕に寄せて

たおやかで可憐な撫子(なでしこ)。平安時代の七夕には花の優劣を競い、七夕伝説に寄せて歌合(うたあわせ)をする、「瞿麦合」(なでしこあわせ)が催され、可憐な草姿が愛でられました。和紙による撫子を扇面にあしらい、敷き紙にかな料紙を取り合わせ、星合をイメージしました。

”Tanabata”

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夕月夜

夕月夜 ほのめく影も 卯の花の 咲けるわたりは さやけかりけり(千載和歌集:藤原実房)
Yufudukuyo honomeku kage mo unohana no sakeru watari ha sayake kari keri
(Senzaiwakashū:Fujihara no Sanefusa)

暮方の空にかかる月の光の中に咲く卯の花を詠まれた一首。平安末期~鎌倉前期の歌人、藤原実房(ふじわらのさねふさ)の一首は平安末期、後白河院から撰進の命を受けた藤原俊成((ふじわらのとしなり)が撰者となって編纂された『千載和歌集』夏部で、「卯花」を歌題とした中に排列されています。

一首には「暮見卯花といへる心をよみ侍りける」と詞書があります。
夕方の月の光のほの暗い中、かかる光も微かな卯の花を詠みました。しだれる枝に小花を多数つけ、夏到来を告げる卯の花は、万葉時代から和歌に詠まれてきました。

一首では初夏の暮方の仄かな光の中でも、卯の花の咲いているあたりがくっきりと浮かび上がり、花の白さが際立ってみえます。また、卯の花の白さは雪にも見立てられ、和歌に詠まれてきました。実房の一首は、夕暮れの薄明のなかに卯の花の白さを捉えた視点が清新です。

純白の花が咲きこぼれるさまは清らかで、心安らかな心地を与えてくれます。楚々とした花の風情に寄せる想いを詠まれた一首を書で表しました。

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春の柳

浅緑糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春の柳か (古今和歌集:僧正遍照) 
Asamidori ito yori kake te siratsuyu wo tama nimo nukeru haru no yanagi ka
(Kokinwakashū:Soujyou Henjyou)

浅緑の色を纏った糸のような芽吹きのしだれ柳。その柳の糸を数珠に見立てた白露が貫いている様を詠まれた一首。一首を詠んだのは、「六歌仙」・「三十六歌仙」の一人として知られる平安前期の歌人、僧正遍照(そうじょうへんじょう)です。

『古今和歌集』春上に排列された一首の詞書には、「西大寺のほとりの柳をよめる」とあり、平安京の寺の畔にある枝垂れ柳が詠まれたことがわかります。繊細でたおやかな枝垂れ柳の風情には、都の春の華やぎが伝わってきます。

万葉以来、春の景物として芽吹いたばかりの枝垂れ柳のしなやかな細葉は浅緑に染めた糸に見立てられて、数多の歌が詠まれてきました。

春の日に 萌(は)れる柳を 取り持ちて 見れば京(みやこ)の 大路念(おも)ほゆ
(大伴家持:おおとものやかもち)

万葉の代表歌人、家持の一首からは芽吹いた柳の浅緑に彩られた華やかな都大路の賑わいが想い起されます。柳は奈良の平城京では街路樹として朱雀大路に植えられ、都を象徴するものでした。平安京に遷都されてからも、朱雀大路を中心として御所や邸の庭、川の護岸として植えられ、柳の芽吹きは都の春を象徴する景物として愛でられました。

春雨を受けて露が玉となり、纏わりついた柳の糸が春風に揺れるさまを瑞々しく詠まれた一首を書で表しました。

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風の柵

山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり(古今和歌集:春道列樹)
Yamagaha ni kaze no kaketaru shigarami ha nagaremo ahenu momiji nari keri
(Kokinwakashū:Harumichi no tsura ki)

山中を流れる谷川にとどまる紅葉を柵(しがらみ)に見立て詠まれた一首。一首を詠んだ春道列樹(はるみち の つらき)の歌は、『古今和歌集』秋歌下に撰集され、紅葉の落葉を歌題とした中に排列されています。一首の詞書には「志賀の山越えにて詠める」とあります。

谷川の散紅葉が見立てられた柵(しがらみ)とは、水中に杭を打ち、竹や柴を絡ませ、水をせき止めたり、流れの勢いを弱めたりするものです。一首で詠まれた谷川は、柵(しがらみ)という言葉から流れは緩やかでなく、せきとめるほどに木の葉が留まっていると読み取れます。山を吹き抜ける風によって川面に降りたまった散紅葉は 柵(しがらみ) となり、色鮮やかな晩秋の景が広がります。流れをせきとめる 柵(しがらみ) は、人によって造成されるものでなく、風の力によって破れやすい木の葉を自然にせきとめ、造られたという視点が清新です。山を吹き抜ける風は冷たく、辺りの空気も凛として感じられます。

川面の散紅葉の見立てによって、秋の名残と冬の気配を鮮やかに詠んだ一首を書で表しました。

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秋景

みどりなる ひとつ草とぞ 春は見し 秋はいろいろの 花にぞありける(古今和歌集:よみ人しらず)
Midori naru hitotsu kusa tozo haru ha mishi aki ha iroiro no hana ni zo ari keru
( Kokinwakashū:Yomobitosirazu ) 

春景、秋景それぞれ野辺の草花が織りなす風情の違いを見出し詠まれた一首。一首は『古今和歌集』の秋歌上で「萩」「女郎花」「藤袴」「花薄」「撫子」など、秋草を詠まれた一連の流れの中に排列されています。

一首では、春の野が緑一色のひとつの草として見え、秋になると様々な草花で彩られることに気づき、春秋それぞれの季節を色で捉えました。春の草花は草丈が低く、遠景で見渡した景色は柔らかな若草色が心に留まります。

『古今和歌集』秋歌で取り上げられている萩・女郎花・藤袴・花薄・撫子など、秋に花を咲かせる野草は草丈があり、繊細な小花が集まって咲くものが多く、群生して野辺を彩ります。遠景で見渡すと花の形はぼんやりとして花の色が霞のように辺りを染めて浮かび上がり、艶やかさが心に留まります。

春景の若草色との対比によって秋景の色彩の豊かさを伝えた古歌を書で表しました。

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草の原

ゆくすゑは そらもひとつの武蔵野に 草の原より いづる月かげ(新古今和歌集:藤原良経)
Yukusue ha sora mo hitotsu no musashino ni kusa no hara yori izuru tsukikage
( Shinkokin Wakashū:Fujiwara no Yositsune )

秋の武蔵野の原野に昇る月を心に想い、詠まれた一首。一首を詠んだ藤原良経(ふじわらのよしつね:九条良経)は、新古今時代を代表する歌人のひとりです。『新古今和歌集』の秋歌上で「月」を歌題として詠まれた中に排列されています。一首には次の詞書があります。

五十首歌たてまつりしに野径月(やけいのつき)

詞書には建仁元年(1201年)、後鳥羽院主催の「仙洞句題五十首」で月をテーマに原野の小径をイメージし、詠まれたことが記されています。

『万葉集』の東歌で武蔵野を詠まれた歌が収められてより、平安時代になって『伊勢物語』や『古今和歌集』などの物語や和歌に武蔵野の草原が取り上げられ、武蔵野への関心が高まりました。

紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る (古今和歌集:よみ人しらず)

『古今和歌集』雑上に撰集された一首は、一本の紫草がある武蔵野の草すべてが、ゆかりのあるものとして懐かしく、愛しく思うと詠まれたものです。一首は武蔵野の紫草への愛着から発展し、女性を紫草に見立て、女性とゆかりのある人すべてが懐かしく思われると解釈されるようになりました。武蔵野への愛着を詠まれた古歌は共感を呼びました。『伊勢物語』41段では『古今和歌集』の上記の歌を踏まえ、「武蔵野のこころなるべし」と歌の心を物語に表し、武蔵野に寄せるイメージが印象付けられました。四方を山に囲まれた都の人は、遥か彼方を見渡せる原野に憧れ、想像しました。

良経の一首は、秋の夕空と一つになって遮るものがない武蔵野の原野から昇る月を想像し、歌に詠みました。

秋の武蔵野を詠んだ歌には、『古今和歌集』に次ぐ二番目の勅撰集『後撰和歌集』秋中のなかで秋草に寄せて詠まれた次の一首が見られます。

をみなえし にほへる秋の 武蔵野は 常よりも猶 むつまじきかな ( 後撰和歌集:紀貫之 )

秋の七草として万葉以来、たおやかな風情を女性に見立てられたオミナエシを秋の武蔵野の景として詠んだものです。貫之の一首は、紫草を詠んだ古歌に込められた武蔵野の地の温かさ、人の和やかさが感じられます。

秋草への愛好が深化した中世へと変革していく時代を生きた良経は、秋草が咲き乱れる草原を ”花野” と呼ぶように、「草の原」という詞によって ”花野” の風情を武蔵野に想い、イメージを膨らませたように思います。

四季の中でも色とりどりの草花で彩られる秋の野の美しい風景は、秋が深まるにつれて次第に色褪せ、一色の寂寥とした冬景色へと移ろっていきます。中世以降、武蔵野は秋を想わせる題材として定着し、文学・絵画・工芸など多彩な表現により、作品が生み出されていきます。

花野の小径を想像し、秋の武蔵野への憧憬を託した一首を書で表しました。

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群すすき

穂にいづる み山が裾の 群すすき 籬(まがき)にこめて かこふ秋霧 (山家集:西行)
Ho ni izuru mi yama ga suso no mura susuki magaki ni kome te kakofu aki giri
(Sankashū:Saigyou)

西行の家集『山家集』秋巻上のなかで”霧中草花”と題された一首です。
薄は秋の七草に数えられているように、薄の花穂が秋風に靡く様や露を宿した風情、霧や月と取り合わせるなど自然事象を背景に歌に詠まれ、秋の情趣を伝える花として古来、愛でられてきました。

平安中期の『枕草子』の中で、薄について清少納言は次のように評しています。

秋の野に おしなべたるをかしさは 薄にこそあれ、穂先の蘇枋(すおう)にいと濃きが、朝霧にぬれて うちなびきたるは、さばかりの物やある。(第67段)

秋の野で趣深い秋草は薄であると述べ、しっとりとした朝霧の中で眺めるように、自然を背景に薄を観照することで花穂の風情は輝きを増し、心に響きます。

西行の一首は題しているとおり、秋霧に包まれた薄の群落を詠んでいます。
山裾に広がる花穂が立ち上がった薄の群れは霧が垣根となって包み隠し、幻想的な情景が浮かび上がります。

薄の穂波を隠す霧を籬(まがき)に見立てることで、薄はたおやかで優美な景物として抒情豊かに引き立てられます。

秋の野の気配を情趣豊かに伝える一首を書で表しました。

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萩に蜩

人もがな 見せも聞かせも 萩の花 咲く夕かげの ひぐらしの声(千載和歌集:和泉式部)
Hito mo gana mise mo kikase mo hagi no hana saku yufukage no higurashi
no koe (Senzaiwakashū: Izumisikibu)

秋を伝える萩の花、そしてひぐらしの声に寄せる想いを詠まれた一首。平安中期に紫式部と同時代に活躍した女流歌人、和泉式部の一首です。

一首は『千載和歌集』の秋上部に撰集されています。『千載和歌集』は平安末期、後白河院から撰進の命を受けた藤原俊成(ふじわらのとしなり)が撰者となりました。和泉式部は藤原俊成をはじめ、源俊頼・崇徳院など、当代の歌人に並んで入集歌数が多く、 この勅撰集を代表する歌人の一人となっています。萩とひぐらしを詠んだ一首には、抒情を重んじた俊成の志向が窺えます。

夕暮れ、たおやかな枝に可憐に咲く萩の花、そして心に響くひぐらしの声が醸し出す秋の情趣を誰かと分かち合いたいという思いを歌いあげ、感動が真直ぐに伝わってきます。

しみじみとした秋の佇まい、感銘が心に沁みる一首を書で表しました。

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