植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

柳蔭

夏衣 たつた 川原の 柳かげ すずみにきつつ ならす ころかな(後拾遺和歌集:曾禰好忠)
Natsugoromo tatsuta kakawara no yanagi kage suzumi ni ki tsutsu narasu koro kana
(Goshūi Wakashū:Sone no Yoshitada)

夏が立つ、夏衣を裁つ(仕立てる)を龍田川と掛け、水辺を主題として柳蔭にも涼を求めた一首。夏衣を着慣らすように、龍田川の川原の柳の木蔭に涼みに通う季節となったと夏を詠んだものです。曾禰好忠(そねのよしただ)は、平安中期の歌人として既成概念にとらわれず、万葉時代の古語を用いたり、清新な感覚と着想で歌を詠みました。

夏歌での納涼詠が勅撰集に初出したのは『拾遺和歌集』のことです。
『拾遺和歌集』は、『古今和歌集』・『後撰和歌集』に次ぐ第3番目の勅撰集です。
『拾遺和歌集』の夏歌での納涼詠は終盤に排列され、その後の勅撰集にも継承されていきます。このことは、納涼詠が次の季節の秋を想わせるものとして位置づけられていたことを示しています。

好忠の一首が撰集された『後拾遺和歌集』は第4番目の勅撰集にあたります。そのなかで夏部の終盤に排列されており、その排列からも涼やかな趣向を感じます。

好忠の一首は、万葉時代より春を象徴する景物として詠まれてきた「しだれ柳」の風情を夏の納涼詠に取り込んだところが斬新です。
春の芽吹きの頃、浅緑であった柳の糸は、緑を深めて葉を茂らせ、木蔭を作っています。しなやかな柳の風情は、清々しい水辺の景と一体となって、夏の涼感を誘うものとして着目したところに清新なものを感じます。

また、好忠の一首からは平安末期の歌人、西行が柳蔭を詠んだ一首、

道の辺に清水ながるる柳かげ しばしとてこそ立ちとまりつれ (新古今和歌集:夏歌)

が想い起されます。

夏はいかにも涼しさを詠むという原点を感じる一首を柳と流水の線描と書で表しました。

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木の間の月

むらむらに咲ける垣根の卯の花は 木の間の月の心ちこそすれ (千載和歌集:藤原顕輔)

Muramura ni sakeru kakine no u no hana ha  ko no ma no tsuki no kokochi koso sure
(Senzaiwakashū:Fujiwara no Akisuke)

夏を告げる垣根の卯の花が点々と咲き乱れる光景を木々の間から漏れる月の光に見立てた一首。一首を詠んだ藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)は、平安末期の歌人で『千載和歌集』の一つ前の勅撰集、『詞花和歌集』の撰者です。

この一首は『古今和歌集』の秋歌上にある一首が想起されます。

木の間よりもりくる月の影見れば 心づくしの秋は来にけり (よみ人しらず)

顕輔の一首を撰んだ『千載和歌集』の撰者である藤原俊成(ふじわらのとしなり)は、古典復興の機運が高まりつつあった院政期、『古今和歌集』の伝統に立ち戻り、その伝統を拠り所として新たな境地を開きました。古今的な平明さと格調を重んじ、なだらかな調べの中に言葉には現れない余情、姿の見えない景色を歌に表現しました。

俊成が撰んだ一首は、『古今和歌集』の伝統を受け継ぎつつ心に触れて感じた景色、余情を感じます。”木の間の月”というと秋の情趣の爽やかな月、物思いの限りを尽くす季節を想起させます。卯の花の白さは、雪にもよく見立てられてきました。一首からは”雪月花”という言葉が浮かびます。雪月花の心を感じる一首を書で表しました。

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暮春

暮れてゆく春の湊(みなと)は知らねども 霞に落つる宇治の柴舟(新古今和歌集:寂蓮)
Kure te yuku haru no minato ha sirane domo kasumi ni otsuru uji no siba bune
(Shinkokin Wakashū:Jakuren)

過ぎ去ってゆく春の行方を宇治川を下る柴を積んだ舟の泊まる湊にたとえ、惜春の想いを詠んだ一首。一首を詠んだ寂蓮(じゃくれん)は『新古今和歌集』の撰者の一人でもあります。

寂蓮の一首は、紀貫之の次の歌が本歌となっています。

年ごとにもみぢ葉流す竜田川 湊や秋のとまりなるらむ (古今和歌集:秋下)

秋の季節の終着点を紅葉の名所、竜田川の湊に見立てた貫之の歌を踏襲し、寂蓮は川に霧が立つ風情が詠まれてきた宇治川の湊を春の終着点に見立てました。

理知的な貫之の本歌に対して寂蓮は、新古今時代らしい繊細で感受性豊かな歌風によって絵画的に表現しました。宇治川を下る柴舟が立ち込めた霞の中に落ちるように見えなくなり、その終着点の湊をみることができない景色を想像させます。『源氏物語』の「宇治十帖」の宇治川を巡る物語も連想させます。春の余韻を情感豊かに表現された一首を書で表しました。

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古き砌(みぎり)に

すみれ咲く奈良の都のあととては 礎(いしずゑ)のみぞ形見なりける (源 仲正)
Sumire saku nara no miyako no ato tote ha isizue nomi zo katami nari keru (Minamoto no nakamasa)

奈良の都の跡に残る建物の礎が、古を偲ぶ形見として残っています。その傍らにひっそりと可憐なすみれが咲いています。

平安時代末期の長承三年(1134年)頃、院政の時代に鳥羽院の近臣であった藤原為忠(ふじわらのためただ)が催した『為忠家初度百首』(ためただけはつどひゃくしゅ)で詠まれた一首です。この歌を詠んだ源 仲正(みなもとのなかまさ)は、源氏の武将・歌人として知られる源 頼政(みなもとのよりまさ)の父にあたります。

『為忠家初度百首』の仲正の一首は、「古砌菫菜(ふるきみぎりのすみれ)」という題によって詠まれたものです。
この百首歌の歌題から、「すみれ」の本質を最もよく伝える景物として「古き砌」がイメージされたことが窺えます。「砌(みぎり」とは、雨滴を受ける軒下の石畳、敷石、敷瓦をいいます。

仲正の一首は、かつて壮麗だった奈良の都の面影を礎に見出しました。仲正は、雨滴を受け止める「砌」を建物の土台の「礎」という言葉で表現しました。「礎」は、人の営みがあったことを伝える証であり、平城京の栄華の跡を静かに伝えます。

これにより、当時「すみれ」は廃園・廃墟で人知れずひっそりと咲く姿が強くイメージされていたことが読み取れます。

また、この百首歌で若き日の藤原俊成(ふじわらのとしなり)も題詠しています。百首歌を主催した為忠は俊成の岳父にあたります。俊成が晩年に『千載和歌集』の春歌で「すみれ」を採り入れたことについて、「菫菜(すみれ)」(2017年3月12日)の記事にて書きました。『為忠家初度百首』で得たことは、『千載和歌集』春歌での「すみれ」に繋がっています。

画像は明るく暖かな春の光の下、今も遺跡のどこかでひっそりとすみれが咲いている情景を想わせてくれる仲正の一首を書で表したものです。

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菫菜(すみれ)

古来より歌に詠み継がれてきた「すみれ」。『万葉集』で山部赤人(やまべのあかひと)が、

春の野にすみれ摘みにと来しわれそ 野をなつかしみ一夜寝にける

と詠まれたように「すみれ」の花は、春の野を想い起こす景物として人の心を捉えてきました。

平安時代、春の景物を伝える歌題として「菫菜(すみれ)」は受け継がれました。
平安時代に編まれた勅撰和歌集の春歌の歌題では、末期に藤原俊成(ふじわらのとしなり)が撰者となり編纂された『千載和歌集』に3首みられます。俊成は当代歌人を重視し、俊成と同じ時代を生きた人々の想いを隈なく和歌集に掬い上げました。『古今和歌集』から『千載和歌集』に至るまで、「すみれ」を春の景物として注目したところに他集にはない独自性があります。

『千載和歌集』が編纂されたのは、源平の戦の時代にあたります。
そうした時代背景にあって俊成は、春歌下の巻に以下の「すみれ」を歌題としたことが明記された3首を撰集しました。
  
こよひ寝て摘みてかへらむすみれ草 小野の芝生は露しけくとも  源国信(みなもとのくにざね)

雉(きぎす)鳴く岩田の小野のつぼすみれ しめさすばかり成りにけるかな  藤原顕季(ふじわらのあきすえ)

道とほみいる野の原のつぼすみれ 春のかたみにつみてかへらん  源顕国 (みなもとのあきくに)

3首の歌は、白河天皇が堀河天皇に譲位して始まる院政時代のものです。
国信と顕季の歌は、『千載和歌集』の詞書に「百首のとき、すみれを詠める」とあり、長治2年(1105年)に堀河天皇に奉献されたとされる、「堀河百首」(堀河院御時百首和歌)にて詠まれたものと記されています。
顕国の詠んだ歌の詞書には、「嘉承二年きさいのみやの歌合に、すみれをよめる」と記されています。嘉承二年(1107年)は、父にあたる堀河天皇の崩御によって鳥羽天皇が5歳で即位をした年にあたります。

白河院の院政が始まった時代に生きた歌人による「すみれ」3首は、まず国信の赤人の歌を想起させる趣向から始まります。国信は、堀河天皇の近臣で歌壇の中心の一人として活躍しました。俊成は、国信の着目に敬意をもって筆頭に据えたことと思います。俊成自身も「すみれ」を歌題としたものを詠んでいますが、『千載和歌集』春歌での「すみれ」は、赤人の歌を拠り所とした春の野の懐かしさが基調となっています。

俊成が撰んだ「すみれ」3首からは、院政の始まりが契機となった戦乱で荒廃した都の現状を目にして、万葉の古歌を慕いつつ、かつて都が栄華を極めた時代を偲び、都の栄華が失われても和歌の伝統は絶えることなく生き生きとして受け継がれていくという俊成の想いを感じます。

画像は「すみれ」の咲く春の野を「つくし」と取り合わせて表したものです。

” Viola ”

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「もののあはれ」に想う

恋せずは人は心もなからまし もののあはれもこれよりぞ知る (藤原俊成)
Kohi sezu ha hito ha kokoro mo nakara mashi mono noahare mo kore yori zo shiru(Fujiwara no Toshinari)

平安末期を代表する歌人の一人、藤原俊成(ふじわらの としなり)の家集『長秋詠藻(ちょうしゅうえいそう)』にある一首です。この歌の詞書に

左大将の家に会すとて、歌加ふべきよしありし時、恋歌

とあり、歌会で「恋」を題とした一首として詠まれたものと記されています。

「もののあはれ」という言葉が文献として最初にみられるのは、紀貫之(きのつらゆき)の『土佐日記』のなかにある、

梶取(かじとり)、もののあはれも知らで

と、港で名残惜しむ人々の心情を思いやらず、酒を飲みながら船出をさせようとしている船頭たちの様子を「もののあはれも知らで」と表現したものが知られています。

俊成の歌は「もののあはれ」の本質を簡潔に捉えています。恋をすることによって喜びばかりではなく、悲哀や辛苦を味わうことで人は人らしい心を持ち、「もののあはれ」を知ることができると歌に詠みました。

後世、江戸中期の国学者の本居宣長(もとおり のりなが)は『源氏物語玉の小櫛(おぐし)』の中で

恋せずは人は心もなからまし物のあはれもこれよりぞしる、とある歌ぞ、物語の本意によくあたれりける。

と俊成の一首を引き、歌や物語の本質が「もののあはれを知ること」に尽きるという宣長の理念を捉えた歌と評しました。

四季の自然の移ろい、人生の機微に触れた時に深く心を動かされて感じる「もののあはれ」という言葉で表現される情趣は、文学、絵画、工芸などに託してさまざまな様式で抒情豊かに表現されてきました。

画像は「もののあはれ」を捉えた俊成の一首を書で表したものです。

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紅梅

華麗な花色で早春を艶やかに彩る紅梅。『万葉集』の時代、白梅の白さが賛美されました。
平安時代になると、白梅に加えて紅梅が愛でられました。『枕草子』のなかで清少納言は、「木の花は 梅の濃くも薄くも紅梅。」と木の花の第一に紅梅をあげています。紅梅は、濃淡いずれの花色も素晴らしいと評しています。

また、『源氏物語』のなかで紫式部は、紫の上を通じて紅梅への愛着を語っています。紫の上は最愛の孫にあたる匂宮に大切にしていた紅梅を託しました。

画像は、『源氏物語』第43帖「紅梅」です。
柏木の弟、按察(あぜち)大納言が庭にある紅梅を一枝折らせ、「心ありて風の匂はす園の梅にまづ鶯のとはずやあるべき」と匂宮に訪れて欲しいものと紅梅に歌を添え、匂宮の元へ贈った場面のイメージです。贈られた紅梅を見て匂宮は、紅梅は香りでは白梅に劣るとされているが、この紅梅は白梅に負けない香りを持っていると賞賛しました。
このエピソードからは、白梅からは芳しい薫りを持つ薫が思い出され、源氏や紫の上が深く心を寄せてきた紅梅に匂宮が重なります。

“Genji Monogatari no.43 Koubai”

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春の夜

霞みゆく おぼろ月夜の 有明に ほのかにかをる 梅の下風 ( 御室五十首:藤原 有家 )
Kasumi yuku oboro dukiyo no ariake ni honoka ni kaworu ume no shita kaze
(FUjiwara no Ariie)

おぼろに霞む月が残っている夜が明ける頃、梅の花の下を吹く風がほのかに香りを伝えています。
『古今和歌集』以来、春の闇夜に香る梅を愛でた歌が多く詠まれてきました。「御室(おむろ)五十首」にある一首を詠んだ、藤原有家(ふじわらのありいえ)は、『新古今和歌集』の撰者の一人として新古今時代に活躍した歌人です。春の夜のおぼろに霞む月の風情が中世の美意識として好まれ、” 朧月夜 ”という歌の詞として確立した時代背景が現れた一首です。

『新古今和歌集』における ” 朧月夜 ” については、「朧月夜に想う 」(3)(2016年3月31日)https://washicraft.com/archives/10178の記事にて書きました。

この一首は、『新古今和歌集』には撰集されることはありませんでしたが、春の夜の美感を表現する題材として、ほのかな梅香を” 朧月夜 ” という詞を用いて表現したところに創意が現れていると思います。春のぼんやりとした風情は、余韻を感じさせてくれます。

春の闇夜に漂う梅の香は、辺り一面に漂う強いものではなく、風に乗って伝わってくる柔らかなものです。辺りを照らすおぼろな月の光の柔らかさは、風に乗って伝えられる梅の香りのほのかさを引き立てます。幻想的な夜の梅を詠んだ一首を書で表しました。

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枯野

kareno-16-1

花をみし秋の嵯峨野の露の色も 枯葉の霜にかはる月影(藤原俊成卿女)
Hana wo mi shi aki no sagano no tsuyu no iro mo kareha no shimo ni kaharu tsuki kage (Fujiwara no toshinari kyou no musume)

色とりどりの秋草で目を愉しませてくれた嵯峨野。今は草葉が枯れ色となり、草葉に置かれていた美しい露も枯葉に置かれた霜に取って代わり、冴え冴えとした月の光が照らしています。
新古今時代を代表する女流歌人、俊成卿女(としなりきょうのむすめ)の一首です。秋の草花が千々に咲き乱れる花野の名所であった嵯峨野。今は枯野となった嵯峨野を草葉に置く霜と月の光の白一色で表現したところに寂寥感溢れる枯野を詠みつつも、清らかで優艶な情趣が感じられます。秋草に彩られた季節の余韻を感じる一首を書で表しました。

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十三夜

kurenotsuki

暮の秋 月の姿は足らねども 光は空に みちにけるかな(風雅和歌集:藤原顕輔)
Kure no aki tsuki no sugata ha tarane domo hikari ha sora ni michi ni keru kana(Fuugawakashū:Fujiwara no Akisuke)

晩秋の月は、満月には足りていないものの光は空に満ちていると平明に詠んだところに、仲秋の頃とは異なる澄みきった空気感が伝わり、月の光が冴えて感じられます。

一首を詠んだ藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)は、平安末期の歌人で崇徳院より勅撰集撰進の命を受け、『詞花和歌集』を撰進しました。
顕輔が秋の月を詠んだ歌として、『百人一首』に選ばれている

秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ(新古今和歌集:秋上)

が親しまれています。

「暮れの秋」の歌は、家集『左京大夫顕輔集(顕輔集)』にみられる歌で、『風雅和歌集』の秋歌下に排列されました。
『古今和歌集』から『風雅和歌集』に至るまで、秋部は一巻のもの、上下二巻のもの、上中下三巻のものがあります。上中下に分かれているものは、『後撰和歌集』と『風雅和歌集』に限られます。

『風雅和歌集』での伝統的な歌題として秋の「月」をみてみると、”仲秋”にあたる秋歌中の巻末と”晩秋”にあたる秋歌下の巻頭につながりを持って排列されています。”仲秋”にあたる秋歌中のなかで、「八月十五夜」を詠まれたことを記した詞書が添えられた歌は伏見院の御歌が一首みられます。

”晩秋”にあたる秋歌下は「十三夜(後月)」を歌題とした三首から始まります。その巻頭に顕輔の「暮れの秋」の歌が置かれました。
秋歌下に入集した三首すべて、「九月十三夜」に詠まれたものであることを示す詞書が添えられており、『風雅和歌集』が日本固有の十三夜の月を重視していたことが窺えます。
また、「十三夜(後月)」に続くのが、「有明月」となっており、月をひとつながりの大きなテーマとして構成し、先例とは異なる視点を持って展開しています。 

中世では、九月十三夜の月見の宴の歌会や歌合が盛んでした。その先駆けとして、平安末期に藤原俊成(ふじわらのとしなり)が撰者となった『千載和歌集』の秋下で、「虫」を歌題とした歌に続き「九月十三夜」を詠んだ詞書が添えられた歌がみられます。

『風雅和歌集』では、顕輔の「暮れの秋」を初句とした歌によって秋歌下の巻頭を飾ることで、月の情趣によって四季の中でも変化に富み、季節の移ろいに最も敏感になる秋を初秋・仲秋・晩秋の3つに分け、はっきりと区別して伝えようとした意図が感じられます。
『風雅和歌集』の独自性を伝統的な歌題の排列によって示した一首を書で表しました。

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