植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

杉木立

白雲は 夕べの山に おり乱れ なかば消えゆく 峰の杉むら (玉葉和歌集:伏見院)
Shirakumo ha yufube no yama ni ori midare nakaba kieyuku mine no sugi mura
(Gyokuyouwakashū:fushimi no in)

『杉』と題して詠まれた一首。白雲が立ち上る峰々に立つ杉木立を暮色の中で捉えた京極派の代表歌人、伏見院の御歌です。『新古今和歌集』以後、目新しさを見い出せなくなっていった歌壇に新風を興したのが、藤原定家の曾孫にあたる京極為兼が中心となった京極派と呼ばれる流れです。

伏見院の院宣によって京極為兼が撰定した『玉葉和歌集』の中で、伏見院の一首は雑部に撰集されています。暮れ方、薄明の静けさの中、立ち昇る雲、乱れかかる雲の動きを捉えたところに京極派らしい歌風が表れています。また、「杉」を題としたところに伏見院の新たな歌境を拓こうとした京極派としての志向が表れています。生きた自然の風景を純粋に感受され、新味のある清新な歌風で鮮やかに詠まれています。

夕暮れの光線の微妙な色調の変化の中で眺めることで、谷間から立ち昇る白雲が漂う中、杉の林が濃淡でぼかされ、深遠な風景が広がります。刻一刻と変化していく夕暮れ、折り乱れる白雲の動きによって、天に向かい真直ぐに立つ杉の荘厳さが心に深く留まります。広やかで清澄な風趣を伝える一首を書で表しました。

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容花

高円(たかまど)の野辺の容花(かほばな)面影に 見えつつ 妹(いも)は
忘れかねつも ( 万葉集:大伴家持 )
Takamado no nobe no kaho bana omokage ni mietsutsu imo ha
wasure kanetsumo( Manyoushū:Ōtomo no yakamochi )

奈良の平城京の郊外、高円山の麓に広がる野辺に咲く容花(かおばな)。その花に想いを寄せる女性の面影を重ね、詠まれた一首。

万葉の時代、長閑で美しい高円山とその山麓は、貴族たちが風流な野遊びを愉しむ清遊の地として歌によく詠まれました。家持の一首は、高円の緑に覆われた風雅な美しい風景の中に浮かび上がる、容花の清楚で愛らしい姿が際立ってみえます。一首に詠まれた容花は定説のとおり、優しく涼やかな佇まいの昼顔が相応しく思います。

高円の野辺で慎ましく咲く、昼顔の花に寄せた一首を書で表しました。

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天照る月

花散りし 庭の木の葉も 茂りあひて 天照る月の 影ぞまれなる (新古今和歌集:曾禰好忠)
Hana chiri shi niha no konoha mo sigeri ahite amateru tsuki no kage zo mare naru
(Shinkokini Wakashū:Sone no Yoshitada)

新緑の季節の月を詠んだ一首。桜の花が散った後、枝一面に新葉が広がり、天地を照らす月の光は僅かにしか差し込まない初夏の樹木の勢いが伝わってきます。

『新古今和歌集』夏歌に撰集された一首を詠んだ曾禰好忠(そね の よしただ)は、平安中期の歌人として既成概念にとらわれず、万葉の詞を用いたり、清新な感覚と着想で歌を詠みました。

好忠の一首に詠まれた「天照る月」という詞は、以下の歌に示すように『万葉集』にみられる詞です。

久方の 天照る月の 隠りなれば 何になそへて 妹を偲はむ( 巻11:作者未詳 )
久方の 天照る月は 神代にか 出てかへるらむ 年は経につつ ( 巻7:作者未詳 )

『新古今和歌集』では、和歌の伝統に新たな風を興そうとして『万葉集』を拠り所しているように、好忠の一首は万葉の詞を取り込みつつ、新味のある視点で夏の月を詠んだところに着目され、撰集されたと思われます。

万葉の詞の荘厳な響き、力強さによって樹木の生命力を一層引き立てる一首を書で表しました。

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扇面 二人静

白い小さな粒状の花が多数付いた花穂が愛らしい、二人静(ふたりしずか)。花穂が1本付く一人静(ひとりしずか)に対し、花穂が2本付く個体が多いことから二人静と呼ばれる新緑の野に咲く山野草です。名の由来となった、能『二人静』で静御前の霊に憑依した菜摘女と同じ装束で静御前の霊が現れ、寄り添うように共に舞う、ぴたりと合った相舞の姿を想わせる草姿は、清楚な内にも華やぎがあります。細やかな花と葉の対比が清々しい花の風情を和紙の取り合わせ方と和紙それぞれの持つ特性によって表し、扇子にあしらいました。

“Chloranthus serratus”

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定家葛

初夏、白い芳香のある小花を多数つけるテイカカズラ。能『定家』の物語に名の由来がある、蔓性の動きのある形状と薫り高く清楚な小花の醸し出す趣は、藤原定家と式子内親王の忍ぶ恋と、式子内親王の気品、内親王の死後にその墓にからみついた定家葛の物語を想像させます。

細やかで優しいテイカカズラの風情を和紙の取り合わせ方としなやかさで表しました。

“Asiatic jasmine”

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山吹の花

桜ちり 春のくれ行くもの思ひも 忘られぬべき 山吹の花(玉葉和歌集:藤原俊成)
Sakura chiri haru no kure yuku mono omohi mo wasura renu beki yamabuki no hana
(Gyokuyou Wakashū:Fujiwara no Toshinari)

山吹の花に惜春の思いを託した一首。桜が散り、春が過ぎ去る寂しさを山吹の花が忘れさせてくれます。平安末期を代表する歌人の一人、藤原俊成(ふじわらの としなり)の詠んだ一首は、『玉葉和歌集』春歌 下で「山吹」を歌題に詠まれた中に排列されています。

『玉葉和歌集』は、京極為兼主導で撰定された勅撰集です。為兼は本歌取りや枕詞・縁語・掛詞などの旧来の修辞法に捉われず、”心のままに詠む”ことを理想としました。

『玉葉和歌集』に撰集された俊成の一首は、「暮れ行くもの思ひ」という詞で内に動く心をさらりと託し、春の余情を伝える山吹の優美な風情が心に留まります。しなやかに枝垂れる枝に咲く、色鮮やかな花に寄せた一首を書で表しました。

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桜色

桜色 のにはの春風 あともなし とはゞ ぞ人の 雪とだに見ん (新古今和歌集:藤原定家)
Sakura iro no niha no haru kaze ato mo nashi tohaba zo hito no yuki to dani min  (Shinkokin Wakashū : Fujiwara no Sadaie)

落花を雪に見立てた趣向の一首。『新古今和歌集』春歌 下に排列された藤原定家の一首は、『古今和歌集』春歌 上に排列されている在原業平の一首を本歌としています。

今日来ずは 明日は雪とぞ 降りなまし 消えずはありとも 花と見ましや

業平の一首は落花を降雪に見立て、「雪となって散ってしまった桜を人は花とみるでしょうか」と雪に見立てることで花盛りの跡形もないものとして表現しました。

定家の一首は、「散った花を人は雪と見てくれるであろうか」と業平が降雪に見立てた趣向を取りつつも、下句で散った花は形あるものとして捉えたことで、上句での「今は形跡もない 桜色に染まった春風」の余韻が心に深く残ります。

形に残らない春風を桜色に捉え、春の余情を繊細な感覚表現で捉えた一首を書で表しました。

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秋の色

影よわき 柳が末(うれ)の 夕づく日 さびしくうつる 秋の色かな(風雅和歌集:庭田重資)
Kage yowaki yanagi ga ure no yufuduku hi sabishiku utsuru aki no iro kana
(Fuugawakashū:Niwata shigesuke)

夕日を受けた柳の枝先が映す影が弱くなり、秋の色に感じられると詠まれた一首。

一首は『風雅和歌集』秋上で、「柳」を題とした6首の中に排列されています。『古今和歌集』以降、勅撰和歌集の秋部で「柳」に着目されたことは、他集にみられない新味があり、『風雅和歌集』の独自性を示しています。「柳」6首は、新古今時代の代表歌人、藤原家隆の1首を除き、京極派を代表する歌人、京極為兼、伏見院、永福門院、光厳院、重資によって構成されていることからも独自性が窺えます。

鎌倉時代に『新古今和歌集』が成立して以降の歌壇は、藤原定家の孫の時代に御子左家(二条家)、冷泉家、京極家に分かれ、御子左家の二条派が主流となりました。『新古今和歌集』以後、目新しさを見い出せなくなっていった歌壇に新風を興したのが、藤原定家の曾孫にあたる京極為兼が中心となった京極派と呼ばれる流れです。そうした流れの中で『風雅和歌集』は、京極派の花園院の企画監修により、光厳院が撰者となって撰集されました。「柳」の一首を詠んだ庭田重資(しげすけ)もまた、鎌倉末期~南北朝時代の動乱の世で活躍した京極派歌人のひとりです。

和歌に詠まれる風物は『古今和歌集』以来、花や月など変わることなく受け継がれてきました。京極派の歌人は、詠み尽くされた風物を天象の刻々と変化する中で眺め、自然の歌を詠みました。

なかでも柳は奈良時代、中国から柳に込められた文化と共に渡来してより、『万葉集』をはじめ、その新緑の美しさから春を象徴するものとして心が託され、数多の歌が詠まれてきました。また、夏は青々と茂った葉影が、清涼感を呼ぶ景物として捉えられました。

『風雅和歌集』では秋と対となる春部の「柳」を詠んだ歌についても、春風に靡く柳を糸に見立てた”青柳の糸”といった、固定化された発想や展開の枠を出て、新緑の緑の色名が用いられた歌が多く見られます。また、柳の新緑を「春の色」「春になる色」という言葉を使い、色によって季節の深まりや春の長閑さを感覚的に捉えるなど、京極派の歌風が反映された排列美が展開されています。

秋の「柳」を詠んだ重資の一首は、柳を夕日の光線の中で陰影と共に眺め、表現したところに京極派独特の歌風が現れています。春の色を伝えてきた伝統的な柳のイメージと対比させ、暮色に包まれた世界に柳を「秋の色」として捉えたところが清新です。その枝先は秋風で大きく揺れ動くものではなく、散りゆく葉の動きを動的に捉えたものでもなく、静的に水墨画のような光の陰影で表現されており、『風雅和歌集』独特の世界が広がります。

他の京極派歌人、京極為兼、伏見院、永福門院、光厳院の「柳」を題とした歌についても、夕暮れを背景に詠まれています。

柳に寄せ、夕景の中で秋の閑寂を伝える一首を書で表しました。

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尾花

人皆は 萩を秋と言ふよし 我は尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ
(万葉集 巻十:よみ人しらず)

人は皆、秋といえば萩の花を上げる。私は、風に靡く尾花の穂にこそ秋の花と言いたいと率直に詠まれた歌。尾花と呼ばれるススキは、萩に次いで秋を代表する花として万葉の人に愛されていました。

秋の七草に数えられるススキの穂は秋の景物として花として捉え、古来より親しまれてきました。彩り豊かで花の形や大きさも大小さまざまな秋草の中で、ススキはしみじみとした秋の情趣を引き立てます。風に靡く様は、冬枯れの荒涼とした季節を前にして、静かに季節の推移を伝えます。

群落をなして風に靡く様を想い起す一首を書と線描で表しました。

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小萩咲く

ふるさとの 本あらの小萩 咲きしより 夜な夜な庭の 月ぞうつろふ
(新古今和歌集:藤原良経)
Furusato no moto ara no kohagi sakishi yori yonayona niha no tsuki zo utsurofu
( Shinkokin Wakashū:Fujiwara no Yositsune )

小萩が咲く季節、月の光に清澄な秋の気配を詠んだ一首。
一首は『新古今和歌集』秋歌上で月を歌題とした中に排列されています。一首を詠んだ時の摂政太政大臣藤原良経(ふじわらのよしつね:九条良経)は、『新古今和歌集』仮名序を執筆し、巻頭に排列された歌を詠んだ新古今時代を代表する歌人のひとりです。一首には次の詞書があります。

五十首歌たてまつりし時、月前草花

詞書には建仁元年(1201年)に後鳥羽院主催の「仙洞句題五十首」に詠まれたもので、月光に照らされた秋草を題として詠まれたことが記されています。

良経の本歌は、『古今和歌集』(恋歌:よみ人しらず)の次の歌です。

宮城野の 本あらの 小萩露を重み 風を待つごと 君をこそ待て

良経の一首は本歌の「本あらの小萩」の荒れ果てた故郷の庭の萩に寄せ、夜ごと夜ごとに月の光が心にしみ徹って感じられていく時間の推移を秋の深まりと共にしみじみと感じさせます。萩の咲く頃になって庭を照らす月の光が日毎に冴えていく光景を、繊細な花とたおやかな枝が織り成す萩の風情が緩やかに伝えます。

秋の月に託し細やかな想いを詠んだ一首を書で表しました。

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