植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

春の柳

浅緑糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春の柳か (古今和歌集:僧正遍照) 
Asamidori ito yori kake te siratsuyu wo tama nimo nukeru haru no yanagi ka
(Kokinwakashū:Soujyou Henjyou)

浅緑の色を纏った糸のような芽吹きのしだれ柳。その柳の糸を数珠に見立てた白露が貫いている様を詠まれた一首。一首を詠んだのは、「六歌仙」・「三十六歌仙」の一人として知られる平安前期の歌人、僧正遍照(そうじょうへんじょう)です。

『古今和歌集』春上に排列された一首の詞書には、「西大寺のほとりの柳をよめる」とあり、平安京の寺の畔にある枝垂れ柳が詠まれたことがわかります。繊細でたおやかな枝垂れ柳の風情には、都の春の華やぎが伝わってきます。

万葉以来、春の景物として芽吹いたばかりの枝垂れ柳のしなやかな細葉は浅緑に染めた糸に見立てられて、数多の歌が詠まれてきました。

春の日に 萌(は)れる柳を 取り持ちて 見れば京(みやこ)の 大路念(おも)ほゆ
(大伴家持:おおとものやかもち)

万葉の代表歌人、家持の一首からは芽吹いた柳の浅緑に彩られた華やかな都大路の賑わいが想い起されます。柳は奈良の平城京では街路樹として朱雀大路に植えられ、都を象徴するものでした。平安京に遷都されてからも、朱雀大路を中心として御所や邸の庭、川の護岸として植えられ、柳の芽吹きは都の春を象徴する景物として愛でられました。

春雨を受けて露が玉となり、纏わりついた柳の糸が春風に揺れるさまを瑞々しく詠まれた一首を書で表しました。

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風の柵

山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり(古今和歌集:春道列樹)
Yamagaha ni kaze no kaketaru shigarami ha nagaremo ahenu momiji nari keri
(Kokinwakashū:Harumichi no tsura ki)

山中を流れる谷川にとどまる紅葉を柵(しがらみ)に見立て詠まれた一首。一首を詠んだ春道列樹(はるみち の つらき)の歌は、『古今和歌集』秋歌下に撰集され、紅葉の落葉を歌題とした中に排列されています。一首の詞書には「志賀の山越えにて詠める」とあります。

谷川の散紅葉が見立てられた柵(しがらみ)とは、水中に杭を打ち、竹や柴を絡ませ、水をせき止めたり、流れの勢いを弱めたりするものです。一首で詠まれた谷川は、柵(しがらみ)という言葉から流れは緩やかでなく、せきとめるほどに木の葉が留まっていると読み取れます。山を吹き抜ける風によって川面に降りたまった散紅葉は 柵(しがらみ) となり、色鮮やかな晩秋の景が広がります。流れをせきとめる 柵(しがらみ) は、人によって造成されるものでなく、風の力によって破れやすい木の葉を自然にせきとめ、造られたという視点が清新です。山を吹き抜ける風は冷たく、辺りの空気も凛として感じられます。

川面の散紅葉の見立てによって、秋の名残と冬の気配を鮮やかに詠んだ一首を書で表しました。

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秋景

みどりなる ひとつ草とぞ 春は見し 秋はいろいろの 花にぞありける(古今和歌集:よみ人しらず)
Midori naru hitotsu kusa tozo haru ha mishi aki ha iroiro no hana ni zo ari keru
( Kokinwakashū:Yomobitosirazu ) 

春景、秋景それぞれ野辺の草花が織りなす風情の違いを見出し詠まれた一首。一首は『古今和歌集』の秋歌上で「萩」「女郎花」「藤袴」「花薄」「撫子」など、秋草を詠まれた一連の流れの中に排列されています。

一首では、春の野が緑一色のひとつの草として見え、秋になると様々な草花で彩られることに気づき、春秋それぞれの季節を色で捉えました。春の草花は草丈が低く、遠景で見渡した景色は柔らかな若草色が心に留まります。

『古今和歌集』秋歌で取り上げられている萩・女郎花・藤袴・花薄・撫子など、秋に花を咲かせる野草は草丈があり、繊細な小花が集まって咲くものが多く、群生して野辺を彩ります。遠景で見渡すと花の形はぼんやりとして花の色が霞のように辺りを染めて浮かび上がり、艶やかさが心に留まります。

春景の若草色との対比によって秋景の色彩の豊かさを伝えた古歌を書で表しました。

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草の原

ゆくすゑは そらもひとつの武蔵野に 草の原より いづる月かげ(新古今和歌集:藤原良経)
Yukusue ha sora mo hitotsu no musashino ni kusa no hara yori izuru tsukikage
( Shinkokin Wakashū:Fujiwara no Yositsune )

秋の武蔵野の原野に昇る月を心に想い、詠まれた一首。一首を詠んだ藤原良経(ふじわらのよしつね:九条良経)は、新古今時代を代表する歌人のひとりです。『新古今和歌集』の秋歌上で「月」を歌題として詠まれた中に排列されています。一首には次の詞書があります。

五十首歌たてまつりしに野径月(やけいのつき)

詞書には建仁元年(1201年)、後鳥羽院主催の「仙洞句題五十首」で月をテーマに原野の小径をイメージし、詠まれたことが記されています。

『万葉集』の東歌で武蔵野を詠まれた歌が収められてより、平安時代になって『伊勢物語』や『古今和歌集』などの物語や和歌に武蔵野の草原が取り上げられ、武蔵野への関心が高まりました。

紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る (古今和歌集:よみ人しらず)

『古今和歌集』雑上に撰集された一首は、一本の紫草がある武蔵野の草すべてが、ゆかりのあるものとして懐かしく、愛しく思うと詠まれたものです。一首は武蔵野の紫草への愛着から発展し、女性を紫草に見立て、女性とゆかりのある人すべてが懐かしく思われると解釈されるようになりました。武蔵野への愛着を詠まれた古歌は共感を呼びました。『伊勢物語』41段では『古今和歌集』の上記の歌を踏まえ、「武蔵野のこころなるべし」と歌の心を物語に表し、武蔵野に寄せるイメージが印象付けられました。四方を山に囲まれた都の人は、遥か彼方を見渡せる原野に憧れ、想像しました。

良経の一首は、秋の夕空と一つになって遮るものがない武蔵野の原野から昇る月を想像し、歌に詠みました。

秋の武蔵野を詠んだ歌には、『古今和歌集』に次ぐ二番目の勅撰集『後撰和歌集』秋中のなかで秋草に寄せて詠まれた次の一首が見られます。

をみなえし にほへる秋の 武蔵野は 常よりも猶 むつまじきかな ( 後撰和歌集:紀貫之 )

秋の七草として万葉以来、たおやかな風情を女性に見立てられたオミナエシを秋の武蔵野の景として詠んだものです。貫之の一首は、紫草を詠んだ古歌に込められた武蔵野の地の温かさ、人の和やかさが感じられます。

秋草への愛好が深化した中世へと変革していく時代を生きた良経は、秋草が咲き乱れる草原を ”花野” と呼ぶように、「草の原」という詞によって ”花野” の風情を武蔵野に想い、イメージを膨らませたように思います。

四季の中でも色とりどりの草花で彩られる秋の野の美しい風景は、秋が深まるにつれて次第に色褪せ、一色の寂寥とした冬景色へと移ろっていきます。中世以降、武蔵野は秋を想わせる題材として定着し、文学・絵画・工芸など多彩な表現により、作品が生み出されていきます。

花野の小径を想像し、秋の武蔵野への憧憬を託した一首を書で表しました。

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