柔らかで素朴な野の風情を持ったホタルブクロ。
うつむいて咲く姿は、初夏から夏に向かう雨の多い季節の花らしい、しっとりとした情趣があります。
透明感のある楮の手漉和紙で花の風情を表し、銀扇にあしらいました。
”Campanula punctata”
柔らかで素朴な野の風情を持ったホタルブクロ。
うつむいて咲く姿は、初夏から夏に向かう雨の多い季節の花らしい、しっとりとした情趣があります。
透明感のある楮の手漉和紙で花の風情を表し、銀扇にあしらいました。
”Campanula punctata”
紫の花色と草姿に初夏らしさを感じる紫露草。
直線的ですっきりとした特徴を和紙の色合いと繊維の強さを生かし、簡潔に表しました。
“Hana-Shikishi Common Spidewort”
かへりこぬ昔を今と思ひ寝の 夢の枕ににほふ橘(新古今和歌集:式子内親王)
Kaheri konu mukashi wo ima to omohi ne no yume no makura ni nihofu tachibana
(Shinkokin Wakashū:syokushi naishinnou)
懐かしい思い出、昔の人を追憶させる橘の花の香。「かへりこぬ昔」に懐古の心情の強さが表されています。
式子内親王は、新古今時代を代表する歌人の一人です。後白河天皇の皇女で源平の戦乱の時代、和歌を藤原俊成に師事し、俊成の子の藤原定家とも親交がありました。
幼くして賀茂斎院となり10年ほど賀茂神社で奉仕され、病で斎院を退かれてからは和歌に心を寄せられました。政変に巻き込まれるなど心穏やかに暮らせない世にあって、芯の強さを持って独自の世界観を歌に詠みました。
式子内親王の優美で気品ある歌の内に秘めた想いが、橘の香から伝わってくる一首を書で表しました。
常緑の葉に永遠を象徴するものとして、想いを託されてきた橘。
初夏、青々と繁った葉の中に白い可憐な花が点在するように咲く橘は、夏の景物として親しまれてきました。
白い小さな花は目立つことなく、木々の影から漂う香によって存在に気づくものとして和歌に詠まれてきました。橘の花の香には、懐かしさ、心安らぐものを連想させる力があります。
また、橘というと『源氏物語』で夏の季節を象徴する女性として、六条院の夏の町に住む「花散里(はなちるさと)」が想い起されます。おおらかで、誠実な人柄を橘の花のイメージにたとえ、「花散里」という名に込めたと思われます。
「花散里」については、次の歌が引かれているとされています。
橘の花散る里のほととぎす 片恋しつつ鳴く日しそ多き (万葉集:大伴旅人)
大伴旅人が、亡妻を追慕して詠んだ歌です。橘の永続性と懐古の想い、現実の世の儚さが込められています。
『源氏物語』での橘の「花散る里」という表現からは、花が散ってしまっても樹の姿は年中変わることなく緑の葉を繁らせ、また翌年にはさりげなく香しい花を咲かせて心和ませてくれることを予感させてくれます。「花散里」の登場する場面では、誠実で変わることのない人柄の温かさが伝わってきます。橘の花に「花散里」のイメージを重ねてみました。
“Hanachirusato”
白い花弁のようにみえる総苞(そうほう)の重なりが繊細で優しい印象のヤエドクダミ。
花の真ん中に見える黄色い部分が花で、一重のドクダミとは花のつき方、花の雰囲気も異なり、自然の多様性を感じさせてくれます。
楮の手漉和紙の繊維を生かして花の構造を表し、温かみのある陶器にあしらいました。
“Houttuynia cordata”
日陰で純白の花が目に留まる時季。
身近な初夏の花を和紙の白色と紙素材ならではの質感で表しました。素朴な野趣ある花を、侘びた風情の竹の花器にあしらいました。
“Houttuynia cordata”
夏草のみどり若葉雨をうけてなびく姿はみるも涼しき (後伏見院)
Natugusa no midori wakaba ame wo ukete nabiku sugata ha miru mo suzushiki (Gofushimi no in)
鎌倉時代後期、乾元二年(1303年)に行なわれた『仙洞五十番歌合』で「夏雨」という題で詠まれた一首を書で表しました。
爽やかな新緑の瑞々しさが心地よい、清新な印象の夏の叙景歌です。雨の音も清々しく聴こえてきて、夏草、新緑の青葉の鮮やかな色彩としなやかで流れるような動きも感じられます。自然の中で起こる現象を五感で捉え、心に従って詠んだ感動がまっすぐに伝わってきます。
平安末期~鎌倉時代初めの中世の始まりに、戦乱の世で西行は山懐に抱かれる世界に生きて自然観照の歌を詠み、藤原定家は戦乱の世とかけ離れた歌の世界で詞に磨きをかけ「新古今集」に昇華させていきました。
その後、藤原定家の子から孫へと和歌が継承されていくなかで、御子左家(二条家)、冷泉家、京極家の3つの流れに分かれ、歌壇は御子左家の二条派が主流となりました。「新古今集」以降、目新しさが見出せなくなった歌壇に新風を興したのが、藤原定家の曾孫にあたる京極為兼が中心となった京極派と呼ばれる流れです。
『仙洞五十番歌合』では、為兼を中心とした京極派の歌人によって「古今集」以来の勅撰和歌集の伝統に最後の輝きを放った「玉葉集」・「風雅集」の布石となる、斬新な視点を持った秀歌が多く生み出されました。「玉葉集」・「風雅集」は、「古今集」・「新古今集」が原点に立ち戻って「万葉集」を拠り所として新たな境地を開いていったように、同じく原点に立ち戻り「万葉集」に拠り所を求め、「心」を重視しました。
また、「玉葉集」・「風雅集」は、動乱が続いた不安定な時代背景があり、心の拠り所として自然を求めたていったことは自然観照を深めていった歌境に反映されています。
京極派の歌人の特徴として、雨を好んで詠じたことは「玉葉集」・「風雅集」によく顕れています。四季それぞれの季節を雨で表現し、他の勅撰集と比較して歌数が突出しています。
また、他の勅撰集と比較して季節によって歌数の差が大きくないのも、雨を四季を通じて観察し、自然観照を深化させていった表れと思います。
そのなかで、「玉葉集」・「風雅集」に「五月雨」とは独立した歌題として「夏雨」が配列されています。「玉葉集」では、「卯の花」「時鳥(ほととぎす)」の後、「風雅集」では「卯の花」の後と夏の初めに配列されています。「玉葉集」・「風雅集」に採られた歌数としては1~2首と少ないですが、長雨の「五月雨」の情趣とはっきりと区別し、初夏の情趣にこだわりを持って「夏雨」と季節の名を入れて題としたことは、「玉葉集」・「風雅集」夏部の歌題の配列が伝えています。
一日講習会 「秋桜」
2015年 8月1日(土)10:00~12:00
小津和紙 ( 東京日本橋 http://www.ozuwashi.net/ )
秋を先取りして和紙の赤系統の色を基調にコスモスを立体的に表します。
和紙の鮮明な染色と光沢感、柔らかな風合いを生かして可憐な花をすべて紙により簡略に表現していきます。
作品は、素朴な味わいのちり入り和紙を手折って花包みを作成し、花器に見立てそのまま置いて飾っていただける形に仕立てます。花包みは、どの花色のものともあわせやすく、応用していただけるものと思います。
講座のお申し込み・お問い合わせは、小津和紙 文化教室の下記のリンク先
(一日講習会のページ http://www.ozuwashi.net/learning )までお願い申し上げます。
素朴で野趣あるノアザミ。鋭い葉とは対照的な繊細な花の構造をしており、野の花の強さと優しさを感じます。和紙の繊維の強さと柔らかな風合いを生かし、花の風情を表し、陶器の花器にあしらいました。
”Thistle”