植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

藤袴に撫子

淡い紅紫の花がはんなりと咲く姿が雅な趣の藤袴。野辺で楚々として可憐に咲く河原撫子。

『源氏物語』第30帖「藤袴(ふじばかま)」より、巻名の由来となった夕霧が藤袴の花に寄せ、恋慕の情を託した一首をやんわりと退けた玉鬘。

同じ野の 露にやつるゝ 藤袴 あはれはかけよ かごとばかりも ( 夕霧 )

中国原産の藤袴は、奈良時代には日本に渡来したとされ、秋の七草として親しまれきました。平安時代、貴族の庭に植えられていたことは『源氏物語』のエピソードからも推察されます。一首を詠んだ夕霧を藤袴に見立て、第26帖「常夏(とこなつ)」で我が身を山里に咲く撫子に喩えた夕顔の遺児、玉鬘を白い河原撫子に見立て、一首の背景をイメージしました。

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藤裏葉

春日(はるひ)さす 藤の裏葉の うらとけて  君し思はば 我も頼まむ
(後撰和歌集:よみ人しらず)

Haru hi sasu fuji no uraba no ura tokete kimi si omoha ba ware mo
tanoma mu  ( Gosenwakashū:Yomobitosirazu ) 

あなたが打ち解けて私を思ってくださるのなら、私もあなたのことを頼みに思うといたしましょう、と藤の枝先に花と共に開く新葉に寄せて詠まれた一首。

一首は『古今和歌集』に次ぐ第2番目の勅撰和歌集『後撰和歌集』に撰集されています。『後撰和歌集』は春部を上・中・下と3部に分けており、一首は春下に排列されています。風に靡く艶やかな花房の風情ではなく、木の先端につく末葉を詠まれたところに特異な視点と古歌の趣があると感じます。

『万葉集』より藤は数多の和歌が詠まれ、伝えられてきました。その中に藤の枝先につく裏葉(末葉)が詠まれた一首があります。

春へ咲く 藤の末葉(うらは)の うら安に さ寝(ぬ)る夜ぞなき 子をし思へば
(万葉集:東歌)

春に咲く藤の枝先に開く新葉に寄せて、娘への思いが託されました。

『後撰和歌集』の一首は、藤の花に惜春の想いを託したもの、花盛りの情感を詠まれたものとは区別され、桜や梅の花に託した想いを春霞・鶯などの景物を背景に詠まれた歌の間に排列されています。

『後撰和歌集』の一首では、芽吹いた藤の枝先の新葉に視点が置かれ、明るい陽光に照らされた光景が浮かびます。陽光に映える新緑は、心に安らぎを与えてくれます。そして、しなやかで瑞々しい新葉はこれから眺められる満開の姿を期待させ、花の生命感を優美に引き立てます。

『後撰和歌集』の一首は、『源氏物語』第33帖「藤裏葉(ふじのうらば)」の巻名となった一首として知られています。「藤裏葉(ふじのうらば)」の巻では、内大臣(頭中将)が藤の宴に夕霧を招待し、その席で「藤の裏葉」の一首を口ずさみ、娘の雲居雁と夕霧の結婚の許しをさりげなく伝えました。内大臣は夕霧に長い年月、待たせことを待花の思いを込めた一首に託し、夕霧と和解をしたいと本心を打ち明けました。一首の歌によって、雲居雁との関係をめぐる内大臣と夕霧の長年のわだかまりが解け、互いの心が晴れました。

「藤裏葉(ふじのうらば)」の巻は、光源氏を取り巻く人々の関係が和らいで万事が落着し、栄華の物語に区切りをつける巻でもあります。そうした物語の背景を想い起す一首を書で表しました。

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藤浪

藤浪の 花は盛りに なりにけり 平城(なら)の京(みやこ)を 思ほすや君 
( 万葉集:大伴四綱 おおとものよつな )
Fujinami no hana ha sakari ni nari ni keri nara no miyako wo omohosu ya kimi
(Manyoushū:Ōtomo no Yotsuna)

藤の花の季節。咲き誇る藤の花に寄せ、奈良の都を思い出しませんかと都を懐かしむ心を人に問いかけた一首。

一首を詠んだ大伴四綱(おおとものよつな)が九州の大宰府に防人司佑(さきもりつかさのすけ)として防人を管理する職務に就いていた折、祝宴の席で大宰府の長官であった大伴旅人(おおとものたびと)に問いかけ、詠まれまれたものとされています。

古来より、藤は強い生命力と薫り高く優美な花を波打つように咲かせる姿が愛でられてきました。爽やかな新緑の季節に風に靡き花房が揺れ動く様は、壮麗な奈良の都の賑わい、華やかさを想わせます。

都の栄華を偲ばせる雅な藤の風情に寄せて詠まれた一首を書で表しました。

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梅の梢

遠村梅

ひとむらの 霞の底ぞ にほひ行く 梅の梢の花になるころ (風雅和歌集: 徽安門院 )

Hitomura no kasumi no soko zo nihohi yuku ume no kozue no hana ni narukoro (Fuugawakashū:kianmonin)

梅林の梢に艶やかな花が咲く頃を霞に託して詠まれた一首。

一首を詠んだ徽安門院(きあんもんいん)は、『風雅和歌集』の監修をされた京極派の代表歌人、花園院の皇女で、京極派を代表する女流歌人の一人です。京極派の歌風は、叙景と抒情とを独立させ、純粋な自然観照を目指したところに特異性があります。『風雅和歌集』は室町時代の初め、南北朝の対立と公武の抗争が激化した時代を背景に編纂されました。そうした時代を反映し、現実を直視して感覚によって自然を捉えた表現に特徴があります。

一首は梅林を霞を透して描写することで、時間の経過によって次第に梅林の艶やかさが増し、香りが満ち溢れていく情景を広げていきます。梅の艶やかさを絵画的に捉えるのではなく、「にほひ」という言葉で感覚的に捉えました。

梅の咲く季節をほんのりと優美に伝える一首を書で表しました。

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芭蕉葉

風吹けば 徒(あだ)に破(や)れ行(ゆく) 芭蕉葉(ばしょうば)の あればと身をも 頼むべき世か (山家心中集:西行)
Kaze fuke ba ada ni yare yuku bashouba no areba to mi wo mo tanomu beki yo ka (Sankashincyushū:Saigyō)

芭蕉の葉に託し詠まれた一首。西行の自撰になる『山家心中集』雑上にある一首です。

芭蕉は中国原産の多年草で、古くに渡来しました。大きな葉をつける所に特徴があり、鮮やかな緑の新葉が広がって行く姿は清々しく、雅趣があります。和歌の題材としては数少ないものの、『古今和歌集』に物の名に託して心を詠み込んだ物名(もののな)歌がみられます。

『古今和歌集』の物名(もののな)歌には、笹(さゝ)・松・(まつ)枇杷(ひは)・芭蕉葉(ばせをば)が詠み込まれています。心の内を表す、「心ばせ」に芭蕉を詠み込むため、「心ばせをば」と言葉を続けて詠んだ一首からは、芭蕉は葉を観賞する植物として親しまれていたことが窺えます。

さゝめに 時まつにまにぞ ひはへぬる 心ばせをば 人に見えつゝ (古今和歌集:紀乳母 きのめのと)

西行の一首は、風が吹くと脆く破れやすい芭蕉葉に着目し、人の世は定まるところがなく、儚いことを詠みました。その心の内には風雨に打たれ、葉が破れながらも耐える姿が浮かび上がります。「破芭蕉(やればしょう)」という言葉で表現されるように、風雨でやつれた葉にもまた味わい深く風情があり、最期まで生き抜く力強さを感じさせます。芭蕉葉の大きさが音の強弱を増幅させて、風が止んだ後に訪れる閑寂さを際立たせます。

この芭蕉葉に我が身を喩えた一首は、西行を慕い『奥の細道』で陸奥への旅でその足跡を辿った松尾芭蕉を想起させます。

自然と人生を芭蕉葉に託した西行の一首を書と線描の芭蕉葉で表しました。

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手向山楓

江戸後期、宝永7年(1710年)に江戸の巣鴨染井村の植木屋、伊藤伊兵衛の五代目政武(まさたけ)が『古今和歌集』、『新古今和歌集』などで知られている三十六歌仙に選ばれた歌人の詠んだ和歌の意になぞらえて三十六の品種名とその特徴を図絵を添えて解説した著書、『古歌僊楓』(こかせんふう)に発表したものの一つ。

手向山(たむけやま)楓は、『古今和歌集』に撰集されている菅原道真の一首より引かれています。

このたびは 幣(ぬさ)もとりあえず 手向山(たむけやま) 紅葉の錦 神のまにまに(菅家)

今度の旅は、急なことで幣(ぬさ)を用意する間もありませんでした。手向山(たむけやま)の紅葉を捧げますのでお受け取り下さい。

と詠まれたもので、紅葉を幣(ぬさ)として奉るという着想にこの歌の面白味があります。
幣(ぬさ)とは、神前に供える幣帛(へいはく)をいいます。紙・麻・木綿など細かく切ったものを幣帛(へいはく)としました。

手向山(たむけやま)楓の特徴は、枝垂れた枝に他の楓に比べて細長く、深い切れ込みが入るところに特徴があります。道真の楓を幣に喩えた着想が、葉の形状や枝垂れた樹形から想起されます。

新芽は紅色をしており夏には緑、秋に再び紅色に紅葉します。紅色の繊細な葉が優美な手向山(たむけやま)楓を和紙の繊細な色合いと柔らかな質感で表し、扇子にあしらいました。

”Tamukeyama”

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鴫立沢楓

江戸に徳川幕府が開かれたことをきっかけに、江戸城をはじめ大名屋敷や武家屋敷、寺社仏閣の造成に従い、城や屋敷、寺社の庭園を演出する樹木としてブームとなった楓。
庭園を彩る樹木の生産地、江戸の巣鴨染井村の植木屋、伊藤伊兵衛の五代目政武(まさたけ)は和歌を引き、品種名として園芸種を発表しました。春よりも多くの和歌が詠まれてきた秋。和歌の伝統によって、秋の美意識を楓に託し、江戸の人々に広めました。

文学を取り入れ、風雅な植物として発展させたことを偲ばせる園芸種より、秋の夕暮れを詠んだ『新古今和歌集』秋歌上に排列されている三夕の歌、西行の一首

心なき 身にもあはれは しられけり 鴫たつ沢の 秋の夕暮 

より引かれた名を持つ「鴫立沢(しぎたつさわ)」を和紙で表しました。

鴫立沢(しぎたつさわ)楓は、政武が江戸後期、寛保二年(1742年)に刊行された『三夕楓之図』(さんせきかえでのず)で発表しています。西行の一首を引いた「鴫立沢」(しぎたつさわ)、寂連法師の一首を引いた「槙立山」(まきたつやま)、定家の一首より引いた「浦苫屋」(うらのとまや)の三夕楓(さんせきかえで)の3つの品種うち、「鴫立沢」(しぎたつさわ)は現存する唯一の品種です。

浅緑の明るい葉色に葉脈の筋がくっきりと浮かび上がったところが爽やかな印象の楓です。薄く柔らかな楓の葉の質感と鴫立沢(しぎたつさわ)楓の個性を和紙の特性と線描によって表し、短冊にあしらいました。

”Shigitatsusawa”

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檜扇

橙色の花色が色鮮やかで夏らしさを感じるヒオウギ。花びらに入る紅色の斑点が花を立体的にみせ、夏の勢いを感じさせます。花後にできるさやから晩秋、黒く光沢のある種子が現れます。古来よりその黒い実は、烏羽玉(うばたま)、または射干玉(ぬばたま)と呼ばれ、黒からイメージされる夜や黒髪の枕詞として和歌に詠まれてきました。細かく分岐する茎先の細やかな風情を和紙で表し、幅広く剣状の力強いヒオウギの葉を省き、和紙による草の葉を添えました。

” Blackbery lily”

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月の桂

春霞 たなびきにけり 久方の 月の桂も 花や咲くらむ (後撰和歌集:紀貫之)
Haru kasumi tanabiki ni keri hisakata no tsuki no katsura mo hana ya saku ramu (Gosen Wakashū:Ki no Tsurayuki)

春霞がたなびく季節の到来に寄せ、月の桂にも花が咲くと思えるほど、うららかな春の気配を実感できると詠まれた一首。

”月の桂” とは、古代中国の伝説の中にある、月に生えているといわれる桂の大木をいいます。月の桂に掛かる枕詞、”久方の”は永遠なものという意味が転じ、月をはじめとして天空に関わるものに使われてきました。春霞がたなびく春の象徴的な風景を月に想いを馳せて、天にも地にも春の気配が広がっていることを印象付けています。
日本の山野に自生する桂は、真直ぐに天に向かって伸び大木となり、春には控えめな花が展開します。山野に自生する桂の木と中国の伝説の月の桂にイメージを重ねたスケールの大きさを感じる一首です。

壮麗な春景色に寄せた一首を書で表しました。

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