植物と文学:Plant in the literature」カテゴリーアーカイブ

春立つ日

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袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ (古今和歌集:紀貫之)
Sode hichite musubishi mizu no kohoreru wo haru tatsu kefu nokaze ya toku ran (Kokin Wakashū:Kino Tsurayuki)

『古今和歌集』では、仮名(かな)を書写に用いたことで平仮名(ひらがな)が洗練されるきっかけとなりました。紀貫之は能書家でもあり、『古今集』の清書にも関わったと思われます。
紀貫之は、赴任先の土佐から京に戻る道中の出来事を虚構を交えた日記に書き残しました。『土佐日記』と呼ばれるものです。『土佐日記』は、ひらがなを使って表記することにこだわりを持っており、その書き出しに漢字ではなくひらがなで表すことを宣言しています。

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

当時、男性貴族は漢文で表記するのが日常であり、和歌よりも漢詩の才能が重視されていました。ひらがなは、当時女性が主に使っていました。書き手を女性の手によるものと設定したのも、漢字主体の文字表現から日本独自の文字表現を広げていきたいと願い、その想いが書き出しに現われていると思います。書き手を女性としたスタイルとひらがなでの表記は、その後の紫式部、和泉式部をはじめとする女性による日記をはじめ、随筆や物語などを生み出す力となったのではないかと思われます。
貫之が書いた日記は、自筆の原本が室町時代まで残っていたと伝えられており、自筆から臨書されたものも伝えられています。写本からは、流麗なひらがなによる表記を見ることができます。また、いくつかの文字を続けて書く連綿(れんめん)も見られます。

画像は、『古今集』より貫之の歌を書で表したものです。
夏に手ですくった清水の感触を想い出し、その水が冬の間に凍り、立春の今日の風が溶かしているだろうか、と詠んだものです。
『古今集』の第1巻の2番目に置かれた歌です。貫之が序文で示したように古の人の真心、清明心(きよきあかきこころ:清らかで、偽りのなく、私欲のない澄み切った心)が込められた心に響く優れた歌を想起し、新しい風によって和歌を再興させたいとの決意が伝わってきます。

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「雅」に想う

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「雅」という言葉からは、平安王朝の優美な世界が思い起されます。
大伴家持(おおとものやかもち)が万葉集の編纂をした奈良時代が終わり、平安遷都によって京に都が移されてから和歌は一時衰退しました。背景には、時代を刷新するために唐風一辺倒になり、漢詩が晴れの場で重んじられました。江戸から明治への時代転換点と似ているように思います。世の中が次第に落ち着くに従い、日本固有の情趣が見直されて和歌も復興されました。その中心になったのが紀貫之(きのつらゆき)です。万葉集から古今集が成立するまで、およそ150年。

紀貫之は『古今和歌集』の序文、仮名序で当時の和歌の現状を次のように書いています。

今の世の中、色につき、人の心、花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみいでくれば、色好み の家に埋れ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花薄(はなすすき)穂に出すべきことにもあらず なりにたり。

人の心が派手になり、私事ばかりを詠み、真面目な歌は薄の穂ほども現われなくなったと嘆いています。歌の流れが絶えてしまったわけではなく、『古今集』の仮名序で貫之と近い時代の、僧正遍照(そうじょうへんじょう)・在原業平(ありはらのなりひら)・文屋康秀(ふんやのやすひで)・喜撰法師(きせんほうし)・小野小町(おののこまち)・大伴黒主(おおとものくろぬし)の名を挙げています。後世、六歌仙と呼ばれた歌人です。貫之は六歌仙の歌を評しています。

紀貫之は『古今集』の仮名序の書き出しで、今に受け継がれている花鳥風月の心を表しています。

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になく鶯、水に住むかはづの声をきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。

貫之が心を植物の種に喩え、種から芽が伸びて葉が幾重にも広がっていくように新しい言葉、詞が次々に生まれ、いきいきと育っていく様に託したところは、日本の自然観、文化の根底を捉えていると思いました。

『古今集』にはもうひとつの序文、漢文による真名序があります。

和歌に六義あり。一に曰く、風。二に曰く、賦。三に曰く、比。四に曰く、興。五に曰く、雅。六に曰く、頌。

仮名による序文にも「和歌の六義(りくぎ)」を言葉を置き換え、和歌には6つのスタイルがあると歌を引き解説しています。
漢文による真名序では、『詩経』にみえる中国古代詩の6つの分類「風」「賦」「比」「興」「雅」「頌」を和歌に置き換えて示しています。「風」は諷刺、「賦」は直接的な表現、「比」は比喩を用いた表現をいい、上記の3つは表現法について示しています。
「興」は主題を引き出すものとして自然などを詠むこと、「雅」は宮廷賛美、「頌」は天を賛美したもので、上記の3つは歌の体裁を現わすものといえます。

ここで、「雅(が)」という言葉が注目されます。
詩経では「雅」は貴族や朝廷の公事・宴席などで詠われた歌詞をいいました。
紀貫之は仮名序で、和歌の衰えは宮廷での公事・宴席などの晴れ場に出せるような格調高い歌がみられなくなったことにあると述べ、和歌の復興に力を注ぎました。後世、王朝の「雅(みやび)」というイメージは貫之の理想、信念が形となって現われていったように想われます。

画像は、古今集の仮名序の書き出しを書で表したものです。
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春のしるし

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春の到来を告げる早蕨。早蕨は、春を告げる証として古より受け継がれてきました。
『源氏物語』第48帖「早蕨」からは、万葉集の志貴皇子(しきのみこ)の歌が連想されます。

いはばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(万葉集:志貴皇子)
Iha bashiru tarumi no ue no sawarabi no moe iduru haru ni nari ni keru kamo (Manyoushū:Shikinomiko)

勢いよく水が流れる滝のほとりの爽やかさと、「春のなりにけるかも」という詞がきっぱりとしていて、”春が来た”という感動がいきいきと伝わってきます。

『源氏物語』第48帖「早蕨」で、山寺の阿闍梨(あじゃり)が土筆(つくし)や蕨を神仏や主君にささげる初穂として中君に贈ったことが書かれています。初物の蕨が神聖な供物として扱われていたことが読み取れます。
蕨や土筆、芹(せり)などを献上して食する行事を「供若菜(わかなをぐうす)」といい、若菜を摘んで災厄を祓う風習が宮中の儀式となり、美しい籠や折櫃(おりびつ)に入れられて献上されました。
早蕨については、『源氏物語』の第46帖「椎本(しいがもと)」にも書かれています。

君がをる峰の蕨と見ましかば 知られやせまし春のしるしも (源氏物語:大君)

第48帖「早蕨」にも登場する山寺の阿闍梨(あじゃり)から土筆(つくし)や蕨が初穂として中君、大君姉妹のもとに届きました。届けられた蕨を見て、姉の大君が ” 亡き父が摘んだ蕨としてみることができましたら、春を知らせてくれるしるしとなりますものを ” と詠んだ歌です。この歌から、紫式部は早蕨を「春の証」と捉えています。
紫式部が芽吹いたばかりの蕨の美しさに注目したところは、志貴皇子が詠んだ歌の心を受け継いでいるように思いました。

万葉集の時代、芽吹きの美というと柳に感じていました。万葉集の中でも「早蕨」は特異なものです。
蕨を詠んだものは万葉集ではこの歌のみで、「早蕨」という言葉の響きには”早春”という命が再生する瑞々しい季節感を印象付ける力が込められいて心惹かれます。
春の到来の歓びが清々しく伝わってきて、今も歌の心は受け継がれています。
平安時代には、「岩そそぐ垂氷のうへのさわらびの萌えいづる春になりにけるかな」という詞の形で古今和歌6帖や和漢朗詠集に載せられました。神聖で、春の到来を告げる証として紫式部は巻名を「早蕨」としたと考えられます。志貴皇子の歌は、「岩そそぐ垂氷のうへのさわらびの萌えいづる春になりにけるかな」という形で新古今和歌集にも選ればれており、後世の琳派にも受け継がれていると思われます。

平明で力強い詞の響きを書で表しました。料紙には素朴な味わいの和紙を選びました。

“Sawarabi”
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早蕨

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徳川幕府の成立によって270年近く泰平の時代が続き、園芸への関心が高まって花文化が栄えた江戸時代。その背景には王朝文化への憧れがありました。
王朝文化への憧れ、王朝文化の復興は書画や工芸などさまざまな分野に影響を及ぼしました。なかでも、王朝文化の復興に力を注ぎ、新たな命を吹き込んで独創的な表現、創造性を広げた本阿弥光悦・俵屋宗達に始まる「琳派」と呼ばれる系譜があります。
今年、本阿弥光悦が徳川幕府から鷹峯の地を拝領し400年になります。
「琳派」では、『伊勢物語』、『源氏物語』、『新古今和歌集』などから取材されることが多く、詩歌や物語など古典文学と密接に関わってきました。

琳派では蒲公英(たんぼぼ)、土筆(つくし)、蕨(わらび)、蓮華(れんげ)、菫(すみれ)、菜の花など春の野草をよく描いています。尾形光琳をはじめ、神坂 雪佳(かみさか せっか)に至るまで、琳派の流れの中で受け継がれてきた題材です。春の野草を横並びに配した構図からは、泉鏡花の『雛がたり』で花雛が横並びに飾られている光景が想起されます。
また、土筆や蕨というと『源氏物語』第48帖「早蕨」を連想します。
春の光が降り注ぐ季節になっても姉の大君を亡くした悲しみで心が深く沈んでいた中君のもとに、山寺の阿闍梨(あじゃり)から蕨や土筆が風情のある籠に入れられて例年とおり届き、慰められます。前年は姉と蕨や土筆を愉しみました。
阿闍梨の心遣いに中君は「この春はたれにか見せむなき人のかたみにつめる峰の早蕨」と返歌を贈りました。阿闍梨の優しい心に触れて何よりも温かく、清々しい心地になりました。土筆や蕨からは、早春の香りが伝わってきます。
早蕨(さわらび)とは芽を出したばかりの蕨をいいます。
山寺の阿闍梨が贈ってくれた蕨や土筆からは生命感溢れる春の野の情景が思い起され、琳派の画題に受け継がれているように思います。

画像の作品は、『源氏物語』第48帖「早蕨」よりイメージしたものを書と和紙による蕨と土筆で表したものです。
“Genji Monogatari no.48 Sawarabi”
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「星月夜」

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月をこそながめなれしか 星の夜の深きあはれを今宵知りぬる
(建礼門院右京大夫集:建礼門院右京大夫)
Tuki wo koso nagame nare sika hosi no yoru no fukaki ahare wo koyohi siri nuru
(kenreimoninukyounodaifusyu:kenreimoninukyounodaifu)

この歌には長い詞書があります。

十二月一日ごろなりしやらむ、夜に入りて、雨とも雪ともなくうち散りて、村雲騒がしく、ひとへに曇りはてぬものから、むらむら星うち消えしたり。引き被(かつ)き臥(ふ)したる衣(きぬ)を、更けぬるほど、丑二つばかりにやと思ふほどに、引き退(の)けて、空を見上げたれば、ことに晴れて、浅葱色(あさぎいろ)なるに、光ことごとしき星の大きなるが、むらもなく出でたる、なのめならずおもしろくて、花の紙に、箔をうち散らしたるによう似たり。今宵初めて見そめたる心地す。先々も星月夜見なれたることなれど、これは折からにや、ことなる心地するにつけても、ただ物のみ覚ゆ。

12月1日頃のこと。夜のうちは天候は悪かったものの、午前2時半ごろにはすっかり晴れて星空が一面に広がっています。
いままで月にしみじみとした情趣を感じ心動かされてきたが、美しい星空と出逢い、星空にも深く”あはれ”を誘うものがあることに気づいた感動が伝わってきます。
美しい星空を「箔をうち散らしたるによう似たり」と紙に箔を散らした様に捉えたところは、平安時代に歌を書くために趣向を凝らした料紙を思いました。
花の紙とは、花色の紙をいいます。花色はツユクサの花色に由来します。薄青色の縹色(はなだいろ)。縹色は花田色(はなだいろ)とも表記され、花田色が省略されて花色と呼ばれました。
箔が散らされたかな料紙を使い、星月夜を想い書で表しました。

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野辺の秋風

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色かはる露をば袖に置きまよひ うらがれてゆく野辺の秋かぜ(新古今和歌集:藤原俊成女)
Iro kaharu tuyu woba sode ni oki mayohi uragerete yuku nobe no aki kaze (Shinkokin Wakashū :Fujiwara no Toshinarinomusume)
寂寥感溢れる秋の野に”あはれ”を見出した感動を和紙の染色と書で表し、和紙の木の葉をあしらいました。

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暮秋

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紅葉ばの別れ惜しみて秋風は けふは三室の山を越ゆらん(貫之集:紀貫之)

Momijiba no wakare oshimi te akikaze ha kefu ha mimuro no yama wo koyu ran (Tsurayukisyu:Kino Tsurayuki)

歌の詞書に”九月晦”とあります。旧暦の九月は暮秋とも呼ばれます。
古来より紅葉の名所として歌に詠まれてきた三室山。奈良の斑鳩にある三室山のふもとには同じく紅葉の名所、竜田川が流れています。
三室山を越えて吹く風によって散った紅葉で竜田川の川面が染められた美しさが歌に詠まれてきました。
これから散紅葉によって次第に染め上げられていく景色を想い、段染め和紙の色合いと書で表しました。

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「柳蔭」

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道の辺に清水ながるる柳蔭 しばしとてこそ立ちとまりつれ(新古今和歌集:西行)

夏、道のかたわらに清水が流れる柳の木蔭で安らぎのひと時を詠んだ歌。
青々とした柳の緑、清流の音、そこを吹き渡る風を西行の歌から感じました。
しばしのつもりがつい長いこと留まってしまったという想いを書と和紙による柳で表しました。

michi nobe ni simizu nagaruru yanagi kage shibashi tote koso tachi tomari ture (Shin Kokin Wakashū : Saigyō)

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「花橘」

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夕暮れはいづれの雲のなごりとて 花橘に風の吹くらむ (新古今和歌集:藤原定家)

初夏、橘の花の香りに昔を懐かしく思う心を詠んだ歌を書で表したものと和紙の花をコラボレーションした作品。
かなを書いた料紙は本楮紙に切箔砂子の装飾があるものを使いました。背景にも質感の異なるかな料紙を使い、雅な趣を出したいと思いました。

yūgure ha idure no kumo no nagori tote hanatachibana ni kaze no fukuramu (Shin Kokin Wakashū : Fujiwara No Teika)

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