
秋の風情を優しく伝えるシュウメイギク。薄紅の一重の花を和紙の落ち着いた色合いによって表し、和紙を手折った扇子にあしらいました。
”Anemone japonica”

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色かはる 露をば袖に おきまよひ うらがれてゆく 野辺の秋かな(新古今和歌集:俊成女)
Iro kaharu tsuyu woba sode ni oki mayohi ura garete yuku nobe no aki kana
(Shinkokinwakashū:Toshinari no musume)
末枯れて行く秋景色に託し、深い哀しみを詠まれた一首。一首を詠んだ藤原俊成女(ふじわら の としなり の むすめ)は、新古今時代の代表歌人の一人です。藤原俊成の養女で実母が俊成の娘にあたり、俊成は実の祖父にあたります。
藤原俊成は、心と詞を一体とした歌の姿と歌から感じられる情趣の中に、余情・静寂美のあるものを幽玄として重んじました。俊成女の歌は、そうした俊成の余情・静寂美の表現を受け継ぎつつ、華やかで妖艶な世界を細やかに詠みました。また、俊成女のそうした特性は、『源氏物語』をはじめとした物語から摂取した本歌取りの歌に生かされています。
俊成女の一首は、後鳥羽院主催の「千五百番歌合」で詠まれたものです。『新古今和歌集』秋歌下で、同じく俊成女が「千五百番歌合」で『源氏物語』第二帖「帚木」(ははきぎ)の巻で常夏の女と呼ばれた夕顔が詠んだ「打払ふ 袖も露けき 床夏に 嵐吹きそふ 秋も来にけり」を本歌として詠まれた次の一首に続き、「露」を歌題とした一群に排列されています。
とふ人も 嵐吹きそふ 秋はきて 木の葉にうづむ やどの道芝(俊成女)
木枯らしが吹く秋が来て、家に通じる道も木の葉に埋もれ、訪ねる人もあるまいと詠まれたものです。
「色かはる」と露を詠まれた一首では、『源氏物語』 第46帖 「椎本(しいがもと)」にある一首を本歌とされたとしています。光源氏亡き後の物語、宇治十帖の「椎本(しいがもと)」では、薫が仏道に心を寄せる光源氏の異母弟、八宮に憧れて宇治の山荘を度々訪れる内、八宮から自分が亡くなった後、大君・中君の二人の姫の後見をして欲しいと薫に託します。八宮は山寺に籠り、程なくして寺からの使いで八宮の死が伝えられます。
俊成女の一首は、父の八宮を亡くして嘆く大君の歌が本歌とされています。大君の一首は、八宮から後見を託された宇治の姫君を案じ、訪れた薫が大君に寄せ、詠まれた歌の返歌となっています。
色変はる 浅茅を見ても 墨染に やつるる袖を 思ひこそやれ (薫)
色変はる 袖をば露の 宿りにて わが身ぞさらに 置き所なき(大君)
薫は、色が変わった浅茅をみるにつけ、喪服に身をやつしている姿をお察ししますと姫君を案じ、詠みました。薫の一首に対し大君は、喪服の色に変わった袖に涙の露を置いております。身の置き所がございません、と父の死を嘆き悲しみ、心細い思いを一首に託しました。
俊成女は、宇治十帖で展開される物語の世界より、大君の心情を託した自然の描写の情調に寄り添い、四季を詠む歌として抒情的な物語の世界を創作しました。俊成娘の一首では、『源氏物語』の大君が詠んだ本歌の「袖をば露の」の「袖」と「露」を入れ替え、「露をば袖に」と秋草に露が置いた景色が連想され、末枯れて行く野辺の景色として詠みました。
「色かはる露」は、女性の辛くやるせない恋情を表す紅色に染まる涙、「紅涙(こうるい)」を想起させます。秋草に置く透明で濁りのない露は、紅色の涙の露に置き変わってみえることで、末枯れた野辺の景色は深い哀しみがしみじみと滲み出て、心に響きます。
晩秋の情趣に寄せ、繊細で深みのある物語へと創作された一首を書で表しました。
多彩な色と形の花々に彩られる秋の野山。繊細な白い清楚な花を咲かせるヒヨドリバナ。名の表す通り、鮮やかな黄色い小花を密につけ、秋景色を彩るアキノキリンソウ。濃紅の花穂が風に揺れる様が、秋らしい風情のワレモコウ。薄黄色の優しい小花が辺りを明るく照らすテンニンソウ。繊細な草姿と小さな紅色の花穂が愛らしいイヌタデ。
秋草それぞれの個性に合わせ、選択した和紙の持ち味を生かして表し、秋色をイメージする和紙の花包みにあしらいました。
”Autumn grasses”
長い花穂を出し、淡い黄色の細やかな小花を多数密につけるテンニンソウ。山地の木陰で咲く柔らかな花色は、辺りを明るく照らします。楚々として秋を伝える山野草を和紙の繊細な色合いときめ細やかな質感によって表し、一輪挿しにあしらいました。
”Lecosceptrum japonicum”
丸みのある形と単色でまとまった花色が愛らしいセンニチコウ。艶やかな花色と豊かな質感のあるケイトウ。それぞれの植物を和紙の柔らかな風合い、落ち着きのある色合いで表し、陶器にあしらいました。
“Globe amaranth・Celosia argntea”
わが屋戸(やど)に 韓藍(からあゐ)植ゑおほし 枯れぬれど 懲りずて またも 蒔(ま)かむ
とぞ思ふ (万葉集:山部赤人)
Waga yado ni karaai ue ohoshi kare nuredo korizu te matamo makamu toso omofu
(Manyoushū : Yamabe no Akahito)
我が家の庭に植えていた韓藍(からあい)が枯れてしまったが、また諦めずに種を播き、育ててみようと詠まれた一首。韓藍(からあい)とは、艶やかな花を咲かせる秋草の一種、鶏頭の古名です。赤人の詠まれた歌の他、『万葉集』には数首、鶏頭を「韓藍」として詠まれた歌が見られます。
インド原産の鶏頭は、韓の国から伝わった藍(あい)ということから、韓藍(からあい)と呼ばれていました。鶏頭は、奈良時代には既に渡来しており、染料としても尊ばれていました。赤人の一首から、庭に植えた鶏頭を慈しみ、大切に育てられていたことが窺えます。また、鶏頭は鶏の鶏冠(とさか)に似た形状から、鶏冠草と書いて”からあい”と読まれました。
『万葉集』に詠まれた鶏頭は、紅色の豊かな質感と花色の艶やかさから、女性に譬えられることが多く、赤人の一首もまた、鶏頭に託して一度諦めた恋の炎をもう一度、燃やしてみようという思いを込め、詠まれています。
たおやかで繊細な花が多くみられる秋草の中でも、力強く生命力を感じさせる鶏頭は、花に託して喜び、苦しみ、哀しみを歌に詠んだ万葉時代の人々の生き生きとした姿を鮮やかに伝えます。燃える炎のような花の姿に託し、詠まれた一首を書で表しました。
艶やかな黄色い花を枝垂れた茎に咲かせる様が優美なジョウロウホトトギス。深まる秋をしっとりと伝える花の風情を和紙の落ち着いた色合いと点描によって表し、扇子にあしらいました。
”Tricyrtis macrantha”
清楚な白い花を上向きに咲かせるタマスダレ。細やかな薄紫の花が秋草らしい友禅菊。しなやかな和紙の風合いによって表し、温かみのある和紙の花包みにあしらいました。
“Autumn zephyrlily”
初秋の野で可憐に咲く、しなやかで色も形も多彩な優しい花々。ワレモコウ・イヌタデ・ゲンノショウコ・ハギ・カワラナデシコ・アキノノゲシをそれぞれの花の個性に合わせて選択した和紙の柔らかな風合いと色合いによって表し、竹の花籠にあしらいました。
”Autumn grasses”