植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

更衣

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櫻色の衣にもまたわかるゝに春を残せるやどのふぢなみ (風雅和歌集:式子内親王)
Sakura iro no koromo nimo mata wakaruru ni haru wo nokoseru yado no fuji nami (Fūga Wakashū:syokushi naishinnou)

春から夏へと季節の色が移り変わる時季。平安時代、宮廷では旧暦4月1日に春着から夏着へと改められていました。
風雅和歌集では夏部の始まり、更衣の題に配列されている歌です。夏着に移り変わる時季になっても、藤の花の咲く辺りは、華やいだ春の気配が漂っています。無心に咲く藤の花に託した惜春の想いを書で表しました。

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光悦と春草

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書・陶芸・漆芸・出版など多彩な分野で独自の境地を開いた本阿弥光悦。桃山時代から江戸初期、光悦によって見出された俵屋宗達とともに琳派と呼ばれる系譜の中で、伝統的な秋草の美とは対照的な春草の美を見出し、尾形光琳や酒井抱一などに受け継がれていきました。

光悦は、和歌や物語、謡曲などから取材した作品を多く残しています。それらを敬愛し、そこから創作意欲、発想を得たことが作品から伝わってきます。光悦の書からは、温かで生命感に溢れ、生きる悦びが伝わってきます。
また、光悦は茶の湯を古田織部に師事しました。光悦は、利休を選ばず、織部を師に選びましたが、命の芽生えの美を愛でる心、大胆で斬新な発想を次々と実現させていく源には、利休から織部が受け継ぎ、そして織部から受け継いだ精神が創作に反映されているように感じます。

光悦は、心を「もの」づくりによって表現するため、木工、金工、漆工、蒔絵、螺鈿(らでん:貝細工)など、様々な工芸技術を持った人々を結集しました。そのなかで、光悦が制作に関わったと伝えられている『樵夫蒔絵硯箱』 (きこりまきえすずりばこ:静岡・MOA美術館所蔵)から春草に込めたものが想い起されます。硯箱の外形は、山形に盛り上げられ、蓋の表には薪(たきぎ)を背負って歩くきこりの姿が全面に大きく表されており、主題の意外性と形の意外性を感じます。

この硯箱の意匠は能の謡曲『志賀』より取材されたものといわれています。
『志賀』は、古今和歌集の序文のなかに挙げられている六歌仙の一人、大伴黒主(おおとものくろぬし)を紀貫之が評した「薪負へる山人の、花の陰にやすめるがごとし」を題材にさまざまな和歌を引き、世阿弥の指す道(花)を伝えています。
『志賀』を踏まえてみると、世阿弥の指す道(花)を受けているように思われます。

その一方で主題からは、藤原家隆の家集にある和歌が浮かびました。
「つま木には野辺のさわらび折りそへて 春の夕にかへる山人」(壬二集 上:後度百首)という歌です。薪を背負った山人が、野辺の早蕨を手折って里に帰って行く長閑な春の情景を詠んだもので、硯箱全体に表されているイメージと重なり、幸福感が伝わってきます。
藤原家隆は、藤原俊成に師事した藤原定家と同時代の歌人です。「花をのみ待つらむ人に山里の 雪間の草の春をみせばや」という家隆の歌は千利休が好んだ歌として、利休の茶、美意識を説くのによく引用されます。ささやかな芽生えの美しさを伝えたいという心に惹かれる歌です。

主題の人物が前に向かって山路を生き生きと歩いていく姿からは、古典や師から享受したものを土台に新たな道を開き、進んでいこうという想いも感じられ、清々しく心に響きます。硯箱には、花は見えません。目で見えるものがすべてではなく、花は心で感じて想うものと読み取れます。

『志賀』では、今を盛りの山桜の元で展開されますが、『樵夫蒔絵硯箱』では、硯箱の内側で清らかな野辺の春を蕨と蒲公英(たんぽぽ)によって伝えています。
蕨については、古より神聖で春の到来の証として捉えられてきたことは、2015年1月5日の記事(「春のしるし」:https://washicraft.com/archives/7320 )で書きました。蕨を主題にしたものは、俵屋宗達の扇面画などにもみられ、光琳に受け継がれていきます。

蒲公英は、蕨のように若苗を山菜としていたことが江戸時代に書かれた『本朝食鑑』などの書物から窺えます。蒲公英は、地面を這うように葉を広げて風をよけ、葉が重なり合わないよう四方に広がり、日光を十分に受けて越冬し、花開く時を待ちます。蒔絵に表されている蒲公英は、葉の性質を捉えて中央に配置され、心を託していると思われます。蒲公英の花ではなく、葉の描写によって伝えているところが印象的です。
硯箱全体から命が再生する瑞々しい春の到来の歓びが伝わってきます。

画像は、春野のイメージを菫と蒲公英、背景の和紙によって表したものです。
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ゆかりの色

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紫のいろのゆかりに藤の花 かゝれる松もむつまじきかな(金葉和歌集:藤原顯輔)
Murasaki no iro no yukari ni fuji nohana kakareru matsu mo mutsumajiki kana
(Kinyouwakashū:Fujiwara no akisuke)

紫の色名、ゆかりという詞、藤の花からは源氏物語を想い起します。
樹齢の長い藤、吉祥の象徴の松は相性がよいところから、紙雛の衣裳の図柄にもよく見られます。
むら染めの和紙に和歌を書いたものに和紙の花を散らし、背景に友禅紙を取り合わせました。

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琳派と春草

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日本の四季の中で寂寥感を醸し出す秋草は、「あはれ」を伝えるものとして和歌や物語、絵画、工芸、服飾品などの題材としてさまざまな様式で表現されてきました。
万葉集にある山上憶良(やまのうえのおくら)の「 秋の野に咲きたる花を指(および)折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花また藤袴 朝貌(あさがお)の花 」という秋の七草を詠んだ歌に代表されるように、四季のなかでも秋の草花に格別な想いを寄せてきました。

秋草に対して、明るく伸びやかでほのぼのとしたもの、懐かしさを感じさせる春草。
王朝文化の憧れから独創的な表現、創造を広げた本阿弥光悦・俵屋宗達に始まる「琳派」と呼ばれる系譜では、土筆(つくし)、蕨(わらび)、蓮華(れんげ)、菫(すみれ)、蒲公英(たんぽぽ)、菜の花、桜草、苧環(おだまき)など春草を主題にした作品に独創性を感じます。

萩に代表される秋草の繊細で優美な趣のものとは対照的な土筆や蕨、菫など素朴で侘びた風情の春草。春草も秋草も、野辺にあるもの、身近に自生しているものです。
秋草は、風になびく様や月の移ろいとなど動的なもの、移ろいゆくものと取り合わせられることも多く、「あはれ」を誘うものを伝えてきました。
琳派では、春草には秋草とは対照的に、しっかりと大地に根を張り、可憐さの内に動じない力強い生命感、人の心に懐かしさと和やかさを想い起こしてくれるものを求めていったように思います。
なだらかな曲線で小高く盛り上がった地面を図様化した土坡(どは)に土筆や蕨がシンプルに表されたものからは、春ならではの情趣があり、俳諧が普及した時代背景からも春草に心を寄せる想いを感じます。
春草に美を見出し、野辺の情景に託して「もののあはれ」と表現される雅でしみじみとした情趣を和歌や物語、謡曲など古典を題材に明るく生き生きと伝えているところに時代の勢いを感じます。

江戸後期の江戸琳派による春草を雛に見立てた雅な花雛も、そうした流れの中で描かれていったものと思います。
画像は、蓮華と蒲公英を旧暦の上巳の節句に寄せて、雛に見立てて扇子にあしらったものです。

”Spring wildflowers”

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花のあと

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桜ちり春のくれゆく物思ひも 忘られぬべき山吹の花 (玉葉和歌集:藤原俊成)
Sakura chiri haru no kure yuku monoomohi mo wasurarenu beki yamabuki no hana
(Gyokuyouwakashū:Fujiwara no Toshinari)

物思いの増す春。山吹の鮮やかな花色に心も和みます。山吹の花に寄せる想いを書で表しました。

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菫花

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なかきひは猶くれやらてゆきかへる のへのすさひにすみれをそつむ(伏見院御集:伏見院)
Nagaki hi ha nawo kureyarate yuki kaheru nobe no susahi ni sumire wo so tsu mu
(fushiminoingyoshū:fushimi no in)

日が長く感じられる季節。野辺に咲く、すみれの花に託した想いを書で表しました。

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暮春

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月影もうつろふ花にかはる色の 夕べを春もみよしの山(藤原俊成女: ふじわらのとしなりのむすめ)
Tukikage mo uturofu hana ni kaharu iro no yufube wo haru mo miyoshino no yama(
Fujiwara no Toshinari no musume)

山の春の暮。花の色が色褪せていくのに従い、月の光の色も移ろって感じられ、”あはれ”に想う感動が伝わってきます。
新古今時代の和歌の妖艶な趣と春の面影を和紙の桜の花びらと背景の料紙の色合いで表現しました。

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春雨

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春雨のふりそめしより 青柳の糸の緑ぞ色まさりける(新古今和歌集:凡河内躬恒 )
Harusame no furisomeshi yori aoyagi no ito no midori zo iro masari keru (Shinkokinwajashū:Ohshikouchi no Mitsune)

枯野に新緑が再生する恵みの春の雨。春の色の深まりを伝えていくものとして柳の新緑は春風とともに春雨と取り合わせても詠まれてきました。
夏の五月雨、冬の時雨とそれぞれの季節感を伝える雨の風情。
春の雨によって柳の新緑の瑞々しさが引き立たってみえます。
浅緑から緑が深まっていく季節感を和歌を書いた扇面の背景に緑のグラデーションの和紙を使い表しました。

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柳緑

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打ちのぼる 佐保の河原の青柳は 今は春べと なりにけるかも
万葉集:大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)

佐保川の堤には柳の青葉が春風にそよいでいます。平城京に続く大路には柳の街路樹が続いていました。古代、柳は神の依る木として考えられてきました。柳の新緑は、春を象徴するものとして捉えられ、万葉集には春の柳の芽吹きを詠んだ歌が多く入集しています。”みどり”という色名を使い、浅緑から春が進むにつれて緑の色も濃さを増していく様に春の深まりを感じとってきたことが歌を通じて伝わってきます。
佐保の地というと佐保山の春の女神、佐保姫も想い起されます。しだれ柳の浅緑のしなやかな枝を佐保姫が染めた糸に見立てられ、春風と取り合わせて和歌が詠まれてきました。
画像は、しだれ柳の柔らかな新緑と春風を和紙の柔らかな色合いと質感で表し短冊にあしらったものです。

“Willow”

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手折桜

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誰しかも とめて折りつる 春霞 立ち隠すらん 山の桜を (古今和歌集:紀貫之)
Tare shikamo tomete orituru haru gasumi tachi kakusu ran yama no sakura wo  (kokin Wakashū:Kino Tsurayuki)
春霞が立ち込めた深山の気配とその中に隠されてひっそりと咲く山桜をグラデーションの和紙の色合いで表しました。

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