
枝が八方に広がり、夏に花を咲かせた後、四角い蒴果をつけ、熟すと薄紅色となり、4裂して種子が現れる様が風情あるマユミ。弾力のある枝ぶりと実を和紙のしなやかな質感と繊細な色合いで表し、陶器の花器にあしらいました。
”Euonymus sied l dianus”

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枝が八方に広がり、夏に花を咲かせた後、四角い蒴果をつけ、熟すと薄紅色となり、4裂して種子が現れる様が風情あるマユミ。弾力のある枝ぶりと実を和紙のしなやかな質感と繊細な色合いで表し、陶器の花器にあしらいました。
”Euonymus sied l dianus”
白露の 色はひとつを いかにして 秋の木の葉を ちぢに染むらむ(古今和歌集:藤原敏行)
Shiratsuyu no iro ha hitostu wo ikani site aki no konoha wo chidini somu ramu
( kokin Wakashū : Fujiwara no Toshiyuki )
無色透明な白露。なぜ、秋の木の葉を多彩な色に染めあがるのであろう、と詠まれた一首。一首を詠んだ三十六歌仙一人、藤原敏行は平安前期に宇多天皇の宮廷歌人として活躍しました。
『古今和歌集』は、撰者となった紀貫之・紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑の入集歌数が多くを占める中、『古今和歌集』成立以前の作者別歌数を見ると、在原業平30首、敏行の歌は19首となっており、『万葉集』に入っていない歌を除いた古今以前の代表歌人として位置づけられます。『万葉集』の強い感動を真直ぐに素朴に詠んだ時代から、平安初期の漢詩文隆盛期を経て、和歌復興の機運が高まり、和歌は知的で優美な表現へと変革していく過程で詠まれた敏行の歌は、古今時代の軽快優美な傾向が表れています。
万葉時代、秋に色づく木々の葉は紅く色づく紅葉より、黄色に色づく黄葉が愛でられていました。『万葉集』には紅葉より、黄葉詠んだ歌が大多数を占めていました。『万葉集』をはじめ古来、露が降りると葉は色づくと捉えられていました。『古今和歌集』の時代も、凛とした冷気によって葉が色づき始める頃の情趣は、露と共に詠まれました。厳しい冬を前にした晩秋、冷たい露が木々の葉に降ることによって、葉を色づかせ、紅葉が進んでいくものと考えられていました。
敏行の一首は、そうした露によって紅葉が進むという思考を背景に、露の白一色と千々に色づく葉を数量的に対比させ、明快に緑の葉が多彩な色に変化する様を深く印象付けます。黄・橙・紅と様々に濃淡織り交ぜられ、艶やかな葉色に彩られる豊潤な山野を鮮明に伝えます。
理知的で鋭敏な感性によって、古今時代を先取りして詠まれた一首を書で表しました。
暮ゆく秋。野辺に咲くリンドウとシロバナサクラタデにハナミズキの照葉を和紙の色合いと変化で表し、竹の花籠にあしらいました。
”Autumn grasses & Autumn leaves ”
深まる秋、白菊と丸葉万作の照葉を和紙の繊細な色合いの変化と取り合わせによって表し、陶器の一輪挿しにあしらいました。
”Chrysanthemum & Hanamelis japonica”
一日講座「山桜」
2025 年1月30日(木) / 2月1日(土)
各日 10:00~12:00
小津和紙 ( 東京日本橋 https://www.ozuwashi.net/ )
古代より日本の山野で自生する山桜。山桜の白い花色と花と同時に開く葉と枝ぶりは、古雅な趣を醸します。繊細で落ち着きのある和紙の色合いと風合いにより、山桜を表します。作品は、雅な趣の和紙を取り合わせた花包みにあしらい、そのまま飾っていただける形式に一回で仕上げます。
講座のお申し込み・お問い合わせ・変更は、小津和紙文化教室(一日講座のページhttps://www.ozuwashi.net/lectureship_trial.html)までお願い申し上げます。
霜をまつ 籬(まがき)の菊の よひの間に 置きまよふ色は 山の端の月(新古今和歌集:宮内卿)
Simo wo mastu magaki no kiku no yohi no ma ni oki mayofu iro jha yama noha no tsuki
( Shinkokinwakashū:Kunaikyou)
霜を待っている垣根の菊。宵の間に霜が置いたのかと見間違えるほど、月の光によって白く輝いて見えると詠まれた一首。一首は『新古今和歌集』秋歌下で、「雁」を詠んだ歌題に続き、「菊」を歌題とした一群に排列されています。一首を詠んだ宮内卿(くないきょう)は、式子内親王、俊成女と並び、新古今時代を代表する女性歌人の一人として知的な趣で巧緻な詞の続けがらに特徴ある歌を詠みました。
宮内卿の一首から、『古今和歌集』に撰集されている白菊の花を詠んだ次の一首が想起されます。
心あてに 折らばや折らむ 白菊の おきまどはせる 白菊の花 (古今和歌集:凡河内躬恒)
凡河内躬恒(おおしこうち の みつね)が詠んだ一首は、晩秋に初霜が降りて、白一色になった庭の白菊の美しさを詠んだものです。折るならば、あて推量で折ることになろうかと、白菊を霜と見分けがつかなくなったと機知に富む表現により、霜に打たれた白菊の美しさを讃えました。
宮内卿の一首には、次のような詞書があります。
五十首哥たてまつりし時、菊籬月と云ふ事
宮内卿は詞書にあるとおり、菊が咲く季節の情趣を詠みました。まだ、霜が置く季節ではない白菊を月の光が反映し、菊の白さを際立たせます。躬恒の一首では、露と白菊が紛れるのに対し、霜が降りる前の時節を月の光の神々しさによって表現したところに、宮内卿らしい理知的な歌風が表れています。宮内卿の一首は、季節が進んで霜が降りる頃、白菊は「紫」に花色が移ろうことを予感させます。
白菊に寄せ、季節の推移を精緻に詠まれた一首を書で表しました。
清楚で気品に満ちた菊。菊の花の季節に寄せ、色とりどりの小菊を多彩で落ち着きのある和紙の色合いを生かして表し、素朴な風合いの和紙による花包みにあしらいました。
”Chrysanthemum”